騎兵と鷹の国
巨大な帝国があった。
世界地図の対角線が交差する位置に位置する大陸に、その帝国はあった。
帝国はかつてその大陸を騎馬で制した。
そして次に輸送船で周辺の国々を制した。
その帝国の祖となる人々は、神々の国.タカマガハラから金の鷹に導かれて降臨したという。
よって帝国は自らを"大鷹帝国"と称した。
帝国の騎兵は周辺諸国から大変畏れられていた。
戦場では常に先陣を切り敵陣に吶喊し、槍も矢も恐れず敵陣深く突き進むその姿は、敵軍の将兵からすれば死神の使いがやって来たかのように見えた事だろう。
周辺諸国の軍人は大鷹騎馬軍団に対抗する策を講じるのにどれほど苦心したことであろうか。
そもそも騎兵を使った戦術は大変難しいものである。
高い突破力と打撃力を誇るが、その分防御力は皆無に等しい。
現実世界においても、明治日本軍の名将.秋山好古はその戦術的特色を拳でガラス窓を突き破って説明したという。
よって騎兵を見事に使いこなせるのは天才しかいなかった。
大鷹帝国の場合、騎兵戦術の天才がよく出現したのが幸いだったのだろう。
遡ること初代皇帝.アマツ1世の曽祖父、大鷹国第31代大王.ショウオこそがその天才の祖であった。
彼は戦乱の大陸で生き残るために、自国でよく育つ良馬に着目した。
「疲れ知らずで機動力に富む」という名馬.ガバン馬を大量に育て、同時に騎兵達の訓練を徹底した。そして将軍達には騎兵の重要さを説き、騎兵の集中運用戦術を将軍達の間に染み込ませた。
その結果、大陸のほとんどの国を平らげ、統一まで後一歩のところまで領土を拡大することに成功した。
しかし、統一まで後一歩のところでショウオは崩御してしまい、結局領土の大半を失ってしまうこととなってしまった。
それ以降、騎兵は大鷹帝国軍の主力となり、現在に至る。
時は大鷹暦643年の3月、その男は帝都にある大鷹帝国陸軍大学校騎兵科を卒業した。
名をキヤマ・シンザブロウという。階級は中尉。
背が高く、目力が凄まじい。
見た目は士官らしく、堂々としていた。
彼の配属先は南部方面軍第三師団第一騎兵大隊だった。
大鷹帝国は現在、南方に位置する黄清帝国との戦争の真っ最中だった。
キヤマは時代の激流の中に飛び込んでいったのである。