第1話 スローライフはいいものだ
強くなりたかった。
誰よりも、何よりも。
渇望が、激情が、俺を支配し動かす。
幾度もの戦いを経て、幾度もの敗北を乗り越えて、いつしか俺は剣聖と呼ばれるようになっていた。
やがて俺は魔王に辛勝し、名実共に最強となる。
これで…………これで、やっと、俺は最強の剣聖として、人類を救った英雄として……………………モテモテハーレムを手にできる!!! うひょーー!!!!
しかし、現実はあまくなかった。
魔王は倒したものの、魔物がいなくなるわけではない。
俺は旅を続けた。
魔物を狩り続けた。
腕を鈍らせることなく、モテるために最強であり続けた。
――それから十年。新たな魔王が出現する。
再び世界が荒廃していくさなか、俺はあいつと出会った。
俺は成り行きであいつに剣を教え、あいつはそれに応えた。
俺たちは数多の敵を屠り、気づけば、あいつは多くの人に囲まれるようになり、勇者と呼ばれる存在になっていた。
あいつは俺を超えて強くなった。
そして今、俺はあいつのもとを離れて、この村にいる。
―――――村の女の子たちに、「ロイさんって、すっごくお強いんですね~(はぁと)」って感じで囲まれながら、うっはうはなスローライフを送るために。
◇ ◇ ◇
宿屋の戸を開けて中に入る。
店主を探すが、店主どころか誰の姿もない。
相変わらず無用心というか、警戒心が欠けてるというか……。
街の宿屋ではありえないが、この村ならこんな状態も普通のことみたいだ。
「お帰り、ロイさん。薬草は見つかった?」
ひょっこりと食堂から顔を出したのは、店主の娘のクーチェだ。
明るい赤髪を頭頂部付近で縛っている、15、6歳くらいの娘。
愛嬌がよく、はきはきと話すところは好感が持てる。年の割に育っている胸もなかなかによろしい。
「村長に頼まれた分はな。もう渡してきた。
で、店主にはこれだ」
よっこらせっと、さり気なく床に置いた革袋に、クーチェが顔を寄せる。
「なにこれ?」
「オークキングの肉だ。途中で見つけたから、ついでに狩ってきた。
あくまで、薬草採取の途中に、たまたま見かけたから、な」
偶然であることを強調して、俺は話を続ける。
偶然であることは間違いないのだが、本当は宿屋の客が話していた噂話を偶然盗み聞きして、わざわざ山向こうまで遠征してオークキングを仕留めてきたのだ。
思った以上に遠くて、往復するのが大変だった。急いで移動したせいで足がちょっと痛い。
ちなみに、オークというのは豚に似た二足歩行の魔物で、単独でいる場合も群れていることもある。
群れている場合は、大抵オークリーダーと呼ばれるボスがいるのだが、その進化系の頂点であるオークキングはかなりレアな魔物だ。
魔物の強さを大雑把に表すランクにおいて、Sランク下位に分類されているだけあって、それなりに耐久力もあるし攻撃力も高い。端的に言って強いのだ。中堅の冒険者パーティーでは、あっさり全滅することもある。
「誰かが宿で、オーク共に放牧してる羊が食われて困るって言っていたことがあっただろ?
山から帰る途中で、たまたま見つけてな。ちょうどよかったよ。こいつの肉は結構うまいんだぜ?」
「……え? ちょ、ちょっと待って!?」
クーチェは慌てて俺が置いた革袋の紐を解き、
「……ウソ、この光り具合…………本物じゃん!? どうなってるの!?
ロイさん、オークキングの肉なんてどっから持ってきたのよ!?」
興奮して俺の胸ぐらを掴んでガクガク揺らしてくる。
……よしよし、狙いどおり!
これで、クーチェの口から村人たちへと、俺がオークキングを倒した男として、どんなに強いかが伝わるだろう。そうすれば、必ず俺に興味を持つ女が出てくるはずだ。
なにせ、強い男はモテるっていうからな!! 計画どおりッ!!!
