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 転校初日に早退した上、次の日無断欠席した闘威に、クラスメイトたちは意外なほど優しかった。

 教室に入った途端、「大丈夫!?」「体弱いのか?」「心配したよ!」と労わりの声がかけられる。

「はい、これ名護くんの鞄。無理しないで、具合悪くなったらすぐに言ってね。私保健委員だから、保健室に連れて行ってあげる」

 小柄な愛らしい少女に鞄を渡され、闘威はたじろいだ。少女は髪を二つのおさげにし、学校指定の黒いゴムで縛っている。もちろん化粧はしていないし、スカートも膝丈だ。洒落っ気の欠片もない様子だが、釣り気味の目とそれを縁取る長い睫毛、赤い唇が華やかな印象を与える。

 闘威はお礼を言いながら、素直に、彼女のことを可愛いなと思った。そして、これがフツーなんだ、とも思う。親切で容姿が整っている人間に好意を抱くのは自然だ。

 しかし隣の席の謎の少年、細谷弘道ときたら、出会った瞬間に異様な感銘をもたらしてきた。性格もろくに知らないうちから、慈悲深いとか偉大だとか思うのはおかしい。

 見た目だって、よくよく思い返せば特に際立ったところもない地味顔なのに、目を合わせた途端電撃が走ったように美しいと感じた。それは空や海、雄大な風景写真を見て抱く感慨と似ている。人智を超えた在り様に圧倒され、敬意が湧きあがったのだ。一介の男子中学生に何故そんな壮大な美を見出さなければならないのか、甚だ不可解な話だった。

 おさげの少女は、久能(くのう)沙弥(さや)と名乗り、闘威を気遣うように「今日学校案内するね」だの「授業の進み方が違うかもだから、わからなかったら言ってね」だの、あれこれ話しかけてくれた。だが、闘威はじきに現れるであろう強敵に備えて精神統一を図っていたため、その言葉のほとんどは耳を素通りしていった。

 ――いつ来る、一分後か、五分後か、本当に来んのか、今日は休みなんじゃねーか、いやそれは都合良すぎだよな、多分そろそろ来――。

 ガラッ、と前の扉が開く。反射的にそちらを見た闘威は、襲い来る安心感と畏敬の念に一瞬意識が飛びかけたが、咄嗟に内頬の肉を噛みちぎり、ぎりぎりのところで踏ん張った。

「っぐうぅ!」

 痛さに顔をしかめながら周囲を見渡すと、皆一様に恍惚とした表情を浮かべ、教室の入口に佇む弘道を拝んでいる。

「今日も神々しいな」

「神子様と同じクラスで良かった」

「神子様お美しいです神子様」

「ああぁ神子様と目が合った……!」

 傍らの久能も、闘威に接していた時のしっかり者らしい顔つきはどこへやら、潤んだ目でうっとりと弘道を見つめていた。

 その光景にぞっとすると同時に、これが当然の反応であり自分もそうすべきだという考えにずいずいと脳を侵食される。

 ――っるせぇ! やめろ、俺に関わんな! 俺の思考に手を出すな! てめぇの信者になんかなってたまるか!

 声に出さず絶叫し、闘威はがたりと立ち上がった。早く蹴りをつけないと、弘道を無性に崇めたくなる欲求に抗えなくなる。

 清らかだろうが神々しかろうがそんなことはどうだっていい。闘威は神にも(こうべ)を垂れるつもりはない。何人たりとも自分の上に立たせはしない。

「があああぁ!」

 ――てめぇなんかに……!

 強烈な怒りと切羽詰まった気持ちに後押しされ、闘威は弘道の前に飛び出す。素早く右手を振りかぶり、弘道の無防備な頬に拳を喰らわせようとした刹那、弘道が「あ、」と言った。

「名護くん」

 ふわり、と穏やかに微笑む。

 闘威は崩れ落ちた。もう駄目だった。何が駄目なのかはわからないが、とにかく駄目だった。この少年を殴れはしない。どんな危害だって加えられない。そんなことは到底不可能だ。人が神に逆らう事などできようか。

 どうしたの、と闘威に合わせてかがんだ弘道をそっと押しのけ、闘威は二度目の逃走に到った。ただし今度は走ってではなく、とぼとぼと歩きながらである。酷い敗北感がずしりと双肩に圧し掛かり、闘威の足取りを重くした。

