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「これで、帰りの会を終わります。起立、礼、皆さんさようなら」

「「「さようなら」」」

 子供じみたお決まりの挨拶を終え、教室中の人間がいっせいにバラバラに動き出す。闘威がほぼ空っぽの鞄を掴み弘道の方を見た時には、既に彼は数人の信者に取り巻かれていた。

 クラスメイト達は例外なく弘道の信者ではあるが、その中にも若干の温度差というか層の違いがあるらしく、例えば久能は自ら積極的に弘道に寄っていきはせず、たまたま話せたらラッキーというようなスタンスだが、西野は少しでも自由な時間があると瞬時に弘道の元に駆けつける。

 西野の心酔ぶりは、クラスメイトの奇行に慣れてきた闘威が一々目を疑うほどに大仰で、かつ大層熱が籠っていた。なまじ日本人離れした美形なものだからわりと様になってしまう辺り性質が悪い。

 今も、席を立った弘道の鞄を自然な動作で持ち、まるで騎士のようにぴたりと横につき共に教室を出ていく。誰もその行動に疑問を投じないところを見るに、いつものことなのだろう。

 闘威は少し迷った末、弘道についていくことにした。それこそストーカーじみているが、どんな家で生まれ育ったのか見てみたかったのである。両親とも聖人めいているのか、それとも突然変異なのか。金持ちなのか貧乏なのか。マンションなのか戸建なのか。まったく想像がつかない。帰る途中「じゃあね」と言いながら天に昇って行っても納得してしまいそうだ。

 弘道が歩を進めるに従い下校仲間は増えていき、昇降口を出る頃には大名行列のような様相を呈していた。部活組を除いてこの規模とは恐ろしいことだ。おかげで、闘威は自転車置き場に行って自転車を取ってくるという余計な作業をしても、簡単に集団に合流することができた。これだけ何十人も固まって動いていれば目立つことこの上ない。一応迷惑にならぬよう二列になってはいるが、中学生がぞろぞろと作る長蛇の列はほかの通行人にとってはさぞ邪魔であろう。

 列の後ろの方にいると、弘道の後ろ姿すら目視しがたい。こいつらこれで満足してんのかよ、と呆れながら闘威が自転車を転がしてると、「あっ」と前方から声が上がった。人の間を器用にすり抜け、久能がにこにこしながら近づいてくる。 

「名護くんだー。自転車通学なんだね。乗って帰らないの?」

 もっともな質問である。闘威は目を泳がせ、なんとか違和感のなさそうな答えを絞り出した。

「あ、と、せっかくだから、皆と帰ろうかと」

「わ、嬉しいなぁ。やっぱり名護くん、最初に思ってたより親しみやすい感じ!」

「……そーか?」

「そうだよ~。初めて見た時はちょっと怖かったの。だって名護くん目つきキツいじゃん?」

「あー」

 そりゃそうだ、と思いながら闘威は相槌を打った。むしろ今までそういう類のことを言われなかったということの方がイレギュラーだ。目つきだけでなく、引き結ばれた口や尖り気味の眉、上背のある体躯も、一般には怖いと言われる要素である。威圧的とまではいかないが、隙のない佇まいにたじろぐ者は多いだろう。

「宇賀三は不良の人多いって聞いてたから、名護くんもヤバい人なのかなぁ、ってビビっちゃった。でも髪も染めてないし体弱いみたいだし、すぐに普通のいい人だってわかったよ!」

 久能はにこにこと親しげな笑みを浮かべる。

 どうやらまだ病弱だと誤解されているらしい。平均的な中二男子よりはるかに高い身長と、適度に筋肉のついた体のどこを見てそんな発想が出てくるのだろうか。保健室に行ったりしていたせいなのだろうが、宇賀三なら真っ先に仮病を疑われるところだ。

複雑な表情になった闘威に気づかず、久能はぱんと手を打った。 

「そだ、名護くん、ラインやってる?」

「おー。打つのおせーけど」

「ふふ、私も最初は文字打つの大変だったな。スタンプ使うといーよ! あ、それでえっとね、クラスで連絡網回すために、グループ作ってるんだ。番号教えてくれる?」

「わかった。ちょっと待て」

 闘威が鞄からスマホを取り出すと、久能は、わっ、と驚いたように目を見開き闘威を見上げ、悪戯っぽく笑った。

「いけないんだー。学校に持ってきちゃ駄目なんだよ」

「そーなのか?」

「当然。てゆか、え、宇賀三アリなの? いーなぁ。うち堅いの」

 羨ましそうに使いこまれたスマホを見ている。

 実際のところ、宇賀三でスマホが許可されているかどうかは闘威も知らなかった。校則を気にする生徒など闘威の周辺にはいなかったのだ。喧嘩や飲酒や喫煙などの不良行為をしないグループにさえ髪を染めている者がいたのだから、あとは推して知るべしである。闘威はそこまでスマホに必要性を感じていないので、学校に持っていくこともあれば持っていかないこともあるが、それはあくまでその日の気分によるものであり、教師の指導に左右されたりはしない。

