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ショッピングセンターを併設し、更に電器店や大型スーパーとも繋がった巨大な駅は、大き過ぎてどこからどこまでが駅なのかもはや判別がつかなくなっている。入り乱れた看板、枝分かれする通路、沢山ある出口。故に駅付近で待ち合わせをするなら、わかりやすい目印を目標にする必要があるのだ。
駅前広場の一角に置かれた不思議なオブジェは、その役割を充分担っていた。赤と黄色に塗られた太い鉄の棒がぐにょぐにょと曲がったり折れたりしているその様は、何を表しているかまったく読みとれなかったが、とにかくやたらと大きくて目につくので、遠くからでもすぐにわかった。午前一時五分前、闘威はオブジェの前に立って腕時計を見ている弘道をみつける。近づくと、気づいた弘道が少し緊張したように挨拶してきた。
「トーイ! お、おはよ」
「よ」
闘威はするすると自転車を滑らせて弘道の前で降りる。
「私服見んの初めてだな」
「うん」
闘威はアメカジ風のロゴが入った大きめのTシャツと群青のデニムジーンズ、腰元にチェックのシャツを結ぶというラフな格好だ。動きやすさと着やすさを重視し、変に見えなきゃそれでいいという適当な趣旨の元選んできた。
弘道は白いワイシャツの上に紺が基調のアーガイル柄のニットを着て、胸元に記章のようなバッジをつけている。下はスルリとした素材のベージュのスラックスを穿き、足元は焦げ茶の本革ローファーだった。自転車に跨るよりもタクシーの後部座席に座っている方が似合いそうだ。
「金持ちオーラすげぇな。一瞬でカモられんぞ」
「かもられる?」
「カツアゲされるってこと。因縁つけて金取られんの」
「へぇ。そういうのはされたことないな。俺のこと見た人は、拝むか存在を消そうとするかの二択だから」
「そーいやそーだった」
闘威は笑って、弘道の自転車を見た。ギアは六段階、籠などの余計な物はついていない。細身ですっきりしたフレームは軽そうだ。おそらく、それなりに性能のいい自転車なのだろう。
「すげー飛ばせそーだな、これ」
「俺、まだこれ三回ぐらいしか乗ってないから、飛ばすのはちょっと」
「……自転車、乗れんだよな?」
「乗れるよ。小三で補助輪が取れた。中学生になった時にこの自転車に買い換えたんだ。でもあんまり使う機会なくてさ」
「もったいねーことしてんなぁ」
闘威が自分の自転車に乗りなおすと、弘道もオブジェの横に置いていたシックな濃緑のリュックを背負い、サドルに跨り闘威の後ろにふらりとついた。
ほぼ乗っていなかっただけあって、弘道の走りは若干不安定だった。闘威が定期的に振りかえり弘道に合わせていないと、ぐんと距離が引き離されてしまう。おかげで闘威の家に辿りつくまで普段の倍は時間がかかったが、闘威はいつものように赤信号でイラつくこともなく、なんと舌打ちを一度もしなかった。イライラする余裕もないほどハラハラしていたことが原因だろう。弘道は大丈夫だと言い張っていたが、たまに変な方向に飛び出しそうになるので目が離せなかったのだ。
「お前ばっかじゃねぇの! なんで車来てんのに行くんだよ!」
「ご、ごめん、あの車左折しそうだったから」
「左折すんならウィンカー出すだろ! 頼むから道渡る時は周り見て――あぁ、もーすぐつくぜ」
そう言ってこぎ方を緩やかにする闘威の後ろで、弘道も自転車の速度を抑える。それから百メートルほどいったところで、闘威はブレーキをかけた。薄汚れた外壁の、年季がいった二階建てアパートの前で降りる。 キッと車体を軋ませながら、一階の左から二番目のドアの横の壁に自転車を寄せ、ポケットから鍵を取り出してドアにガチャガチャと差し込んだ。
鉄製の錆びて赤茶けた外階段、へこみのできたドア、土台のコンクリートを破って顔を出したタンポポ。一目で、手入れされていない古い建物だとわかる外見だが、住めば都である。これに慣れきっている闘威は、特に不満もない。
ドアを開けるとそこはもうリビングであり、足元にある申し訳程度の土間にはヒールの高いミュールとパンプス、薄汚れたサンダルが散乱している。
こうして改めて見ると、やはり弘道の家とは雲泥の差だ。元々さして広くもない部屋が、食器棚やテーブルセットが置かれることでさらに窮屈な印象になっている。びっくりしてっかな、と闘威が振りかえると、弘道はいつもどおりの真顔に近い微笑みを浮かべていた。動揺の欠片もない。
