帝国での勇者 その3
ユエル達が帝国へと帰還したころには、すでに日が落ちかけていた。
王城の小さな会議室で、ゾギマスは饒舌であった。
「勇者殿、先程はありがとうございました。
まさかレッドドラゴンと出くわすとは思いませんでしたよ。
魔王が消えても、やはりこの世に魔物が蔓延る限り、人に確固たる安寧は生まれないのでしょう。
しかしさすがは勇者殿、レッドドラゴンすらものともしないとは、いやはや格の違いというものを実感いたしましたよ」
「……それほどでもありません」
「はははははは!! これほどの謙遜はありませんよ。さすがは勇者殿です!!」
上機嫌のゾギマスの笑い声が室内に響く。
「この度は少々強行軍の旅でしたし、勇者殿もお疲れでしょう。
せっかくですし、明日は我が帝国の街をご覧になってはいかがでしょうか?
よろしければ、フィラルに案内させますよ」
ゾギマスに話を振られ、ユエルの後方に控えるフィラルが頷く。
「そう、ですね……」
ユエルはこれ以上会話を続ける気がおきず、曖昧に答えた。
◇ ◇ ◇
翌日。
結局ユエルは、フィラルの案内は必要とせず一人で帝都を散策すると申し出た。
「わかりました。それでは、私は陰ながら勇者殿の護衛を致します」
フィラルの返答に、ユエルは内心ため息をついた。
(本当は、少し一人になりたかったのですけど……)
帝国に来てから、ユエルには常に帝国兵がついていた。
護衛と称しているものの、実質それはユエルの監視である。
(フィラルさんは……本当に、私の護衛と思っているのでしょうね)
ユエルに付いているフィラルや他の帝国兵は皆、兵の中でも選りすぐりのエリートである。
彼らには、ユエルを監視しているという考えは一切ない。
しかし、ユエルの行動を逐一観察しゾギマスに報告している状況では、監視と差異はなかった。
それでも今日のところは、ユエルの「普通に街を散策したい」という要望に応え、遠目からユエルの護衛につくこととなっていた。
(完全にあちらの目から離れたわけではありませんが、これ以上は望むべくもありませんね)
ユエルは小さく息をついて、気持ちを切り替える。
せっかく街まで出てきたのだ。
ユエルは帝国首都アルレイドを歩くのは初めてではなかったが、じっくりと街を見たことはない。
活気ある街にはユエルも興味がある。
どうせなら楽しんだ方がいいと前向きに考えて、ユエルははやる気持ちのまま街を歩きだした。
それからユエルはあてもなく街を散策した。
服や雑貨、食べ物。広場ではたまたま演劇が上演されていて、それを観たりしていた。
帝国の首都ということもあり、ユエルにとって馴染みのないものも数多くあった。
興味深いものも一つや二つではなかった。
しかし、ユエルはそれらをなんとなく見るだけで、実際にどうこうしようという気にはなれなかった。
(……大分時間も経ちましたし、そろそろ城に戻りましょうか)
ユエルはいまいち気が晴れてはいなかったが、そんな考えが浮かんできていた。
しかしその直後、思いもよらない光景が視界に入る。
(…………え?)
ユエルは、驚きのあまり呼吸をすることすら忘れていた。
いくつもの露店の中の一つ。
そこでは見知らぬ中年男性と、よくよく見知った男が威勢良く話している。
(…………………………………………ロイ、さん?)
見間違えるはずはない。
ハイデルベルグ王国で別れたきり、実に数ヶ月ぶりであった。
ユエルは思わずロイに駆け寄ろうとする。
しかしユエルの意志に反して、なぜだか足がうまく動かない。
制御できない感情が濁流のように渦巻いていた。
(ロイさん! 一体どうして帝国に!? もしかして……もしかして…………)
ユエルはもどかしい気持ちに導かれるまま、一歩一歩地面を踏みしめるようにゆっくりとロイのもとへと歩いていった。
そして、ユエルは見た。
ユエルには到底理解できない、奇怪な造形の面が並んだ異様な光景を。
(…………)
さーっと、暴風のように荒れていた気持ちが一気に引いていく。
何もかもの感情が一瞬で薄れていき、最後まで残ったのは呆れであった。
「……こんなところで、何してるんですか?」
へ? と振り返るロイに、ユエルは自然とため息が漏れた。
◇ ◇ ◇
ユエルは露店でロイとばったり鉢合わせした後、散策を続けていた。
露店や店に入るものの、目に入るもの、聞こえてくるものにはほとんど注意が向かなかった。
(……ロイさんに会ったのは数ヶ月ぶりでしたけど、全然変わっていませんでしたね)
とらえどころがなくて、よくわからない思いつきで行動して、自分を困らせる。
ユエルにとって、ロイはそういう人物だった。
(ロイさんの存在がゾギマスに知られるのはよくないでしょうね。
ロイさん、きっと恨みかってるでしょうし……)
ゾギマスにとっては悲しいことだが、当然ながらユエルはゾギマスのハゲ隠し、ヅラには最初から気づいていた。ハイデルベルグの城で、ロイがあれだけインパクトある話をしたので当然である。
ユエルが気になっているのは、ゾギマスの周囲、フィラルなどの若い帝国兵たちが果たしてそれに気づいているかどうかということだが、なんとなく怖くて聞けずにいる。
(それにしたって、こんなもので口止めしようとしなくても……。
私は帝国に傾倒しているわけではないですし)
ユエルはロイから受け取った紅のリボンを手の中で遊ばせる。
レッドドラゴンの羽を素材としたそれは、見た目以上に丈夫で、身に付けた者の魔力を増大させる。
(こんなものを渡されても、私が魔法がまるで使えないことに対する嫌味かと思ってしまいますよ。
…………ロイさんに限ってそんなことはないでしょうけど。
そこまで深く考えてないでしょうし)
ユエルは苦笑して、気の向くままに歩き続ける。
(……そういえば、なんでロイさんは一人だったんでしょう?