俺はクーチェの手を抑えて、必死にドヤ顔を我慢して平然と答える。
本当はドヤ顔したくてたまらないが、ここでドヤ顔する奴は強くても嫌味ったらしくてモテない。
だから俺は欲望を制御し、我慢する。俺は理性的な男なのだ。
「落ち着けクーチェ。薬草採取の途中で、たまたま見かけたから狩ってきたって言ってるだろう?
で、店主はどこ行ったんだ? どうせなら新鮮なうちに料理してもらおうかと思ったんだが……」
「え!? 食べるの!? 売るんじゃなくて!?
だったらさぁ!! だったらさぁ!!!」
両手を祈るように合わせて、目をキラキラさせてくるクーチェ。
俺は肩をすくめて、
「俺の分があれば、残りは腐らしちまうだけだからな。余った分はそっちで自由にしてもらっていいぞ。
で、店主はどこに……」
「きゃっほぅ!! ロイさん太っ腹ー!! 愛してるー!!!」
クーチェは俺に抱きつくと、かなりの重量がある革袋を奪取して店の奥へと引っ込んでいった。
「父さん父さーーん!! 今日はご馳走だよ!!! ロイさんがオークキングもってきたー!!!」
「……あぁん? クーチェ、お前何言ってんだ? どうせオーク肉の間違いだろ?
ったく、本っ当おめーはいつまで経ってもそそっかしくてしょうがねぇなぁ。もう成人したっつーのに…………うおっ!?」
「へへん! どう? これを見ても、まだオーク肉なんて言えるの!? どう!? この輝き!!!」
「お前!? それ!? 一体どうしたんだよ!!?」
「だからぁ、ロイさんがオークキング狩ってきてさぁ!!
それもね、父さんに料理してもらうつもりみたいなんだよ!! しかもロイさんの分を除けば、残りはウチの好きにしていいって!!
さあさあ父さん、ロイさんの気が変わらないうちに早く仕込んじゃってよ!!!」
「お……お、おう!! わかったぜ!!
うおおおおおおおおおおお、オークキングの肉を扱える日がくるとはなぁ!!!
宿屋魂が唸るぜぇぇぇぇぇえええええええええええ!!!」
「それじゃ頼んだよ、父さん!!
私、皆に宣伝してくるー!!!」
言うやいなや、クーチェは店の奥から出てきて俺の脇を抜け、脱兎のごとく店から飛び出していった。
店の奥からは、興奮しまくった野太いおっさんの声と物音が響いていた。
「…………元気なもんだな」
しみじみと俺は呟き、自分の部屋へと戻るため階段を上がる。
無意識にぐぐぐっと拳を握ってしまっていたが、別にクーチェに抱きつかれたときに柔らかーい感触を受けてテンションが上がっているわけではない。
◇ ◇ ◇
あー、食った食った。もー、入らんぞ。
俺はだらっと地べたに座り、パンパンに張った腹を軽く叩く。
ふぅっと一息ついて、空に顔を向けた。
キラキラと輝く星々が、今にも降ってくるように思える。
村の広場では、いつの間にか、お祭りのようなドンちゃん騒ぎが始まっていた。
オークキングの肉は、宿屋の店主が何種か料理したものと、外でシンプルに串焼きしたものがあり、バラエティさと豪快さを共存させていた。
俺以外の人からはしっかり金を取ってるようだが、それは微々たるものであり、相場よりも大分良心的なようだった。
「あれ? もういいの?」
ひょこっと、星を遮るように顔が現れた。
「あれだけ食えばな。
うまかったよって、店主に伝えてくれ」
「りょーかい。
……じゃあ、これは私がもらっちゃうね!」
クーチェは手にしていた串焼き肉を頬張り、
「っかー!!! うまい!!! うますぎるー!!!」
ぐっと拳を握って全身で大袈裟に感情を現すクーチェに、俺は思わず苦笑する。
リアクションが完全におっさんだった。
「テンション高いな」
「そりゃそうだよ!!
オークキングの肉なんて高級食材、10年に1回どころか、生きてるうちに縁があるかどうかってとこなんだからね!!!」
「うまいのは同意なんだが、そこまでめずらしい品か?