 闘威が電話番号を告げようとすると、久能は慌てて鞄から可愛らしいメモ帳を出して書き取る準備をした。

「いいよ、言って」

「おぅ。ぜろきゅうぜろ、さん、ご、はち、」

「おっ、ライン? 俺に教えろよ、今招待すっから」

 前を歩いていた少年が、振り向いた体勢で会話に割り込んでくる。日に焼けた肌と色素が抜け気味のぱさついた髪は、屋外で運動をする習慣があることを窺わせる。西野ほど整った顔立ちではないが、明るい笑顔が好印象を与えるイケメンだった。軽妙な雰囲気なので、彫刻のように堅い美貌で近寄りがたさを感じさせる西野よりモテるかもしれない。ひょい、と最新型のスマホを見せつけて得意げに言った。

「どーよこれ。やー、こんなこともあろーかとスマホ持ってきといて良かったわー」

「うっわ芦田不良だぁ」

「るせ。今時スマホぐれぇいーじゃん」

 飄々と開き直り闘威のスマホ画面を覗き込む少年に、久能は呆れたように顔をしかめた。

「どーせ授業中にこっそりいじってたんでしょ。そういうことする人がいるから禁止されるんだよ」

「はいはいゆーとーせーはさすがっすねー。名護くん、これ読み取って。いけそう?」

「できた。くんづけとかいーよ。お前芦田ってゆーの?」

「そー、芦田(アシダ)帝人(キング)。気軽に陛下って呼んでくれよな!」

 朗らかに笑う芦田の耳を軽く引っぱり、久能は闘威にすまなさそうに謝った。

「名護くんごめんね。こいつ馬鹿だけど悪い奴じゃないから怒らないであげてね」

「んだよ軽いジョークだろ」

「芦田は軽すぎ。名護くん転校生なんだから、真に受けちゃうかもしれないじゃん」

 久能はむぅと腰に手を当て芦田を叱る。眉をひそめて口を尖らせ、不機嫌そうに文句を言っていても可愛らしいのは美少女の特権だ。こいつらつきあってんのかな、と闘威は少し残念に思った。久能と芦田には身内のような気安さがある。幼馴染なのかもしれない。怖がられることが多くあまり女子と縁のなかった闘威からすれば、羨ましい限りだ。

「別に気にしねぇよ。グループ入ったぜ」

 スマホに表示された数字を見て、なんとはなしに言う。

「このクラス、三十五人いるんだな」

「え? 三十六人だぜ」

 芦田の返事に、闘威は片眉を上げた。

「あ? でもこれ人数が三十五になって――」

「あぁ、神子様が入ってないから。なんか畏れ多いじゃん」

「……は? いや、それって」

 ハブにしてると言うのでは。

 闘威は絶句して、まじまじとスマホの画面と目の前の二人を見比べた。

 ――こいつら本当はあいつイジメてんじゃね?

 しかし芦田の照れたような表情、久能の真面目な面持ちからは、悪気や罪悪感は微塵も感じ取れない。彼らはれっきとした細谷弘道の信者だった。

「なんかさ、俺らテレビの話とか、テストたるいとか言っちゃうんだよな。このクラス仲良いから、よくある派閥みたいなのもなくてさ、クラスのグループでみんなオープンに話してるんだ。でも神子様にそんなの見られたら恥ずいじゃん。それに、神子様は海パンの芸人のギャグにウケたりしないだろーし。優しいから、俺たちが馬鹿な話してても気ぃ使って合わせてくれるかもだけど、そんなん申し訳なさすぎだろ」

「はぁ?」

 そりゃねーだろ、と闘威は思った。明らかに『申し訳なさ』の基準がおかしい。同じく弘道に神気を感じる身として言いたいことはわからないでもないが、さすがにこれは酷い仕打ちだった。

「じゃあ大事な連絡とかあったらどうすんだよ。ミコサマだけ知らないでいんのか?」

「それは西野が伝えてくれるから大丈夫。あいつてきぱきしてるし、言葉づかいもちゃんとしてっから安心して任せられんだよな。俺なんかまだ尊敬語と謙譲語の区別もびみょーだよ。頑張って勉強してっけど、神子様と喋るときちょっとテンパる」

「つかタメだろ。敬語使うなよ」

「え、でも神子様だぜ?」

 まるでその言葉で全てが通じると言わんばかりだ。

 闘威は芦田から顔を逸らし、曲げた指の節でこめかみをぐりぐりと押した。一見まともに見えても、この学校に話の通じる奴などいない。元凶の弘道本人の方がまだ親しみが持てる気がしてきた。少なくとも彼は自分が崇拝されるのが当然だとは思っていない。自分を嫌っている人間にクラス替えを提案する程度の配慮もできる。

