第5話 不穏動向
昼下がり、宿屋の食堂に駆け込んできた翠髪の女エルフ。
勇者パーティのヒーラー、モニカの唐突な登場に、俺は心底驚いた。
「モニカ!? お前、どうしてここに? ユエルたちと一緒にいたんじゃ……」
「どうしてもこうしてもないよ! こっちは大変なんだから!!
まったく! ロイはいっつも楽ばっかして、ずるいんだからね!!!
あ、店員さん。あたしにはシナモン・ティーちょうだい♪」
目ざとくクーチェの姿を見つけて注文する。
突然声をかけられて、クーチェは戸惑いながらもなんとか頷いて奥へと引っ込んでいった。
モニカの奴、相変わらず切り替えの早すぎる女だな。
「…………で、今日は一体どうしたんだ?
随分と元気が漲っているようだが、新しい魔王でも出現したのか?」
「お!? さっすがロイ!! いい線いってるじゃん!!
当たらずとも遠からずだね!!」
俺が座っているテーブル席の隣に、モニカが騒がしくも腰掛けた。
ふわりと若葉の香りを感じる。
騒々しさからはとても信じられないが、モニカは歴としたエルフだ。
大半のエルフは物静かで落ち着いた印象なんだが、モニカと行動を共にするようになってからは、そのイメージがガラガラと音を立てて崩れていったなぁ。
「ロイ、単刀直入に言うよ。
動き出したんだ、ゼギレム帝国が」
「…………なんだと?」
騒がしさから一変、いきなりのトーンダウン。
それがかえって、モニカの言葉に真実味を持たせていた。
「なんであたしがそんなこと知ってるかって?
だってあたしはその現場にいたんだ。
ロイは知ってるでしょ? あのいけ好かない神官崩れの大臣、ゾギマス。
あいつは、ユエルの勇者としての名を利用して、おっぱじめる気だよ。他国への侵略戦争を」
「馬鹿言え! そんなの、皇帝陛下が許すはずがないだろ!?」
以前の帝国がどうだったかは知らないが、今の皇帝陛下は間違いなくまともな考えの持ち主だ。戦争なんてして得するのは、ロクな連中じゃないことくらい重々承知してるはず。
……まさかこの数年の間に、変わっちまったっていうのか!?
「それを上手く言いくるめちゃったみたいなんだよね。
なにせ、陛下に進言したのゾギマスだけじゃない。ユエルも勇者として、ゾギマスに賛同しちゃってるのさ」
「…………はぁ!?」
それこそ馬鹿言えだ!
戦争なんて、ユエルが一番毛嫌いしそうなものじゃねぇか!?
到底信じられないような話に、俺は一度頭をリセットさせるため茶を一口飲む。
温くなった茶が喉を通る。
それだけでも一時思考は中断されて、少しは冷静さが戻ってくる。
……とてもじゃないが信じられない。
が、ユエルと共にいたはずのモニカが単独で、わざわざ意味のわからんウソを言いに、はるばる俺のところまで来るとも思えない。
どっきりにしちゃ、タチが悪すぎる。
俺は改めて、モニカの話に耳を傾けようと深く呼吸した。
まるで俺の心の準備ができるのを待っていたかのようなタイミングで、モニカは話し始めた。
「あたしたちが魔王を倒した話は、もう聞いてるんだろ?
それはそのとおりなんだけどね。
噂は何て言ってるか知らないけどさ、本当のところはかろうじて勝利を拾ったってところだったんだ。
で、その時の戦いで、スヴェンが足をやられちゃってね。
歩けはするけど、日常生活を送る以上のことは出来なくなっちゃったのさ」
帝国の話から魔王の話に飛んで、一瞬首を傾げたくなるが、その疑問はひとまず置いておく。
それよりも、スヴェンの旦那が足をやられるって…………あのおっさん、素の状態だと俺やユエルよりも素早い盗賊だぞ?
