月詠う夜の愛言葉
ピンポーン
現在時刻、午後9時30分。
夜のとばりもおりきった頃に、家のインターホンが鳴った。
特に何か思うこともなく、玄関のドアを開ける。
――黒というには白すぎて、白というには黒すぎる。
そんな灰色の髪を揺らしながら、門の前に立った彼女が視線をこちらに向ける。
「こんばんは、神谷」
「どーも、月華。こんばんは」
金と青の光彩異色の瞳を細めて、挨拶をする彼女。
雪岑 月華、今日の散歩の提案者だ。
「ほら、雲の隙間から見えるよ。きれいだね」
「おぉ……たしかに」
9月15日の、十五夜に散歩に行こうと誘われ、二つ返事で乗ったのがあらまし。
自分の名前に月が入っているから、などという理由で毎月誘われていれば嫌でも慣れてしまうものだ。
「今月は、特別だから。少しでも見えて、よかった」
「そうだな」
いつものように、肩を並べて歩き始める。
今日の月は隠れたり出たりと忙しい。
道には、白い光が、しるべのようにぽつぽつと落ちている。
ルートはいつも通り、できる限り街灯のない道を歩く。
月の明かりは、とても明るい。
街灯がなくとも、目が慣れてしまえば昼と遜色無いほどに。
「そういや、十五夜なのに満月じゃないんだな」
「うん、13日目だって」
他愛もない会話を、楽しむわけでもなく、ただ歩く。
時に空を見上げたり、時に視線をめぐらせたり。
意味もなく、風景を見て、月を見る。
「……ふふ」
「えらく、機嫌がいいじゃないか」
「そう? かもね」
そんな風に、しばらくふらふらと30分ほど。
もはやおなじみの、さびれた公園にあるベンチに二人並んで座る。
「もう秋だなぁ、肌寒ぃ」
「ふふ、言うだろうと思って……ハイ、持ってきたよ」
そう言いながら手渡されたのは、青色の魔法瓶。
いつぞやから用意されるようになった俺用の飲み物。
月華いわく、付き合ってくれるお礼、らしい。
「あんがと」
「どういたしまして」
中身は温かいアップルティー。
手作りらしく、ほのかなリンゴの香りが素晴らしい。
ボーっと、飲みながら月を見上げる。
今日の月は金色。
寒々しい空気と相まって、雲間に見える月は孤独にも思える。
見ていると、不意に月華の瞳を思い出す。
「中秋の名月、だね。ほんと……きれいだ」
「……あぁ」
彼女の瞳は、金と青のオッドアイだ。
よく考えたら、こいつと出会ったのはだいたい一年前か。
丁度ここで、月を見上げていた彼女と出会ったんだ。
「……よし」
にわかに、彼女が立ち上がる。
そう……丁度こんな風に、月明かりに照らされた彼女と出会った。
銀灰色にきらめく髪をなびかせて、彼女は振り向いた。
神秘的な、金と青の瞳に覚悟の色をにじませて。
「覚えてる? 去年のこと」
「もちろん」
あまり、思い出したくはないが。
彼女とばったり出会って、綺麗すぎて。
つい、テンパって口走ってしまったのだ。
「今度は、私から言わせてね」
理解が追い付かなくて、目を瞬く。
――くしくも、去年の彼女も似たような仕草をしていた。らしい。
「すぅ……はぁ……。つ、月がきれい、ですね!」
ぎゅっと目を閉じて、顔を真っ赤にしながら、必死で絞り出す彼女。
あぁ、もう反則すぎる。
一目ぼれした相手にここまで言われたら――
「死んでもいいわ……と、なんか違うな」
「あ……えっと?」
「いや、そこ笑っとけよ」
なんとも締まらない。
あまりにかっこつけすぎた代償だろうか。
もっとも、去年の俺はそんなつもりで言ってないのだけれど。
「神谷らしい、ね」
「すまんな、ポンコツで」
会話のきっかけがほしくて、ぽろっとこぼしただけなんだが。
今思えば、なかなかアホである。
「お前は違うだろ?」
「そりゃあね。私はちゃんと意味を知ってるよ」
「なら、いいさ」
何の気もなしに言ってしまった俺よりも、
直接言う勇気の出なかった彼女のほうが万倍もマシだろう。
「……ねぇ、神谷――」
「いいんだよ、こんなに月が綺麗なんだから」
――月が綺麗な、こんな夜だけでも。
「だから、それが俺たちの合言葉だ。
孤独な月を癒すための詩。雪月花を愛でる愛言葉」
――そう、ありたいのだ、俺は。
一瞬だけ、驚いたように目を見開いて、顔を伏せる。
彼女の涙は、月の雫のように輝いていた。
若干時間オーバー?
夜が明けるまでは十五夜ですよね(すっとぼけ)