恋慕
昼食を食べ終えた兄は自室のベッドに倒れ込んだ。枕に顔を押し付け深く息を吐き出す。
――瑠美はたぶんあの吸血鬼と会っていたんだろう。自分の特別な血について聞いたに違いない。
瑠美は「私じゃなくて私の血が大切なんだよね」と言った。確かに俺が今までしてきたことを思えばそう思われても仕方がない。
瑠美と俺は五歳の時に出会った。その当時住んでいた家の近所には親のいない子どもたちが住む施設があり、瑠美はそこで暮らしていた。
彼女はいつも一人ぼっちだった。一人で公園にやってきては隅のベンチで本を読み、時折皆が遊ぶのを眺める。眺めるのに飽きるとまた本に目を落とし、黙々と読書を続ける。公園で遊ぶ度にそんな光景を見ていた俺はずっと彼女のことが気になっていた。
どうしても瑠美と話をしてみたかった俺は、ある日勇気を出して声を掛けてみた。
「ねぇ、なんの本よんでるの?」
「……?だれ?」
「えっと……おれ、すぐそこにすんでて!よくここで本よんでるなぁっておもって」
不思議そうに俺の瞳を見つめる瑠美。太陽の光が映りこんで真っ黒な瞳が宝石のように透けている。俺はその瞳に見つめられて顔が赤くなるのを感じた。生まれて初めての感覚。
「……いっしょに、よむ?」
瑠美がはにかむように笑い、自分の横のベンチをぽんっと叩く。
……お姫様みたいに可愛い。素直にそう思った。
隣に座るとそよぐ風に乗ってふわりと甘い匂いがする。瑠美の匂いだ。その匂いを鼻の奥に感じた瞬間に鼓動が跳ね、背中がむず痒くなった。
今思えば、その匂いも『月下の君』特有のものだったのかもしれない。けれど、まだそんなことも知らない俺はただ純粋に「この子と一緒にいたい」と思ったんだ。
――これが恋に落ちた瞬間。始まりの日だった。
俺は一度も瑠美のことを「美味しそう」だとか「旨い」だなんて思ったことはない。瑠美の血が特別なんじゃなくて、瑠美が特別だから血が欲しくなる。
それは他の人が愛しい存在に口づけをするようなもので。でもその欲求は、口づけではなく瑠美の首筋に牙を立てることに向かってしまった。それが普通ではないことは自分でもわかっていた。
だから瑠美が『月下の君』という話を、そして自分の血のことを知ってしまったら、俺はきっと軽蔑されると思った。
瑠美の血が欲しいから、瑠美を大切にしている。そんな風に思われるに違いないと思った。
本当は血なんて関係ないよって言いたい。けど今はきっと何を言っても嘘に聞こえてしまいそうで。だから、あの誓いを立てることにした。
さっき瑠美に言えなかった言葉を小さく吐き出す。
「俺は瑠美の血が欲しかったんじゃなくて、瑠美に――触れたかっただけなんだ」