攻撃手段はあまり有効なのはないけど、どんな激戦でも無傷でいるようなちゃっかり盗賊だったのになぁ。やっぱり魔王ってのは、いつの世もとんでもねぇ野郎だ。
しかし……、
「足? どれだけ重傷なのか知らねぇけど、お前ならたとえ足が吹き飛ぼうが、すぐに元通りに治癒できるんじゃないのか?」
モニカは、間違いなく俺が旅して出会った中で最も有能なヒーラーだ。
エルフのくせに、なぜか弓は下手。攻撃魔法もからっきしで、同族からは味噌っかす扱いだったようだが。
さすがはエルフというか、モニカは莫大な魔力を有していた。
そして、抜群のセンスを発揮するのがヒーラーとしての技だったのだ。
俺もユエルも、モニカには何度も助けられた。
そのモニカに癒せない傷があるとは、俺には到底思えなかった。
「すぐってあんたね。そりゃユエルが相手ならできるけどさ。
…………いや、もしかしたら、『勇者の加護』を持つユエルでも、あの場では満足に回復させることすらできなかったかもしれない。
魔王はね、伊達に魔王じゃなかったってことだよ。
あいつの攻撃には常時呪いがかかっててね。あいつから受けた傷は、回復魔法やポーションの効果をかなり阻害するようにできてるのさ。
かすり傷でも、それなりに熟練したヒーラーじゃないと、魔王から受けた傷は癒せないんだよ」
「なるほど。そりゃ厄介だな……」
「徐々に時間をかけて癒せば、いずれ完治はするだろうけどね。
とてもじゃないけど、一日や二日でできることじゃないんだ。
それでも、あたしたちは苦戦しながら、なんとか魔王を倒したわけさ。
よかったよかったってやってた数日後のこと。ユエルのところに、魔王を倒した勇者様御一行を歓迎したいって、帝国からの招待状が届いてね……」
モニカが苦虫を噛み潰したような渋い顔をする。
「帝国に行って待っていたのはゾギマスの野郎でさ、歓迎していたのは最初だけ。だんだんと、きな臭い話を振ってくるようになったのさ。
やれ、魔王による破壊の傷跡が残る荒廃した世界がどーたら、やれ、我々が力を持たぬ人々を保護してやらねばどーたらって具合にね。
要は、これから侵略戦争するからお前らも手伝えってことさ。
あたしたちも招待されちゃった手前、ある程度は黙って聞いてたけど、いい加減馬鹿らしくなってきてね。
きっぱり断って、とっとと帰ってやろうとしたところで、スヴェンの話になっちまったのさ。
足が満足に動かない程度で、帝国の犬どもにどうにかなるスヴェンじゃないけどさ…………ほら、スヴェンには奥さんと息子さんがいるだろ?
ゾギマスは、そのことを調べ上げてたみたいでね」
モニカは一旦言葉を切ってから、
「…………スヴェン殿、離れて暮らしているご家族は息災でしょうか?
魔王が死んだとはいえ、魔物はまだまだこの世界に蔓延っていますからねぇ。無力な人が、いつまでも無事でいられるとは限らない。さぞ、心配なことでしょう?