 弘道に対する敵意が失せたわけではないが、段々とそれはただの純粋な怒りではなくなってきた。結局のところ弘道は人間に過ぎないのだ。本人の言葉を信じるなら、自分の力をコントロールすることすらできていない。「友達みたいだ」と微笑んだ時に垣間見えたのは、仄かな憧れと諦めだった。彼の中学生らしくない静けさは、頼もしい落ち着きというよりは、むしろ緩やかな絶望のような――

「……ちっ」

 舌打ちして、闘威は迷走する思考を振り切るように激しく頭を振ったが、靄がかかったように曇る気持ちは晴れなかった。

 何かが噛み合っていない。怒るべき相手は弘道ではない気がする。だが、ほかにはっきりした敵も見当たらない。敵などいないのだろうか。それならこの怒りの矛先はどこに向ければいい? 何を倒せば自分は解放されるのだ。

 闘威が悩んでいる間にも、集団は滞りなく道を進んでいく。険しい表情をしている闘威を戸惑ったように見ながら、久能が話しかけてきた。

「名護くん、どうしたの? 具合悪くなった?」

「……や、へーき」

「そお? もうすぐ神子様の家だよ。ほら、あのマンション」

 久能が指さした先には、天高く聳え立つ巨大なビルが建っていた。二十階、いや三十階ぐらいはあるかもしれない。この一帯では屈指の規模だろう。

「でっけ……」

 闘威が見上げながら思わず呟くと、芦田は白い歯を出してにかっと笑う。

「すげーよな、億ション。俺もいつかあんなん住みてぇわー」

 邪気なく言う他愛無い夢に、久能がおざなりな口調で相槌を打った。

「芦田サッカー選手目指してるんだっけ? まぁ頑張ってね」

「うっわテキトーな応援どーも」

「どーいたしまして」

 二人の軽口を他所に、闘威は耳を澄ました。集団は一旦停止し、前の方から口々に別れの言葉が聞こえてくる。弘道に別れを告げることができた者から順にその場を離れていくようだ。

「じゃあね、みんな」

「はい、神子様」

「また明日」

「神子様、さようなら」

「み、神子様、もう少しご尊顔を拝見させてくださいっ」

「おい、お前、ご迷惑だろ」

 名残惜しそうに懇願する少年を、近くにいた別の者が引っぱって連れていく。

闘威も足を止め、自転車を道の端に寄せて久能達に言った。

「俺もこの辺で」

「え、神子様の家と近いの? いいなぁ。でもこの距離なら、自転車なくてもいいんじゃない?」

 毎度鋭い質問をしてくる久能にまたも言葉を詰まらせ、些か無理のある答えを捻り出す。

「……今日は、親いねーから親戚の家に泊まんだ」

「へー、そーなんだ。またね、名護くん」

「じゃーな」

 久能と芦田は爽やかに手を振って去っていった。さすがに不審に思われるだろうと覚悟していた闘威は、拍子抜けしながら二人を見送る。こんなに騙されやすい人間もそうはいないだろう。他人事ながら少し心配になるほどだ。そのおかげで闘威の下手な嘘もバレずに済んでいるのだが。

 二人の姿が見えなくなったのち、闘威はよく手入れされた植え込みの前で一人唸った。

 勢いで残ってしまったが、これからどうしたものか。弘道が何号室に入るかまで調べるのか? いや、無理だろう。こんなセキュリティが高そうなマンションにのこのこ侵入できるとは思えないし、そこまでする気もない。

 しかし細谷弘道、どこまでも予想の斜め上をいく少年である。あわよくば弘道の生活を垣間見て人間臭さを感じ取ろうと思っていたのだが、文字通り雲上人のような暮らしぶりらしい。とりあえず目的は果たせたから帰るか、と自転車に跨ろうとしたところで、背後から声をかけられた。

「名護くん」

 声だけで感じる異様な圧。見なくともわかる。弘道だった。若干気まずい気持ちで振り返る。

「んだよ」

「良かったら、うち来る?」

「……あ?」

「せっかくだから、寄ってけば」

 そう言って、弘道は柔らかく微笑む。闘威は目を見開いた。

「いいのかよ」

「うん」

 即答である。少しの躊躇もなかった。転校してきたばかりの、親しくもない柄の悪い男に対する警戒はないのだろうか。やっぱこいつ普通じゃねぇ、と闘威は思った。並みのおとなしい少年とは違う。動じないし、慌てない。肝が太いのか持ち前の博愛精神か――なんだ博愛って。

「っくそ!」

 闘威は頭を勢いよく自転車のサドルに打ちつけた。少し気を抜くとすぐこれである。初対面の時に感じた輝かしさは千分の一ぐらいにはなったものの、相変わらず弘道の周りは妙にきらきらしていて、事あるごとに聖人君子と思い込まされそうになる。

 弘道は、さすがに闘威の突然の奇行に驚いたようだったが、笑顔のままスルーして、闘威を導くようにエントランスに続く並木道を歩き始めた。


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