呪い
川縁で瑠美が兄に血を与えた数時間前。
瑠美は電話を掛けていた。相手はドイツに住む吸血鬼、マシュー。時差七時間を飛び越えて鳴らした九コール目で、やっと電話口に出たマシューはひどく眠たそうな声であった。
「……やぁ、瑠美ちゃん。グーテンモルゲン」
「すみません、寝てましたか……?」
「いや、大丈夫。何かあった?」
瑠美は事の顛末を話した。兄の瞳のこと、兄が他の人の血を吸おうとしたこと、兄が瑠美以外の血を求めるなんて今まで一度もなかったこと。
「ふぅむ……」
マシューは何か言い淀んでいるような雰囲気だったが、しばしの沈黙の後、こんなことを教えてくれた。
「この間、お兄さんが噛み付いたっていう赤フードの吸血鬼。あれはただの吸血鬼じゃない。いわゆる魔力を持った魔女の吸血鬼だ」
絶滅寸前の吸血鬼の中でも更に珍しい、魔力を秘めた吸血鬼。赤フードの吸血鬼は自らの血液に魔力を込めて操る、『血の魔女』と呼ばれる吸血鬼だった。
恐らく兄は『血の魔女』に噛み付いた際に牙についた血液を体内に摂取してしまったのだろう。そしてその血液を依り代にして何かしらの呪いを兄にかけたのだろう、と。
どんな呪いをかけたのかは判然としないが、恐らく兄の中の「吸血鬼としての欲望」を利用して何かを目論んでいるのでは……というのがマシューの見解だった。
「呪いを解く方法はわからないのでしょうか?」
「うーん……現時点では分かりかねるね……。すまない」
「そうですか……。突然すみませんでした。お話聞いてくださってありがとうございます」
電話を切り、瑠美はふぅ……と息を吐いた。どうして突然、兄があんな風になってしまったのかは何となく理解できた。しかし、瑠美の胸中にはまだ靄がかって正体のわからない感情がしこりのように残っていた。
「(これは……何だろう)」
その感情の正体を突き止める為に、昨日と今日の出来事を頭の中で巻き戻して再生する。
――夜中に兄が部屋に入ってきた時。
違う。
――首筋を唇で撫でられた時。
ドキドキしたけど、違う。
――今朝の兄のいつも通りの態度。
ちょっと疑問に感じただけで、これじゃない。
――恵衣さんが吸血されそうになっていた時。
………………これだ。
瑠美は親友が襲われそうになっていたあの場面を、もう一度ゆっくりと思い出してみることにした。




