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次の日、教室に入って闘威が一番最初にしたことは、自分の机を弘道の机から離すことだった。本当は間に何人も挟んだ上でなるべく遠くにいきたいのだが、そうすると弘道の挙動を知るのが難しくなるので、五十センチほど距離を取るに留める。
「わ、狭っ。どしたの名護くん、何やってるの?」
割を食って狭くなった通路を通ろうとした久能が、不思議そうに聞いてくる。正直に答えても理解してもらえないに決まっているので、闘威は目をあらぬほうにやり、「あー……」と考えながら言った。
「俺、えーと、ほら、最近ちょーし悪くてさ。隣に迷惑かけたら悪いと思って」
苦しい言い訳だがまるきり嘘と言うわけでもない。
久能はぱちぱちと瞬きしたあと、にっこりと闘威に笑いかけた。
「名護くん、それって、具合が悪くなった時に倒れちゃうかもってこと? 大丈夫だよ、神子様はお優しいから、多分全然気になさらないと思うな。そういえば、名護くん昨日もなんか大変そうだったよね。保健室に行ったって先生に聞いたよ」
「お、う」
気まずい思いで頷く。気に喰わない奴は大体拳で黙らせてきたので、闘威は嘘をつくのに慣れていなかった。しかしこんな善意を前面に出してくる少女を力で従わせようとは思えない。
久能は、闘威の机の前に立って屈みこみ、小声で打ち明けるように言った。
「実はね、私最初は、名護くんが神子様の隣の席になってちょっと嫉妬してたんだ。だって今まで誰も神子様の隣には座れなかったんだもん。でも、今はちゃんと納得してるよ。先生はきっと、名護くんが神子様のお傍にいれば段々元気になってくれるはずって思ったんだね。私、名護くんが元気になれるように応援してるからね」
励ますような面持ちで言ってくる久能に、弘道の隣にいるとむしろ段々憔悴していくとは言えずに、闘威は引き攣った顔で曖昧な返事を返す。
「あ、お、ぅ、ありがとな」
「うぅん、名護くんって思ってたより――あ、神子様! おはようございます!」
突然体の向きをぐるりと変え、久能は飛び跳ねるような声で挨拶した。闘威は咄嗟に俯き机の右端をじっと見つめる。
「おはよう」
落ちついた声と、近くでがたりと椅子を引く音が聞こえたが、けしてそちらには顔を向けず、ただ一心に机の少しだけ削れている部分に気を取られている振りをする。二回の失敗を教訓に、闘威は弘道を直視しないことに決めたのだ。あの宇宙を宿す瞳と目を合わせなければ、少しは意識を保っていられる気がする。神性オーラは近くにいると否が応でも浴びてしまうので仕方ないとしても、せめて姿を視界に入れないようにしたい。
「ほら、名護くん、神子様がいらっしゃったよ。神子様とお話すれば具合が悪いのなんか吹き飛んじゃうんだから」
嬉しげに知らせてくる久能を無視し、闘威は頑として顔を上げなかった。こうしている間にも、左から感じる清涼な空気に浄化されてしまいそうなのだ。
――くそ、こいつ空気清浄機にでもなればいんじゃねぇの!? つーか空気清浄機になれ!
追い詰められたあまり考えが明後日の方向に飛んでいく。久能は不思議そうに闘威の顔を覗き込もうとした。
「名護くん、どうしたの? あのね、神子様が」
「久能さん」
「はいっ神子様!」
弘道の呼びかけに、久能はびしっと直立する。
「な、何か御用でしょうか」
「何もないよ。久能さんは元気だね」
「はっ、す、すみません、うるさかったですか」
「あ、気にしないで、元気なのはいいことだと思う。久能さんがいると明るい気持ちになれるよ」
優しく褒められ、久能はひっと息を呑み、両手で口元を抑えた。見る見るうちに瞳が潤んでいく。
「おっ、お褒めに与りまし、て……光栄ですうぅ……」
感動のあまり泣き出しそうな姿に、闘威はどん引きした。
ああはなるまいと自らの気を引きしめなおし、すぐ弘道賛美の方向に持っていかれそうになる思考を必死で繋ぎ止める。ぎしぎしと頭蓋が軋むような幻聴まで聞こえてきたが、前回相対したときほどの我慢できない苦痛ではなかった。
――やっぱ直接顔見なきゃちったぁマシになんだな。つーかさすがに三回目で慣れてきたのかも……よしイケる、イケっぞ!