モニカさんから事情を聞いているのなら、一緒にいるのが普通だと思うんですけど。
わざわざ別々に行動する理由なんて…………はっ!?)
ユエルが急に立ち止まってワナワナと手を震わせる。
後ろを歩いていた通行人が迷惑そうにユエルを避けていくが、ユエルにそれを気にする余裕はない。
(ま、まさか…………恋人に渡すプレゼントっていうのは実は本当のことで、その相手って………………相手って…………)
ユエルはほわわわーんと、ロイとモニカのラブラブな状況を想像しようとする。
しかし、モヤでもかかったかのように一向に形にはならなかった。
ロイはいつも憎まれ口を叩いていて、モニカはいつもからかっていた。
互いに通じ合っているところはあるものの、それは完全に気の合う同性のようであり、甘い雰囲気など到底考えられなかった。
(うん。やはり完全に方便ですね)
ユエルはほっと息をついて、再び歩きだしたところで、
「ユ、ユエル……殿?」
「はい? どうかしましたか?」
申し訳なさそうにユエルに話しかけてきたのは、ユエルに付いていた騎士のフィラルだった。
フィラルは普段の甲冑装備どころか、軽装備すらしていなかった。
どこから見ても年のころ20歳くらいの普通の街娘である。
「す、すみません。声をかけるようなことをしてしまって…………」
「え? …………あぁ。いいんですよ別に」
ユエルは眉をハの字にさせて恐縮するフィラルに慌てて手を振った。
今日のところは、フィラルがユエルのことを陰ながら護衛するはずであったことを思い出したのだ。
ユエルの浮かべた笑みに、フィラルは心底ほっとした。
「ありがとうございます。
ユエル殿のご様子が先ほどからずっとおかしかったので、一体どうしたのかと思っていたのです」
「……おかしいですか?」
「はい。露店で男と話していたましたよね?
その男と別れてから、なんだかユエル殿が、その、妙な行動と言いますか、落ち着きがないような感じがしまして……。
どなたか知り合いの方だったのですか?」
「い…………いえ。全然知らない人ですよ……」
ユエルはびくっとして、思わずフィラルから目を逸らした。
ユエルの動揺に、しかしフィラルはまるで気づかず、
「そうなのですか?
では何か変なことでも言われたのですか?」
「そういうわけでもないのですけど………………あぁ、そうです! これを渡されて、どうしたものかと思っていたのです!」
ユエルが手にもっていた紅のリボンを示すと、
「なんだ、ナンパだったのですね」
フィラルが安心したように表情を和らげた。
「え?
いえ、あれはナンパというわけでは……」
「しかし、そのようなものでユエル殿を釣ろうとするとは不届きな輩ですね!
それは私の方で処分しておきましょう」
フィラルが善意でユエルの手からリボンを取ろうとすると、ユエルは無意識にさっと身を引いた。
その速さ、まるで実戦のごとき素早い身のこなしであった。
「…………ユ、ユエル殿?」
ユエルの見事な回避行動に、思わずフィラルが固まってしまう。
ユエルは慌てて、
「あ、いえ! これは、その……。
…………も、モノ自体は悪くないわけですし。経緯はどうあれ、です!
ですので、いいんですよ!
これは私が持っておきます!」
「は、はぁ? そうですか?
ユエル殿が、そうおっしゃるのであれば……」
「ええ! そうです! モノには罪はありませんしね!
職人さんがせっかく作ったものですしね!」
「そ、そうですね……」
ユエルの挙動不審な様子に、フィラルは疑問に思う。
が、今日のユエルは、帝国首都の街に感動して気持ちが浮ついているのだと考えて納得することにしたのだった。