「……お前、なんつーか、あれだな、ポーカーフェイス」
「え? そう?」
「あぁ。ま、いーんだけどな。うちはヒロんとこみてぇ洒落てねーけど、一応掃除はしてあっから、てきとーに座ってな」
「うん。お邪魔します。あ、トーイ、これ」
弘道は靴を脱いで丁寧に揃えると、リュックから藤色の紙袋を取り出し、更にその中に入っていた横幅三十センチ縦幅十五センチほどの箱を差し出した。箱を包む包装紙には優美な花束の絵がプリントされている。
「つまらないものですが」
「……たっかそ」
「貰い物だから気にしないで。ただのクッキー」
「つってもこれデパートの包装だろ」
「人の家に遊びに行くなら何か持っていった方がいいって、ネットに書いてあった」
「俺何も持ってってねぇしこれからも多分無理だぞ」
スナック菓子ぐらいなら買えるが、明らかにこの品がよくてお洒落なお菓子詰め合わせには見合わない。
「俺が欲しがってないからいいんだよ。トーイはこれ欲しくない?」
「欲しい。けどないならないで別に」
「じゃあ一緒に食べよ」
弘道ははずんだ声で言って箱の包装を剥がし始める。なるほど、こいつただ単にダチと菓子食うってことがやりたかったんだな、と闘威は理解した。そういえば弘道の家ではちゃんとした食事は出されたが、お菓子は食べていなかった。
「わかった、貰うわ。あんがとな」
冷蔵庫を開けて、人に出せそうな飲み物を探す。
――麦茶あったよな。……洋菓子に合うか? 無理だな。あとは酒、牛乳、めんつゆ、は飲みもんじゃねぇ、水出した方がましかもしれん。
闘威は弘道に向き直り、謝った。
「わり、水か牛乳しかねぇ」
「俺牛乳好きだよ。もらっていい?」
「おー」
百円ショップで買ったごついマグカップに牛乳を注ぎ、弘道に渡す。
「なー、ゲームやろーぜ。お前やったことある?」
「あるよ。同じ色の丸を四つくっつけるやつとか」
「へぇ」
「落ちてくる球を跳ね返してブロックを崩していったり」
「ほかには?」
「ブロックを嵌めこんで列が揃うと消えるやつ」
「単純ゲーばっかだな」
「延々とやってた。ああいうの、なんも考えなくていいから楽なんだよね」
「ヤバくね? 飽きんだろ」
「ずっとやってると馬鹿になったような気がするのがいい」
「うーわ、それ馬鹿じゃねぇ奴が言うと感じわりぃぞ」
闘威が茶化すと、弘道は苦笑して視線を落とした。テーブルの中央に箱を置き、慣れた様子で紙を剥がすと、個包装されたクッキーを一枚取り、ぺりぺりと袋を開けながら物憂げに言う。
「俺ほんと、そんなに頭良くはないんだよ。神子扱いされてなかったらこんなに勉強頑張らなかったと思う。『神子様』が成績低いと先生の方が責任感じちゃって大変なことになるから」
「なんで? あ、神子様にいい点取らせなかった自分が悪いって思うのか?」
「そう。辞職するって言いだしたり、修行に出ますって書き置き残して失踪したり、ほかの生徒とか保護者に責められてノイローゼになったり」
「お前の影響力ハンパねーな」
「うん。……ハンパねーんだ」
弘道は少し低めの声で言い、ちらりと闘威を窺い見た。闘威はそれになんの意味があるのかよくわからなかったが、気まずそうにぎこちなく笑う弘道の様子に、やっとふざけたのだと気づく。まさかこの真面目な少年がそんなことをするとは思わなかった。
「あ、おま、お前、なに今の?」
「えっと、トーイの真似してみたんだけど……」
「マジか! 似てねー」
はは、と闘威はそのあまりの似ていなさが逆におかしくなって口角を上げる。ふざけ方がわかりづらいのは、きっと初めてこういうことをしたからだろう。いつも人に囲まれているからつい忘れそうになるが、弘道は友達がいなかったのだ。手探りで『友達』の距離感を模索している。
ゲーム機を繋げるため、闘威は弘道に背を向けてテレビの前に屈み込んだ。縺れたコードを引っ張ってほぐしつつ、胸にじわりと暖かさが広がるのを感じる。
物真似は少しも似ていなかったが、嬉しかった。弘道は少しずつ、『神子様』を抜け出そうとしている。闘威の前なら、素を出して弱い部分も隠さず、ついにはふざけようとすらした。
そうしてもいいと、そうするのも楽しいと思っているのだ。大きなソファの上で、何もかもを諦めきった顔で項垂れていた姿からは想像もつかない、無邪気で気軽なやりとり。そういうものを積み重ねて、少しでも弘道が楽になってくれればいいと、闘威は思った。




