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夏草の賦  作者: 夏草の賦
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生命の鎖、果つることなく

初めて小説というものを書いてみました。

一部フィクションを含みますが、私の自伝的作品です。

現代と過去(戦国時代から昭和、平成まで)が登場します。浅学であり、拙い文章ですが、お読みくだされば幸いです。

「梅雨明け前」


母の甲高い声が受話器の向こうで響いていた。

梅雨明け宣言はまだだというのに、連日30度を軽く越える暑さだ。エアコンは点けているが、猫のミーシャはわざわざ日向で長くなっている。

杏子はうんざりしながらストローで一口、麦茶を飲んだ。

カラン…氷がグラスにあたる音がした。

「杏子、聞いてるの⁈」

「うん、聞いてるよ。」

母はハァーっと溜息をつくと、

「ねぇ、だから来週、帰って来て。お兄ちゃん達も来るから。おじいちゃんの家の土地もやっと売れたし…まぁ、二足三文だけどね、その話もしたいから。」

「うん。」

「聞いてんの?」

「聞いてるって。」

「そうそう、真理はどうしてる?就職は?」

「え?まだ決まらないよ。今アルバイトしてる。」

「ええ?まだ?大学を卒業してもう4ヵ月も経ってるのに。まぁ、あんな大学だし、しょうがないけどさ、高望みしてるんじゃないでしょうね?」

「半ば諦めちゃってるみたい。このままバイトでもいいかなぁ…なんて言って。」

「冗談じゃないよ。だったら大学なんて行く必要なかったじゃないの。全くあの子も誰に似たんだか。うちはみんな優秀な筈なのにねぇ。あんな私立の何だかわかんない大学だって、一応大卒の資格になるから行かせたんだろ?借金までして。」

真理は、確かにエリートと言われる程ではないが、中堅クラスの私立大学を出ている。しかし、母の感覚からすれば「国立に行けないなんて」とか、「名前が書ければ入れる大学」ということになってしまう。

「まぁ、母親のあんたも高卒だしね。」

「お母さん、私、専門卒。」

「そうだっけ?でも高卒と同じでしょ。」

杏子は深呼吸した。駄目だ、ここで母に噛み付いたら長くなる。また傷ついて泣くのは自分だ。

「借金って…奨学金ね。まぁ、借金だけどね。」

「あんたは相変わらず借金癖が治らないんだね。おじいちゃんにも散々お金せびってたもんね。」

またその話だ。


杏子は一度だけ、祖父の信之助に借金を頼んだことがある。今の真理くらいの歳の時だった。専門学校を出て、アパレル会社に就職し、入社2年目なのに、転勤して地方の街で店長をやらされていた。店長と言っても正社員は自分だけ。後は二十歳のパートの女性と時々やって来る女子高生のバイトだけだ。人手不足で休みは殆どなく、1ヶ月間ろくに休めなかったこともある。それでいて、給料は月10万を割ることもしばしばだった。少ない収入から店の商品を買って着ていた為、社員用クレジットカードの利用分が引かれていたのだ。

当初は、もっと大手のメーカーから内定を貰っていた。初任給も倍貰える予定だった。しかし、在学中の研修期間に担当の社員から駄目出しを貰い、内定取消になった。研修中の服装が会社の雰囲気に合わないと言われたのだ。入社試験の時には、無け無しの金をはたいて、当時流行っていたDCブランドのスーツを買って着ていたが、研修中もずっと同じ服を着ている訳にも行かず、通学に使っていた服を着て行くようになってしまった。その服装がNGだった。内定を取消しされたことを告げると、母は案の定、烈火の如く怒ったが、父が大病を患い入退院を繰り返していたこともあり、卒業後は東京から北関東の実家に戻って、地元の新聞チラシに出ていたアパレル販売会社の試験を受け、入社したのだった。入社したての5月、上司と店のオープンの準備をしていた時に、電話が鳴った。電話を取った上司が慌てて杏子に駆け寄って来た。