まぁ、オークキングがその辺にうようよいたら物騒でしょうがないけどよ。
ちょっと前は週1くらいで狩ってた気がするぞ」
「ええええ!? ロイさん、一体どこ旅してたのよ!?」
…………ふ。
くくく。
この村に来て、ついに聞かれてしまったな……。
ならば答えようではないか!
「魔王領(ドヤァ」
「まお………………え? 魔王、領?」
俺がニヤリと笑って頷くと、クーチェは真顔になった。
「馬鹿なの?」
「馬鹿じゃねえよ!」
なんで馬鹿呼ばわりされるの?
強い魔物がそこらじゅうにいるような魔王領を旅するとかすごいでしょ?
ここは、「ええ!? ロイさん、すっごーい!!!」て言うとこじゃないの?
ったく、しょうがねぇな。
魔王領を旅することのメリットを、田舎の村娘にもわかるように軽く説明してやるとするか。
「あのな、魔王領は魔物が溢れてて、手っ取り早く実戦がつめるんだよ。
強くなるには、なんといっても実戦が一番大事なんだ。
魔物によっては、いろんな素材になるのもいるし何気に金になるんだぜ? 一石二鳥なの」
「やっぱり馬鹿じゃん。超馬鹿じゃん。脳筋剣士だよ、その考え方ー」
クーチェがやれやれ風の態度を取る。
……なにこいつ、むかつくわー。
「お前、その肉取り上げるぞ?」
「ロイ様超かっこいー!!」
クーチェは高速で肉を口に詰めて、俺の肩を揉み始めた。
清々しいほどに変り身の早い奴だな。
「肩はいい。茶くれ」
「はい、どうぞ!」
「んで、明日は釣りに出るから、早朝に声かけてくれ」
「はい、わかりました!」
「あと弁当も用意しといてくれ」
「お任せ下さい!」
「ついでに胸もませてくれ」
「はい、どうぞ!」
許可がとれたので3回ほど揉んでたら、すごい顔でグーパンされた。
痛いぞ。
深夜になり、さすがに人も減ってきた。
「いやっほーーい」と、調子にのって俺と一緒に踊ってた酔っぱらいも力尽きて、ぶっ倒れている。
まだ寒くはないし、野ざらしで寝てても死ぬようなことはないだろうけど、物盗りに遭うとか考えないのか? …………ホント平和だなぁ。
俺は周囲を眺めてから、俺に一番近い酔っぱらいに視線を落とす。
クーチェは意外と早めに酔っ払って寝落ちしていた。
草むらで足を伸ばして座る俺の右腿に、クーチェの頭がのっていた。
……俺が言うのもなんだけど、ついさっきおっぱい揉まれた男の前でよくスヤスヤ寝られるよな……この娘、警戒心なさすぎじゃないの?
それともグーパンくらえば、胸揉んだことチャラになるの? だったら望むところなんですけど。
「……むにゃむにゃ。もう食べられないよぉ」
ベタすぎる寝言を聞きながら、そろそろ宿に戻るかなぁと思っていたところ、
「ロイさん、今日はごちそうさん」
「オークキングの肉を食べられる日がくるなんてねぇ。長生きはするもんだよぉ」
「おいしかったー。ありがと、おじちゃん!!」
老若男女、皆が満足した様子で次々と話しかけてくる。女の場合、俺の腿を枕にして寝こけているクーチェを見て、「あらあらぁ……」などと口に手をあてて呟き、無駄に微笑ましい感じの視線を向けてくる人もいた。
俺は適当に手を挙げて、愛想笑いを浮かべて見送った。
俺のことを知っている人もいるが、俺が村に来たのは十日程前のこと。
いくら人の出入りが少ない村といっても、俺のような余所者の顔を把握している人はそこまでいないはずなのだが……。
…………なんか、来る人来る人、普通に話しかけてくるな。
ひょっとして思った以上に顔覚えられてる? なにそれ、怖い。だって俺、まだ村の人ほとんど知らないのに……。
俺は内心でちょっとだけビビりながらも、民衆の前に現れた王族のように数分間お手振りをしていた。
