聡い人
5月。
ゴールデンウィークも終わり、クラスメイト達はいくつかの仲良しグループに分かれる頃。
人付き合いが得意ではない瑠美にも、友達ができていた。
入学式の日に話し掛けてきた豊島恵衣。席が前後ということもあって、二人は自然と話すようになっていた。
「おっはよー! 瑠美!」
「お、おはよう、豊島さん」
明るく人懐っこい恵衣と、まだどことなくぎこちない瑠美。一見意外な組み合わせにも見えるが、二人はいつも一緒だ。
「あれ?何か顔色悪くない?どうしたの??」
恵衣が瑠美の顔を覗き込む。
ギクリとする瑠美。
実は昨夜、兄に血を吸われて貧血ぎみなのだ。
「そう……かな? 全然なんともないよ」
無意識に首を手で庇いながら、誤魔化すように笑った。
「ふうん……そう?」
その瑠美の仕草を訝しげに見る恵衣。
恵衣は洞察力が鋭く、時々ギクリとするようなことを言ってくるのでその度に冷や汗が止まらない。
しかし、吸血鬼である兄のことが知れたら大事だ。平穏な学園生活を過ごす為にも、絶対にばれてはならない。この冷や汗を悟られないよう、また誤魔化すように瑠美は話をそらした。
「体育、遅れちゃう。早く着替えに行こ」
体育の時間。
瑠美のクラスは校庭でハードル走をしていた。
「よし! 見てろー! 元陸上部の走りを!!」
そう息巻く恵衣の横で、瑠美は憂鬱そうな表情を浮かべていた。何を隠そう、瑠美は超ド級の運動音痴なのだ。
「(はぁ、やだなぁ。何か頭もぐらぐらするし)」
自分の走順が近付いてくるにつれて、緊張で胸が苦しくなってくる。
「(あ……れ?)」
突然目の前がチカチカと白く明滅して何も見えなくなり、そのままプツンとテレビの電源が落ちたように意識が途絶えた。
「う……」
「あ。起きた。瑠美、大丈夫?」
「豊島さん……? あれ……私」
「倒れたんだよ。貧血だって」
「あー……」
頭が霞がかったようにぼんやりする。
保健室の先生はどうやら席を外しているらしい。部屋がしん、と静まり返っている。
「あの、さ」
その静けさを破るように恵衣が口を開く。
「うん?」
「その首の傷、どうしたの?」
突然の質問に瑠美の呼吸が止まりそうになる。
兄に噛まれた二つの牙の痕がドクン、と痛みで脈打った。
どう答えればいいのだろう。
飼い犬に噛まれた?毒虫に刺された?
うまい答えを探そうとする瑠美に追い討ちをかけるように恵衣が言葉を続ける。
「吸血鬼にでも噛まれたみたい」
「きゅ……っ、吸血鬼なんているわけないじゃない」
まずい。思いの外、うわずった声が出てしまい余計に不自然になってしまった。だらっと嫌な汗が背中を伝ったその時。
「瑠美!?」
バタン!と大きな音を立てて保健室のドアが開いた。
姿を見せたのは兄だった。
「倒れたって聞いて! 大丈夫!?」
よほど焦って来たのだろう、はぁはぁと肩で息をしながらベッドの側まで歩み寄ってきた。
「あ……うん、大丈夫。え、授業は?」
「抜けてきた! 倒れたなんてびっくりして……」
「貧血だそうですよ、お兄さん」
恵衣が兄妹の会話に割って入る。
いつもの明るい恵衣とは違い、冷ややかな口調だ。淡々と恵衣は言葉を続ける。
「首に噛まれたような傷痕がある。確か入学式の次の日にもあった。瑠美、あの日も体調悪そうだったよね?」
あの時もばれていたのか……。
ここで下手なことは言えないと判断した瑠美はただ押し黙るしかなかった。
「お兄さんなら何か知っているんじゃないですか?」
恵衣は立ち上がってずいっと兄に詰め寄った。こんなに刺々しい物言いをする恵衣は初めてだ。
「……何かって?」
「例えば……お兄さんが実は吸血鬼とか?」
兄の眉がぴくっと動く。
それをじろりと見る恵衣。
今にも空気が割れそうだ。
「……なぁんちゃって!ちょっと悪ふざけが過ぎちゃいました!いきなり変なこと言ってごめんなさい、お兄さん」
緊迫した空気を壊すように恵衣が突然いつも通りの明るい口調に戻った。
「んじゃ、あたし教室戻るね! ちゃんと寝とくんだよ~」
ばたん、と恵衣が出ていき二人はハァァ、と深いため息をついた。
「あれは聡い人だな」
兄が珍しく真剣な顔をしている。
「シャープ……アイ?」
きょとんとして瑠美は聞いた。
「昔はね、吸血鬼を狩ることを生業にしていた人たちがいたんだ。そういう人たちはみんな勘が良くて、人間になりすましている吸血鬼を見抜いてしまうんだって。それを聡い人と呼ぶ……って本で読んだだけなんだけどね」
「吸血鬼を狩る……」
「まぁ今はそんなことしてる人もいないし、たまたまあの子の勘が良かったってだけの話だよ」
兄は不安げな表情の瑠美を安心させるように頭をぽんぽんと撫でる。
「さ、落ち着いたら瑠美は早退しなね。心配だから俺も一緒に帰っちゃおうかな」
「帰りたいだけでしょ」
「へへ、ばれた?」
おどける兄の顔を見ながら、瑠美は一抹の不安に駆られた。
恵衣が兄の正体に勘づいているのだとしたら、彼女はどうするのだろう。そして兄の正体が公になった時、私はどうするのだろう。
瑠美は再び横になり、目をつぶりながら自問したが答えは出ぬまま眠りに落ちていった。