「山本さん、お父さんが危篤だって!すぐお家に帰って!」


父が亡くなり、すぐ次の年に転勤になった杏子は、会社が用意してくれた社宅に引っ越した。学生時代は故郷を離れ、東京に住んでいたが、三人部屋の女子寮生活だったから、実質上初めての一人暮らしだった。社宅費は約1万円だったが、月10万あるかないかの給料では、生活は苦しかった。電話は、当時権利を買うのに10万以上かかる為、付けることが出来なかった。ある日、どうしても生活費が足らなくなった。なんとか持ちこたえて来月補填しよう…そう思ったが、次の月の手取りはたった8万だった。毎月、どんどん生活が苦しくなる。とうとう食費に遣える金も無くなった。1日2食にして、そのうち夕飯はカップラーメンかポテトチップス1袋になった。母には援助など頼めない。兄は地元で就職をしているが、弟はまだ高校生、しかも受験生だ。父が亡くなって、杏子の家は母子家庭になっていた。休みが無く、ストレスを溜め込んで、久しぶりの休日に東京へ好きなバンドのライブを観に行ってしまった。CDも数枚買った。それが原因だ。自分が悪い。情けなかった。

「おじいちゃんに頼むしかないかな…。」

借金など嫌いだ。これまで人に金を借りたことも貸したことも一度として、ない。千円借りるのも嫌だ。だけど、もう食べるものにも困っている。何日か悩んだ。世の中はバブル景気とかで、やたら羽振りのいい人達が溢れていたが、杏子にはまるで別世界の話だった。年の暮れ、すっかり冷え込んで来たある日、公衆電話から祖父の信之助に電話をかけた。

「おじいちゃん…ごめんなさい。あのね…」涙が溢れて止まらなかった。テレフォンカードの数字がどんどん減って行くのをぼんやりと眺めながら、何度も何度も祖父に詫びた。その数日後、信之助から現金書留が届いた。

封を切ると、10万円入っていた。


信之助は当時、既に70をとっくに過ぎていたが、自動車部品を作る会社を経営し、毎月、大手自動車メーカーから特許料も入っていた。自分の卑しさに嫌気が差したが、正直助かった。しかし、無心をしたのはこの時一度だけだ。反省もしている。なのに、母の知るところとなって、何かあるにつけ、30年経った今も蒸し返される。それも「おじいちゃんから、ことある度に何度も金をせびっていた」ということになっていた。

正直、実家に帰るのは苦痛だ。大人になってから、母とはなるべく会わない方がいいと気がついていた。もっとも、母からも「帰って来るな」と言われてはいたが。なのに、何故か急に帰って来いと言う。実家の敷居はもう15年、跨いでいない。一人娘の真理が7歳の頃以来だ。

「じゃあ、真理も連れてくわ。うん、誠さんも。じゃあね。」電話を切るとまた溜息が出た。


「お母さん、ただいま!ねーねー、聞いて聞いて!」

夕食前、今日はアルバイトが休みで、大学時代の友人に会うと出かけた真理が帰って来た。

「あら、早いのね。彩香ちゃんと会ってたんでしょ?一緒に晩御飯も食べて来るのかと思ってた。」

「ううん。彩香、彼氏できたんだよ。この後、ふたりでカラオケ行くんだってー。」真理は少し不満そうに答えた。

「へぇ、あんたは彼氏なんてできたことないのにね。」

「うるさいなぁ。それよりさ…。あ、麦茶ちょーだい!」

真理は冷蔵庫を開けてグラスに並々と麦茶を注ぎ、一気に飲み干した。真理の足元に猫のミーシャがまとわりつく。

「あーん、ミーたん、ただいまー!モフモフさせろー!」

ミーシャは雄のペルシャ猫だ。真理に抱き上げられ、毛がふさふさした胸元にぐいぐい顔を押し付けられて、迷惑そうにしている。真理は本当に落ち着きがない。今どきの22歳なんてこんなものか…杏子が苦笑いをしていると、続いて夫の誠が帰って来た。