やがてほとんどの人がいなくなったころ、
「…………うぅん」
クーチェが身じろぎをした。
「起きたか? もうほとんど皆帰ったぞ。
祭りはお開き。俺たちも戻ろうぜ」
「うん……そだね……おやすみぃ」
「寝んなや」
ぺしぺしとクーチェの頬を軽く叩く。
「うー、やめてよー。ちょっとくらい、いいじゃーん」
「ちょっとどころか、もうこの状態になって二時間は経っとるぞ。
お前だって明日の準備とかあるだろ?」
「明日は宿屋休業だよ。昼にはお客さん皆はけたし、明日は行商人が来る日でもないんだから誰もこないだろうしー」
「おい。思いっきり目の前にいるぞ、客」
「この騒ぎじゃ、父さんだって絶対酔いつぶれてるんだから。明日は休業なの!」
言い切ったよ。
そんなんでいいの? アバウトすぎだろ、村の宿屋。
俺が呆れていると、クーチェが寝たまま体勢を変えて目を合わせてきた。
「…………ねぇ。ロイさんってさ、今までどんな旅してきたの?」
「唐突になんだよ? 普通の旅だよ」
普通に、強くなってモテモテになるための旅だよ。
…………全ッ然モテなかったけどね! なんでだろうね? 俺、結構強くなったはずなんだけど。
「うっそだー。ほいほい魔王領に行くような旅人なんて、聞いたことないよ」
「そりゃあ、確かに普通の旅じゃなかったかもな」
普通の旅ってのがどういうものなのか、俺にはあまりピンっとこねぇけど。
少なくとも、魔獣やドラゴンぶっ倒したり、魔王を相手にしたり、壊滅した村をいくつも訪れたり、ってことはないんだろうなぁ。
「ロイさん、勇者様たちとも旅してたんだよね?
最初聞いたときは、何言ってんのこの人? 頭おかしー人なのかなって思ってたけど」
「クーチェさん? なんでもストレートに言えばいいってもんじゃないよ? ちょっとはオブラートに包みなさい」
「畑の土をまとめて全部ひっくり返す勢いでクワ振るったり、オークキングを平気な顔して倒してくるんだもんねぇ。
ほーんとびっくりしちゃうよ。
ロイさんってば、真面目にすごい剣士様だったのかなーって」
かなー? ってなんだよ。
自分で言うのもなんだが、マジで凄い剣士だっての。めっちゃゴリゴリ実戦で鍛えたっての!
だいたいオークキングじゃなくても、村長からの依頼で周辺のゴブリンとか討伐してたんだぞ。
「それなのにロイさん。
どうして旅、やめちゃったの?」
「…………」
クーチェの疑問に、俺は思わず息をのんだ。
俺が何も言えずにいると、クーチェがほんの少しだけ目を細めた。
「それとも、本当はまだ旅を続けてて、何か目的があってこの村にいるの?」
「…………ねぇよ、そんなの。
俺が単に、あのパーティから抜けただけだよ」
「……そうなの? ……じゃあ、もう旅に出たりはしないの?」
「さあな。少しはどっかで落ち着こうとは思ってたけどよ。
ここは結構居心地いいし、居着いてもいいのかもしれないけどな」
「……そだねぇ…………そうすれば…………いいんじゃないかなぁ……」
だんだんとクーチェの声が小さくなっていき、
「…………すぅ……」
再び寝息を立て始めた。
寝息に合わせるように、ひんやりとした風が頬をなでる。
眠るクーチェの髪が、少しだけさらさらと流れていた。
ぼぅっとその様子を見ていると、無意識にクーチェの言葉を胸中で反芻していた。
ロイさんってば、真面目にすごい剣士様だったのかなーって
すごい剣士様、か。
本当にすごいっていうのは………………………………。
そこまで考えて、俺は胸にかすかな痛みを感じた。
空を見上げると、煌々と月が輝いている。
夜の静けさに、俺はあいつ――勇者ユエルのことを思い出していた。