痛む頭を押さえながらも、信仰を強いてくる圧力に抵抗し続けていると、未だ陶然としている久能の隣に誰かが並んだ。
「神子様、おはようございます。ご報告があるのですがよろしいでしょうか」
「いいよ」
弘道のさらりとした答えに、闘威は顔をしかめる。
――えっらそーだなこいつ。なよっちぃ喋り方してっくせに。あ、これ欠点になっかな? いや、ビミョー。
考えてみたものの、欠点というほどのものでもなかった。問いかける方が「よろしいでしょうか」と聞いてきているのだから「いいよ」か「だめ」としか答えようがないだろう。敬語に対してため口で答えたから偉そうに聞こえたわけだが、クラスメイトにため口で接するのは当然である。敬語を使ってくる相手の方がおかしいのだ。
闘威はなるべく弘道が視界に入らないよう、顔の左側に衝立のように手をあてて正面を向き、少しだけ顔を上げる。ちらりと左斜め前方を見やると、茶色がかった髪のすらっとしたイケメンがいた。肌が白く彫りが深めなので、ハーフなのかもしれない。
イケメンは恭しく弘道に頭を下げ、神妙な様子で話し始めた。
「実は、また非公認の信者団体ができていました」
「そう。手間で悪いけど、解散させてくれる?」
「畏まりました。しかし神子様、そろそろ限界です。神子様が注目されることをお望みでないのは重々承知しておりますが、その御威光にひれ伏す信奉者は日々増え続けています。皆、神子様に身を捧げていることを確かな形で表したいと願っているのです。どうか神子様ご公認の団体を作ってくださいませんか」
「……俺はそういう組織は止めて欲しいな。事を大きくしたくない」
「存じております。我々の我儘です。神子様はいてくださるだけでいいんです。実際に団体をまとめる実務は全て私がやります。お許しいただけないでしょうか」
「……今回の規模は」
「百人ほどです」
「そっか。さすがの樹里人も、百人が相手じゃ大変だよね」
「正直、いたちごっこです。もちろん私は、神子様の御為とあらば如何なる労苦とて厭いません。けれどこのまま秩序を持たない地下組織が増え続ければ、私どもの目を盗み神子様に害を及ぼす輩が出ないとも限りません。どうか御英断を」
イケメンの並べ立てる小難しい言葉に、闘威のイラつきは最高潮に達した。集中力のほとんどを対弘道に使っているので、平易でない表現をされると途端に理解できなくなる。
十秒ほど沈黙が落ち、もしや弘道も理解できなかったのかと闘威が思い始めた頃、はぁと小さなため息が場に落ちた。
「仕方ないか。いくつも団体があると混乱しちゃう人もいるだろうし。樹里人がちゃんとやってくれるなら、任せるよ」
「ありがたき幸せ。このような大役をお任せいただき歓喜の念に堪えません。西野樹里人、神子様の素晴らしき御世に立ち会えた幸運を噛みしめ、不肖ながら御身のため如何な困難にも立ち向かう所存です」
では失礼します、とイケメンはまた一礼すると、さっと身を翻し自分の席に戻っていった。大股に歩く動作は自信に溢れており、とても新興宗教に傾倒しているようには見えない。
闘威は、ぼんやりしている久能の手を掴んで注意を引き、尋ねた。
「なぁ、あいつ、いつもあんななん?」
「西野くん? うん、神子様と話すときはあんな感じだよ。ほかは普通に喋るんだけどね。自分のことも俺って言うし」
「へぇ……信者団体がどうとか言ってたのは?」
「あー、それね~。神子様のファンクラブみたいなものかな? 神子様が嫌がるから見つけしだい解散させてたんだけど、とうとう西野くんの手にも負えない規模になったっぽいね。そういうのって、狂信者って呼ばれてる人達が作ってるんだ。神子様のことが好きすぎてちょっと変になっちゃってるの。あ、私達はもちろん違うよ。神子様が嫌がることなんてしないもん。でも公認団体なら私も入りたいなぁ」
期待に満ちた眼で久能は西野のいる方を窺った。絵面だけは美形の同級生に淡い片思いをする美少女なのだが、実際は信仰する神の信者として認められることを願う敬虔なる信徒の図である。
しかし神子本人が良しとしていないにもかかわらず隠れ信者団体があるとは、学校中信者かもしれないという予想が洒落にならなくなってきた。真柴のように意味もなく弘道を敵視する者もいるとはいえ、全校生徒六百人の中での八人など物の数ではない。改めて弘道の規格外っぷりを思い知らされ、闘威は更に眉間のしわを深くした。だが、敵の強大さはもとより承知の上である。闘いとは勝つ確証があるからではなく、必要があるからするのだ。
闘威は、打倒弘道のため、授業中どころか休み時間でさえ一度も席を離れず、弘道の行動を監視し続けた。