 ――マジありえねーだっせぇ、でもあんなんどうやって勝つんだよ……尊すぎて触んのすらこえーよ……こんなこと思ってる時点で駄目じゃねーか。尊いってなんだ……きめえぇぇ。

 落ち込んでいる闘威の後ろから、とぼけた声が聞こえてくる。

「あれ? 名護くんどうしたのかな?」

「まぁそっとしといてあげよう」

「はっ、はい! 神子様がそう仰るなら!」

 教室から出て行く闘威を不思議に思った誰かを、弘道が制したようだ。どういうつもりなのかは知らないが、追いかけてこられないのはありがたかった。今は誰ともまともに会話できる気がしない。今まで生きてきた中で一番弱っている自覚がある。初めて、怒りより自分に対する失望が上回った。こんなんじゃ駄目だ。もっと強くならねぇと。  

 あまりに闘威が暗い面持ちなので、廊下で出くわした担任教師もサボリとは思わなかったようだ。

「名護くん、おはよう。保健室は一階の左奥だよ。大丈夫? 一人で行ける? なんだったら先生がついてこうか?」

 力なく頭を振ってそれを断り、闘威は教師の心配そうな眼差しに見守られながら階段を下りた。すっかり病弱な生徒と思われたようである。前の学校の友人に知られたら大笑いされそうだ。

 しかし、このまま今日もすごすごと家に帰るのはどうも癪に障る。せっかく薦められたのだし、保健室に寄って少し休んでから、また挑みに行くという手もあるかもしれない。

 闘威は教えられた通り一階に降りると左に進み、保健室に入った。養護教諭はおらず、開け放された窓から吹き込む風がクリーム色のカーテンを揺らしている。 

 勝手に寝よう、とベッドを囲むようにしてさがっているカーテンを開けると、先客がいたらしくお互い驚いて固まった。

「わ、り」

「いや、大丈夫、隣開いてるよ」

「おぅ」

 好青年然とした爽やかな少年だった。隣のベットに行こうとする闘威を、「あっ、ちょっと待って」と呼びとめる。

「もしかして、名護くん? 一昨日転校してきたんだよな?」

「あぁ」

「細谷に会った途端逃げたってほんと?」

「っ逃げてねっ……いや、まぁ、おぅ」

 肯定せざるを得なかった。ついさっき二度目の敗北を喫したばかりである。

 ――あれ、こいつ今細谷って。

 闘威は少年に向き直った。この学校に来て初めて、弘道のことを神子と呼ばない人間に出会った。教師でさえ神子呼びなのだから、そのカリスマ性たるや並大抵のものではない。それに引きずられていない者が、自分以外にもいるとは思わなかった。

 無人島で先住民をみつけた漂流者のような気持ちで、闘威は少年に期待を込めた眼を向ける。

「お前、名前は?」

「真柴俊英。逃げたのは正解だよ。名護くんって勘が鋭いね」

「まぁな……でも、俺はこのままじゃいねーぞ。負けっぱなしは性にあわねぇ」

「へぇ、頼もし―な。仲間が増えて嬉しいよ。この学校の奴はほとんどあの悪魔に汚染されててさ」

 真柴は苦々しげに言う。

「悪魔?」

「おぅ、すげー邪悪な感じすんだろ。みんなあいつが神聖なオーラ出してるって言うんだけどさ、洗脳されてるだけだよな。めっちゃ禍々しいじゃん。あんなんぜってぇ普通じゃねーよ。そのうち人殺すんじゃねーの?」

 毒気をたっぷり含ませた言い様に、闘威は首を傾げた。 

「……んだそれ。俺は、あいつの前に立ったら馬鹿みてぇに幸せになった気がしてそれがキモくて」

「マジ? 名護くんそれ完璧に毒されてるよ。俺邪悪さしか感じねぇもん。なぁ、俺たちの同志に会わない? 今んとこ五人しかいないんだけど、あいつのことおかしいってわかってる貴重な奴らなんだ」

「五人もいんのか!?」

 よくぞそれだけ集めたものである。闘威は驚いたが、真柴は不満そうだった。

「本当は、あいつに洗脳されてないのは八人いる、でもあとの三人は駄目だ。あの悪魔を怖がってて、とてもじゃないけど討伐に参加できない。気持ちはわかるから、無理にとは言えないけど……」