確か、二レーヌという村でしたよねぇ? 偶然魔物が襲ってこないとも、限らないですよねぇ? ってさ。
ニタニタと、濁った目で嗤うんだ……。
腐った野郎だよ!!」
吐き捨てるように言った。
まったくもって、同意しかできねぇな。
「スヴェンの家族がいるのはハイデルベルグ王国の東にある村だし、帝国からは王国を挟んでいるから、かなり遠いだろ? だから、単なるハッタリの可能性もあったんだけどさ……。
スヴェンが何か言う前に、ユエルがゾギマスに協力するって言ったんだ」
「……そうか」
ユエルらしいな。
勇者としては間違ってるのかもしれないが、あいつらしいよ。
「あたしはさ、あの場でどうにかできないかって考えたんだ。
ゾギマスについていた兵士は十数人だったし、あたしたちが本気になれば間違いなく勝てたと思う。でも、ユエルに止められてね……」
「そいつはユエルが正解かもな」
平素のゾギマスは口うるさくて自信家で嫌味な大臣って感じでしかないが、奴には危うい部分があった。
あいつは、自分の理想に強いこだわりがある。俺が奴とのソリが合わなかったのは、その理想が俺には納得できるものじゃなかったからだが……。
「俺は過去のゾギマスしか知らないが、奴はやると言ったらやる男だ。
その場でゾギマスを捕縛すれば、本当にスヴェンの旦那の家族に危害が及んじまうだろう。
下手したら、旦那の奥さんや息子さんを殺したあとに今度は村の人たちを人質にしちまうかもしれねぇ。
そうなっちまったら、もう戦いに際限はなくなっちまう。どちらかの陣営を皆殺しにするまで終わんなくなっちまう」
「……ゾギマスって、そこまで危険な男なの?」
「実際にやるかどうかは別だが、必要があれば躊躇しないだろうな。
ゾギマスを殺ったとしても、奴の理想に感化され、その遺志を継ぐような人間がいたら泥沼化は避けられねぇ。
だが、こちらが下手に手をださなければ、向こうも表面上は穏やかに話を進めてくる。奴も不要な揉め事は起こしたくないだろうからな」
「…………そっか。じゃあユエルの判断が正しかったのかな」
「さてな。強行策が上手く行く可能性もゼロじゃないし、絶対に間違ってたとは言えん。それに本当に帝国があちこちに侵略戦争をふっかけるなら、その被害は村一つ分どころじゃ済まないだろうしな。
ただ、ユエルの性格じゃ、血で血を洗うような泥沼の戦いはキツいし、そもそもスヴェンの旦那の家族を見殺しにするような方法は取れないだろ」
モニカは僅かに唇を噛んで、小さく首を振って息をついた。
「…………それでさ、結局のところ、ゾギマスの野郎が療養と称して、スヴェンは城の地下に幽閉されちまうことになったんだ。
今度はあたしたちにとっての人質が、スヴェンになっちまったのさ」
「自力での脱出は厳しいのか?」
「スヴェンが本調子なら、なんとかできただろうけどさ……。
一日中会えないってことはないから、ちゃんと生きてることはわかるんだけどね」
モニカが大きく息を吐いた。
優秀な盗賊であれば大抵の追っ手なら鼻歌交じりに撒いちまうけど、足を怪我している状態じゃ、いくら旦那でも無理はあるか。
沈んだ空気が流れる中、小さな音を立ててカップが置かれた。
「…………あの、シナモン・ティーです。ごゆっくりどうぞ」
クーチェはモニカに対してチラチラと視線を送るものの、余計な詮索はせずに再び奥へと戻っていった。
普段なら暇さえあれば絡んでくるだろうにな。
傍から見てても、俺たちの空気は軽くは見えないのだろう。
「……と、まあ、現状はそんな感じなの。
いつ、どこを目標として帝国が動き出す気なのかまではわからないけど、近いウチに動き出してもおかしくない。
帝国の戦力はここらじゃ一番と言っていいだろうし、あたしたちにとってもバカにはできないよ。
あんただって、Sランクの魔物は討伐できても、敵だとしたって大勢の兵士を躊躇なく殺すことなんてできやしないでしょ?」
「…………嫌な話だな。
しかし戦争なんて、ユエルは一体どうする気なんだ? まさか、あいつが前線にでも立って、人に向かって勇者の力を振るうってのか?」
「さすがにそこまではしないと思う。というか、する必要がないでしょ。
魔王を倒した勇者を前にして、まともな士気を保てる兵なんていくらもいないだろうしね。
基本的にユエルは脅しの道具。
だけど、もしもそれでも屈さなければ、帝国は…………ゾギマスは、あんたの言うような奴なら、容赦なく殺してまわるんだろうね」
モニカはシナモン・ティーを一口飲んで、
「ロイ。帝国の最も警戒するのは、どの国だと思う?」
「言われるまでもねぇな」
ハイデルベルグ王国。
帝国を西、王国が東側に位置していて、長年停戦協定は結ばないまでも争いごとは起こっていない。
恒常的な魔物による被害、特にこの一年は魔王や四天王の台頭による対応に追われて、人間相手にドンパチやってる暇などなかったからだ。
そして、この2大国の周辺にいくつもの小国があるのが、ここいらの勢力図だ。
「ロイを探し始めて、この村にいるって聞いたときは…………正直に言えば、あたしはほっとしちゃったよ。
これなら、ロイの協力は得られそうだってね」
苦笑するモニカに、俺は素直に答えてやった。
「なかなかにひでぇ考え方をするな。勇者パーティーの慈悲深いヒーラー様とは思えねぇぜ?」
はっきり言ってやると、モニカが笑い出した。
「だよねー! アタシもそう思う!!
