涙、落つ
三人は各々好きなネタをひとしきり食べ、喋り尽くすと、寿司でいっぱいの胃袋を抱えて外に出た。空を見上げると白く丸い月が高々と上り、星の見えない夜空に一つだけ開いた穴ぼこのようだった。
相澤が財布を尻ポケットにしまいながら二人に尋ねてくる。
「このあとどうする? カラオケでも行く?」
「悪い、食べ過ぎたみたいで腹痛いから今日はもう帰るよ」
空を見上げていた兄は、そのままの姿勢で相澤の申し出を断った。声に抑揚がない気がするが、気のせいだろうか。
「あんだけ海老食えばそりゃあなぁ。わかった、んじゃ気を付けて帰れよ! また明日な!」
無言でもくもくと歩き続ける兄。ただただ沈黙の中に足音だけが響く。寿司屋ではあれだけ楽しそうに話していた兄だったが、そんなに体調が悪いのだろうか。小走りでどうにか後を追い掛ける瑠美を気にも留めない。
……いや、何か様子がおかしい。瑠美は胸がざわつくのを感じた。
「ねぇ、お兄ちゃん。大丈夫――」
後ろから右腕を掴み、兄の顔を覗きこむ。
――覗きこんだ双眸は金色に光り輝いていた。
「る、み」
荒い息遣いで妹の名前を呼ぶ兄。
「のど、かわい、た」
兄の頭の中では、誰のものかもわからぬ声がこだましていた。
――喉が渇いた。
――あの月の盃に溢れんばかりの血を。
――愛しき血。
――早く、早く。
――早くしないと、お前を、壊す。
苦しそうに肩で息をする兄の姿を見て、慌てて瑠美は制服のリボンを取り、シャツのボタンを外す。
「お兄ちゃ……」
もう一度顔を覗きこむと、普段の兄からは想像もつかない力で路肩の塀に押しつけられた。押しつけるというよりも叩きつけられたという方が正しいかもしれない。兄は驚く瑠美を意にも介さず、勢いよく牙を首筋に突き立てた。ソーセージを食いちぎるようなぶちっという音と共に牙は皮膚を突き破り、血がドクドクと流れ出る。
「いぁ…………っ!」
あまりの痛さに身体をびくっと痙攣させ、声をあげた。どうにか首元に食い込む牙の痛みを誤魔化そうと、舌を噛む。口の中に広がる鉄臭い血の味。これが、兄の吸う血の味か。……まずい。
一心に血を吸う、いや、貪る兄の荒い息を聞きながら、いつ終わるかもわからない痛みに耐える。だんだんと手の先が痺れて、頭がふらふらとしてきた。目が霞む。これ以上は、駄目、だ。がくんと膝が抜け、塀に身体を預けたまま地べたに座り込む。そこでようやく兄がはっとしたように瑠美の顔を見た。
「る……み……?」
兄の声が震えている。いつのまにか瞳は元の茶色に戻っていた。瞳の色が変わっている間の兄には兄としての意識がないのだろうか、自分のしたことが理解出来ていないようだった。兄は跪き、瑠美の首筋に手を伸ばす。触れた手も小刻みに震えていた。
「ごめ……………っ、俺……………」
「いいよ、誕生日だしね。Present for you……いや、血だからBlood for youかな……?」
瑠美はえへへ、と力なく笑う。つまらない冗談を言えるぐらいの余裕はあるらしい。それに対して、今にも泣き出しそうな顔の兄。眉間に皺を寄せてくちゃくちゃになっている。なんて顔だ。
「ごめん、ごめん……瑠美」
あぁ、兄を泣かせたいわけじゃないのに。お願い、泣かないで。兄の泣き顔を見るために、自分の血をあげることにしたわけじゃない。それなのに今の私たちの関係はあまりにも、あまりにもアンバランスだ。このままでは足元からがらがらと崩れ去ってしまいそうなぐらいに。
「誕生日なんて……。俺……人間に生まれたかったよ。もう嫌だ……」
兄の涙がぼろぼろと瑠美の顔の上に降ってくる。満月に照らされて、涙が宝石みたいだ。宝石は瑠美の頬に触れると崩れてその形を無くした。
「……こんなに綺麗なのに、人間も吸血鬼もないよ」
瑠美が兄の頬に手を伸ばす。
足元から崩れ去ったとしても、この人の側にいたいと望んだのは自分だ。だから、あなたは泣かなくていいんだよ。
「生まれてきてくれてありがとう。お兄ちゃん」
こちらのお話で、第一章完結となります。
まだまだ兄妹のお話は続いていきますので、これからも見守って下さると嬉しいです!




