第45話 黒雛
王国指揮本部から見た、黒い巨大な塊。
一体何事なのかと、俺とエッタは近くまで移動してきた。
現場は王国兵が軽い混乱状態になっていた。
隊として一時退却を指示しているようだが、逃げ遅れた者たちが右往左往している。
対して、帝国側はすでに遠方へと距離をとって待機していた。
「一体なんなのだ? これは?」
エッタは剣を構えたまま真っ当な疑問を口にする。
かなり近くまで移動して、ようやくそいつの全容が把握出来た。
というのも、そいつの周囲に黒い霧のようなものが充満していて、でかい黒い塊がいるってことしかわからなかったからなのだが。
「…………これ、もしかしてブラックドラゴンじゃねぇのか?」
黒い霧が邪魔しまくってて微妙ではあるが、全長は10メートルに届かないくらいで、よく見れば典型的な竜の形をしているのがわかった。
ブラックドラゴンにしては小柄だが、このくらいのがいてもおかしくはない。
おかしいのは、なんでこんなところにいるのかってことと、周囲に出まくってる黒い霧。
ブラックドラゴンがこんな霧を出すなんて、見たことも聞いたこともないんだが……。
「ブラックドラゴン? 強いのか?」
「強い。ドラゴン種の中で最強なんだ。冗談抜きで世界最強でもおかしくないぞ」
「ほう!?」
「前にレッドドラゴンと戦っただろ?
アレを更に力強くして、魔力強くして、硬くなったもんだと思えばいい」
「…………ほう、レッドドラゴン以上か」
「断っておくが、絶対に一人で突出するなよ?
ブラックドラゴンは、レッドドラゴンの魔法以上のブレスをガンガン吐いてくるからな?
本当にシャレにならねぇぞ」
「わ、わかっている!
…………して、こやつをどうする?」
どうするって、こいつがどっか行ってくれるなら放っておけばいいんだけどさ。そんな都合良くいくわけないよな。
だったら倒すしかないんだけど……。
当のブラックドラゴンは、俺たちを見下ろしているわけだが、なぜかずっとキョロキョロとした動きをしていて悠然さはカケラもない。
まるで落ち着きのない子どものようで、聡いブラックドラゴンとは思えない妙な動きだ。
「ロイ殿!? ロイ殿ですか!?」
王国兵が固まっているあたりから、乗馬した男達がやってきて、近くで馬を止めて降りてきた。
男たちは一兵卒とは違う質の高い装備に身を固めていて、そのうちの40くらいの男が俺の前へ来た。
「ロイは俺です。あなたはこの部隊の指揮官ですか?」
「はい! ナヒュレムと申します!
……ロイ殿、あれは、もしや噂に名高いブラックドラゴンなのでしょうか!?」
「おそらくは。
周囲の霧や、頭の弱そうな感じに違和感がありますが、こうしてみる限りではそうとしか思えません」
俺が頷くと、ナヒュレムさんが激しく顔をしかめた。
まぁ、帝国兵と戦ってる時にこんなデカブツが来たら嫌になるよね。文句のひとつも言いたくなるわ。
「ナヒュレムさん、アレは一体どこから来たんですか?」
「それが、我々にもよくわからないのです。気づいたときには、アレが間近にいました。まるで何もないところから突然現れたかのようで、得体が知れません……。
幸いにも、未だ攻撃を仕掛けられたりはしていないのですが、一体どうしたものかと……」
「ロイ!?」
エッタが鋭い声をあげる。
あちこちに首を動かしていたブラックドラゴンが、俺たちを射抜くような目線を向け口を開けようとしていた。
あ、これブレス来るわ。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」
大口を開けたブラックドラゴンから、漆黒の波動が放たれた。
俺は、ほとんど無意識で剣を抜きブレスに向かって跳躍する。横薙ぎでブレスを斬ると、あっさりと霧散した。
……ちょっと冷やっとしたな。威力はありそうだが、あまり魔力は練られてはいないようだ。あっさりと斬れてよかったぜ。
「ろ、ロイ殿!? 今のは!?」
「奴らお得意のブレスでしょうね。
ブラックドラゴンのブレスは、基本的な火、水、風に加えて強烈な毒ブレスも使ってきます。
特に毒のブレスはかすりでもしたら高位の僧侶に速攻で回復してもらってくださいね。耐性がない者がブレスを受ければ、傷口が腐って毒が回り、すぐに死にます」
「お、おぉぉ、なんという…………」
ナヒュレムさんが顔を青くして、数歩後ずさる。
普段人間を相手にすることがほとんどの兵隊さんにとって、強力な魔物は分が悪すぎる相手だろう。
付近の魔物討伐をすることもあるのだろうが、ブラックドラゴンを相手にしたというのはなかなか聞かない。有効な戦う手段を持たなければ、アレ相手には無駄に犠牲者を出すだけだ。
「ナヒュレムさん、アレはこちらに任せて退いてください。
もしも可能であれば、遠距離からの弓や攻撃魔法の準備をお願いします」
「……わ、わかりました!!」
答えるやいなや、ナヒュレムさんは直ちに伴を連れて兵たちを退かせていく。
脱兎のごとき見事な退却だが、下手なプライドをこじらせずに素直に行動してもらうと助かるね。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
再度ブラックドラゴンがブレスを吐いてきた。
先程よりも広範囲に渡っていて、威力も高めのようだが、俺は問題なくブレスを斬り捨てる。
ブラックドラゴンが不機嫌に顔を歪めて、またブレスを放ってきた。
連発してくるブレスを俺は難なく斬り捨てる。斬りまくる。
……いやに単調な攻撃だな。別の狙いがあるようにも見えないし、こいつに本当にブラックドラゴンなの? いくらなんでもアホすぎないか? これじゃあ奴を警戒してる俺までアホみたいに思えてくるんだけど…………うん?