「ただ今。今日は珍しく早く終わったわ。」

「お父さん、お帰りー。ホラ、ミーたん、おじいちゃんですよー。」真理がミーシャを誠の顔に押し付ける。

「おい、誰がおじいちゃんだよ。」

「だって、真理がミーシャのママだからお父さんはおじいちゃんじゃん。」

「ふざけんな。お前みたいなガキがママの訳がない。ミーシャはお前の弟だろ。いや、兄かもな。」

「ひどーい!」

どっちもどっち。二人とも子供だ…杏子が呆れていると、真理がさっきの「聞いて聞いて」の内容をやっと喋り始めた。

「あ、そうそう、それでね、彩香にね、映画のエキストラに誘われちゃった!」

「エキストラ⁈お父さんもやったことあるぞ、映画のエキストラ。高校生の時に。」

「えー、うそぉ、お父さんが?マジ?」

「マジだマジ。しかも、世界のクロサワの映画だ!」

「クロサワ…って…あ!知ってる!黒澤監督でしょ?えー、マジマジ⁈凄いじゃん!」

「足軽の役でな。富士山の麓で寒かったぞー。素足に草鞋履きだから。なのに、それで馬糞踏んじゃって。」

「うそ、最悪!」

「ジョージ・ルーカスとか、スピルバーグも見に来てた。」

「えー?スターウォーズの?凄い!」

「別にお父さんを見に来てた訳じゃないけどねー。」

杏子が口を挟む。

「うるさい、いいの!青春の思い出なんだから。で、真理のはどんな映画だ?」

「それそれ。私のもさ、やっぱり戦国時代で、武田信玄と家臣団がメインなんだって。”夏草の賦”ってタイトルらしい。仮だけど。」

「へー、戦国時代か。じゃ、今度は真理が馬糞を踏む番だな。」

「やだー!私は女だから戦場のシーンじゃないかもしれないけど。」

「で、なんで真理にそんな話が来たの?」

「うん。彩香の田舎、お父さんと同じ静岡なんだけど、地元のフィルムコミッションがロケに協力するらしくて。彩香、それに入ってるんだって。で、彩香も出るから、私もどう?って誘って来たんだ。」

「へー、彩香ちゃん、そういうの好きなんだ。」

杏子が夕食の皿を並べながら言った。

「何言ってんの、お母さん、彩香と私、歴史研究会のメンバーだったじゃん!大学の時。」

「ああ、そう言えばね。」

「あー、カッコイイよねー、武田騎馬軍団!赤備えでさぁ。」

「ふーん…武田と言えば、ウチの先祖は武田と関係があるみたいだけど…。」

杏子が、母方の家系にまつわる言い伝えだと言うと、彩香はすっかり興奮したようだ。

「えー!ウソウソウソ!なんで?それホントの話⁈」

「本当かどうかなんてわからないわよ。ただ、あんたのおばあちゃんや、お母さんのおじいちゃん達から聞いた話。

まぁ、誰も見た訳じゃないから何ともね。」

「私、今度絶対、おばあちゃんに話聞くわ!」

「よしなさいって。」

「なんで?」

「ああ、そういえばね」杏子は誠に向き直り、

「ウチの母が来週、家に来てくれって。」

「お義母さんが?珍しいな。どうしたの?」

「うん、それがね。」

杏子は、亡き祖父宅の土地がやっと売れたこと、その売却金のことで杏子始め、兄や弟も呼ばれていること、などを話した。

「うん、よくわかんないけど、行くよ。杏子の実家も久しぶりだしな。」

「ねね、お母さん、私も行く!いいでしょ?久しぶりだし。」

「いいけど、おばあちゃんに余計なこと聞かないでよ?」

「へへ…」真理はおかずを箸でつまみながら、含み笑いをした。




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