古城の吸血鬼①
よく晴れた土曜日。橘一家はノイシュバンシュタイン城というドイツの一大観光地にいた。
瑠美は高くそびえ立つ城を見上げながら密かに頬を紅潮させて興奮していた。
目の前の白亜の城は某テーマパークにある、灰かぶりが舞踏会へ赴いたあの城よりずっと荘厳である。
「(ロ、ロマンチック……!)」
そんな瑠美の顔を兄が微笑ましそうに目を細めながら覗きこんでくる。
「嬉しそうだね」
「う、うん……っ」
あの日から兄は本当に血を欲しがらなくなった。というより、瑠美に触れてすらこなくなった。
兄は普通に接しているつもりのようだが、二人の間に小さな溝が出来ているのは明らかだった。血を吸われなくなったのは良いことなのかもしれない。けれど……。
「二人とも!早く行くよーっ!」
思考を遮るようにして母が大声で呼ぶ。
「行こう」
兄がすっと先を行く。
足の長い兄は大股で瑠美との距離を離していく。
「(いつもなら先に行くなんてこと、しないのに……)」
瑠美はもやがかった気持ちで兄の背を黙って追った。
城の玄関ホールに入り、壁に描かれた絵を見上げながら歩く。ガイドに拠れば壁画はジーグルト伝説というドイツの有名な叙事詩を描いたものらしい。天井は青地、そして黄色の菱形の中に橙色の花のような模様が規則正しく並べられ、空にポピーの花が敷き詰められているようだ。
玉座の間と呼ばれる部屋へ行くと更に豪華絢爛な空間が広がっていた。黄金色に煌めく壁やシャンデリアと、目を引くロイヤルブルーの鮮やかな柱や壁の模様。キリストの神々しい壁画に目を奪われていると、視界の端にちらっと兄が入り込んだ。そちらを見やると兄は眉を下げて、へらっと笑いながら小さな声で話し掛けてくる。
「こんな家、落ち着かないよね」
……兄らしい感想だ。
城内には他にも様々な部屋があり、その中に絵画のたくさん飾られている部屋があった。テーブルと椅子があり、どうやら食堂として使われていた部屋らしい。
たくさんの絵画を見回していると、ふと赤いフードをかぶった人物絵と目が合った。絵と目が合うというのは妙な話だが、瑠美には確かに『見られている』感覚があったのだ。
「……?」
絵の中の中性的な人物を見つめてみたが、当然絵が何か言ったりするはずもなくただ真っ直ぐと前を見据えるだけだった。
「(気のせいかな……?)」
「瑠美?行くよ?」
兄の呼ぶ声に振り返り、うん、と返事をしようとした瞬間に兄が目を見開いて叫ぶ顔が目に入った。
「瑠美!!」
「――え?」
ぐんっと首根っこを掴まれ、口を塞がれる。口を塞ぐ『何か』を視認しようと必死に目だけを下に向ける。
真白な肌に赤くて長い爪。
「(――手!?)」
美しく華奢な手はその見た目とは裏腹にとてつもない力で瑠美の身体を引っ張りあげた。足が床から離れ、身体が宙に浮く。
「瑠美!!」
兄が瑠美の右足首を掴んだ。瑠美を引っ張る手を見上げるとそれはあの赤いフードの人物が描かれた絵から伸びていた。尚も引っ張りあげる力を弱めないその手はズブズブと絵の中に入っていく。
――このままじゃ引きずり込まれる……!
二人がそう思った瞬間、手は渾身の力を込めたかのようにぐいっと瑠美の首根っこを引っ張りあげ、兄もろともズブン……と沼に沈み込むように絵の中に入ってしまった。