「討伐ってなんだよ」

 大仰な言葉が妙にひっかかり、闘威は尋ねる。話を聞くうち、真柴の弘道に対する敵意は、闘威のそれとは異なるような気がしてきた。支配への反発ではなく異物への憎しみだ。

 真柴は声を潜め、闘威に顔を寄せて、「名護くんを信用して話すけど」と切り出した。

「俺たちがどんなに言葉を尽くしても、一度洗脳されてしまった奴は戻って来られない。だから元凶を取り除くしかないんだ」

「取り除く? 細谷を転校させんのか?」

「それじゃ転校先の学校に迷惑かけちゃうだろ。そのままの意味だよ。悪魔を滅ぼすんだ」

 まるで芝居のセリフのようだったが、真柴はいたって大真面目な顔をしていた。闘威は身を引き、真柴を問いただした。

「……てめぇマジで言ってんのか」

「もちろん。俺だって最初はこんなこと考えなかったよ、なんとかして洗脳を解こうって、必死で頑張ったんだ。でも駄目だった。俺がつきあってた子も、悪魔に取り込まれて俺の言うことなんか聞いてくれなかった。それどころか神子様の素晴らしさがわからない人とつきあうのは無理って、こっぴどく振られた。結婚の約束までしてたのに……」

 中学で婚約とは大分気が早いな、と闘威は思ったが、口には出さなかった。それだけ真剣に好きだったのだろう。真柴の憎しみの裏には、恋人を取られた恨みもあるのかもしれない。

「もうみんなを救うにはこれしかないんだ。いくら悪魔だって今は人間の皮を被ってる。肉体が死ねば滅びるはずだ。とどめを刺すためにちゃんと色々揃えたんだ、銀のナイフににんにく、聖水、杭、十字架」

「……なんか違くね?」

 悪魔というか吸血鬼扱いである。

 闘威は段々馬鹿馬鹿しくなってきた。

「なぁ真柴、お前、細谷に何されたんだ? モトカノのことは置いといて、なんか酷いことされたのか?」

 真柴は、弘道のことを神聖だと思えないと言った。それなら何が問題なのか。あの忌々しい幸せの押し付けがないならいいではないか。闘威の純粋な疑問に、真柴は、信じられないというように目を見開いた。

「何言ってんだよ、悪魔なんだぜ。存在そのものが危険だろ。近くにいるだけで気分悪くなるよ。あんなの放置したら、そのうち日本、いや世界が滅亡するかもしれない。それにあいつ、俺があいつの邪悪さに気づいてんのわかってて、すれ違うと凄まじい目で睨んでくるんだ」

「へぇ」

 要するに、具体的には何もないらしかった。

 もっともそれは闘威も同じだ。弘道が直接闘威を痛めつけたわけではない。恐らく神子オーラに屈してしまえば、それはそれで幸せなのだろう。クラスメイトは皆にこにこと楽しげだし、細谷を中心に平和な世界が築かれているように見える。だが闘威が闘威であり続けるためには、闘いは避けられない。そしてその闘いは、相手を殺すなどという物騒な方法では制すことができないのだ。殴ると殺すでは根本的に違う。闘威が求めているのは、相手が負けを認め自分を自由にすることであって、相手の抹殺ではない。

 闘威はため息をつき、真柴から距離を取った。

「わり、俺お前の仲間じゃねぇわ」

「は!? なんでだよ、細谷のスパイだったのか!?」

「んなわけねーだろ馬鹿。俺寝っから、騒ぐなよ。おやすみ」

 ベッドに潜り込んでカーテンをしゃっと閉め、勢いよく布団を被る。自宅の煎餅布団と違ってふかふかの感触が心地よい。疲れも相俟って、よく眠れそうだ。

 結局、先住民とはわかりあえなかった。仕方がない。価値観がちっとも噛み合わないのだから。闘威からしてみれば、弘道を神子と呼ぶ者も悪魔と呼ぶ者もあまり大差はない気がした。どちらも主張が極端に過ぎる。しかもその根拠となるものは、単なる感覚に由来しているのだ。

 睡魔に侵され薄れゆく意識の中で、いつでも連絡して来いよ、と笑う友人たちのふてぶてしい顔つきが懐かしく思い出された。



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