…………でも、ホントのこと。
スヴェンが囚われて、ユエルは護衛という名の監視が付けられて自由に動けない。ティアンは…………今は、まるで戦力にならないし……」
「まぁ…………ティアンは、ティアンだからな…………」
俺とモニカは顔を合わせて、互いに複雑な表情をする。
ティアンに関しては仕方がない。
基本的には頼れる魔法使いで、開幕にどかんっと強力な攻撃魔法をぶち込んで一気に戦いを優勢にしてくれたりするんだが、この状況は、実はユエルというよりもティアン封じに近い形だ。
帝国は、全然そんな気ないんだろうけど。
「あたしも所詮は、か弱いヒーラーちゃんだからさ。あたしが動いて状況を好転させるには厳しくってね。
隙をついて帝国を出て、どうにかできそうな奴を頼るため、ここまで来たわけなの。
…………ロイ。この村は、外れの方に位置しているとはいえ、帝国側と接する王国領だよ?」
「わーってるよ」
帝国の動きはわからないが、勇者が懐に入った絶好の機会を得たんだ。
小国を取り込むだけで満足するとは思えない。帝国はいずれ王国に牙を剥いてくるだろう。
そしてそのとき、一番最初に戦火に巻き込まれる場所は、帝国側に位置するこのザザ村かもしれないのだ。
「隠居したとはいえ、俺の方は五体満足だ。
あいつらも心配だし、この村にゃ何ヶ月か世話になっちまってるからな。
放っておくことなんて、さすがにできねぇだろ?
俺の力でどこまでやれるかわからねぇけど、最低限、守らなきゃいけないもんは、守らなきゃな」
「…………ロイ」
めずらしくモニカが神妙な顔をしている。
どれだけ事態が切迫しているかは不透明だが、余裕のある状況ではなさそうだ。
まったく、やれやれだぜ。
まさか勇者パーティーから外れたこの俺が、当のパーティーメンバーを助けるために動くことになるとはな。
このヘヴィーな状況をどうにかするなんて、かなりキツイんじゃねぇかぁ?
………………。
ふ。
くふふふふふふふふふふ。
はははっはははははははっはーっはっはっはっは!!!
つ・ま・り、だ!!!!
最強の勇者を助ける→助けたのだから勇者より強い→ゆえに最強→ゆえにモテる!!!!
うおおおおおおおおおおおおおお、完璧ッ!! 完璧すぎる論理展開だろこれぇ!!??
絶好の機会に思わず震えてきたッ!!!! この俺の本気を見せてやるぜッッッ!!!!!
「モニカ! 俺が支度してる間、ちゃんと休んどけよ!?
準備が出来次第、すぐに出立するぞ!!」
「……うん。わかったよ。待ってる」
やる気みなぎる俺に、モニカはほっとしたような、申し訳なさそうな顔をして弱々しく笑った。
モニカの殊勝な態度は本当にめずらしい。いつもこれくらいおとなしければいいのになぁ。
そんなふうに考えながら、俺は宿屋の階段を上がっていった。
行き先の話をする必要はない。
言うまでもないことだ。向かう先は、ハイデルベルグ王国だ!!