ブラックドラゴンが再度ブレスを吐こうとして、その横から急速接近する影があった。
「くらうがいいっ!!!」
ドコォッ!! というド派手な打撃音を立てて、エッタがブラックドラゴンの顔面に一撃を入れる。勢いつけたエッタの強烈な攻撃はブラックドラゴンの顔を大きく揺らした。
エッタは一撃を加え地面に着地すると、すぐにその場から離脱する。
「グォォォオオオオオオオ!!!」
一瞬前にエッタがいた場所へ、ブラックドラゴンが尻尾を振り下ろす。轟音と共に地面が抉れ、大穴が開いた。
そのまま接近してきて、やたらめったらに尻尾を振り回しまくる。ドゴンドゴンっと轟音を立てて、地形がマッハで変化していく。
……まともにくらったら一溜りもないな。エッタが練気を全開にして受けても危ないんじゃないか?
「ロイ! あやつ、本当に硬いぞ!!
本気で攻撃してやったのに大したダメージは与えられなかったようだ!!」
尻尾攻撃を避けながらエッタが大声をあげる。
微妙に楽しそうに見えるのは気のせいでしょうかね、エッタさん……。
「ブラックドラゴンの体勢を崩しただけでも、大したもんだと思うけどな」
「こんなときに世辞はいい!!
アレに弱点はあるのか!?」
「ないですねぇ」
弱点なんてあったら、俺は容赦なくそこを攻め立ててるよ。
しかし面倒だな。こいつ、この前のレッドドラゴンみたいに人化する気配ないし……そもそもアホすぎる感じだし。
こちらがやられるリスクは減るけど、本能だけで戦ってると慢心や油断もないから決定的な隙が少ないんだよ。
となると、隙をついてぶっ倒すのは格段に難しくなるんだけど……。
「退けッ!! 退けええええええ!!!!」
尻尾攻撃を避けながら、遠くからの声に目線だけを向けると、帝国軍とドンパチしていた王国軍が完全に背を向けていた。
ありえないくらいの退却具合だ。おまけに帝国側の追撃もないどころか、奴らも退却しているように見える。
そして、王国軍と帝国軍の間にぽっかりと空いた空間を、悠然と歩く小さな影がひとつあった。
今度こそ俺はピンッ来た。
「くそっ! ユエルの奴、ここで出てくるのかよ!?」
舌打ちして、迫り来るブラックドラゴンの尻尾を避けつつ斬撃を入れる。
魔剣の効果で魔力防護は貫通できるものの、元々の耐久力もあり微々たる程度しか傷つけられない。
……まずいぞ。俺はユエルを抑えなきゃならんのに、こっちを放っておくわけにもいかねぇ。
時間さえあれば、このブラックドラゴンは何とかできるだろうけど、そしたらユエルが…………だぁぁぁああ、もうどうしたもんか!?
俺が逡巡していると、それを嵐のように吹き飛ばす威勢のいい声が上がった。
「ロイよ!! ここは任せたぞ!!!!」
「へ? ちょ、ちょっと待てエッタ!?」
俺の静止も聞かず、エッタが疾走する。ぐんぐん加速し、あっという間にその姿が小さくなっていった。
向かう先は、王国軍が全力退却していく先……ユエルのいる場所だった。




