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 呼び出されているのは弘道の携帯だった。充電ホルダーから携帯を取ってきた弘道は、ごめん、電話出るね、と断りを入れ、通話ボタンを押す。少し離れた場所に座っている闘威には相手が何を言っているかはわからなかったが、漏れ聞こえる声の調子からすると随分と取り乱しているらしかった。

「はい、細谷です……篠崎くん? …………そう、それは大変だね。………うん、わかるよ。でも俺の話題を出さなければいいんじゃないかな? ……ありがとう、篠崎くんの気持ちは嬉しい。でも君のお父さんは…………そうだね。……うん。…………そうだよ。喧嘩は良くない。お父さんはちょっと気が立ってたんだね。元々優しい性格なんでしょ? 篠崎くんも酷いこと言っちゃ駄目だよ。…………泣かないで、大丈夫。わかってくれるよ。……うん。…………良かった。じゃあ月曜日、学校で会えるのを楽しみにしてるよ。……そうだよ、頑張って」

 闘威はやることもないので、弘道が浮かべている作り笑いをぼんやりと眺めていた。神聖オーラに惑わされていた時はあんなに優しげに見えた笑顔も、今では何もかも拒絶している仮面のように感じられる。要するにあれは鎧なのだろう。他人も自分も傷つけないために纏う防具。

 電話は十五分以上続き、弘道は幾度も同じ言葉を繰り返す。穏やかに言い聞かせた甲斐があり、通話相手は徐々に大人しくなっていった。

「もう大丈夫だね、篠崎くん。うん、君が悪いわけじゃない。でもお父さんも悪くないんだよ。……そう、そうしよう。じゃあね」

 通話を切り、携帯をごとりとローテーブルに置いたあと、何故か弘道はぼんやりと虚空を眺めている。

「ヒロ」

 闘威が呼びかけると、ゆっくりと闘威の方を向き、薄く微笑んだ。 

「……あ、うん」

「なした」

「なんでも、ない。えっと、何の話してたっけ?」

「忘れた。今の電話、あれか、誰かの相談?」

「そう」

 会話はできているものの、心ここに非ずといった風情の弘道に、闘威は顔をしかめた。壮絶な修羅場を打ち明けられても平然としていたのに、一体どんな相談を聞いたらこうなるのだ。

「電源切っとけよ。家にいる時まで相手しなくてもいんじゃねぇの」

「普段はみんなかけてこないんだ、樹里人が怒るから。篠崎くん相当切羽詰まってたみたい」

「そーか? お前がいいなら構わねぇけど、なんかキツそーだぜ。無理すんなよ」

 無理なんか、と言いかけた弘道の表情は、闘威と目が合ったとたん強張った。

「……ごめん」

「なにが」

「なんか、我慢できない、かも」

「は?」

 闘威は片眉を上げ、平然と言い放つ。

「しなくていんじゃねぇの?」

 自分に我慢を強いるようなものは全てぶっとばしてきた少年の、向こう見ずな強さがそこにはあった。

 弘道は目を見開き、泣きそうに顔を歪めたあと俯く。力が抜けた体はずるずるとソファからずり落ちて、ラグの上に着地した。そのまま身を守るように背中を丸めて体育座りになり、膝を抱えその間に顔を埋める。

「……ちょっと、ヤなこと、言ってもいい?」

 くぐもった覇気のない声だ。闘威は本来陰気な話は好きではなかったが、今は弘道が抱えているものをどうにか吐き出させたい気持ちになっていた。

「愚痴か? いーぜ、言っちまえ」

「……愚痴っていうか、俺がヤな奴なんだ」

「へぇ?」

「……休み時間とかにね、俺のとこに人が集まってくるでしょ。いろんなことを相談される。でも正直、俺はあんまり真剣にアドバイスしてない」

「え? そーか?」

 そんなことねーだろ、と闘威は首を傾げた。見た限りでは、弘道は何を聞かれてもきちんと答えていたし、いいかげんな内容ではなかったように思う。

 だが弘道は、俯いたままぼそぼそと身も蓋もない内情を明かしていく。

「というか、人にアドバイスできるような力量がないんだよ。たいした経験もしてないし、親身になって寄り添ってあげるには人数が多すぎる。当たり障りない常識的な答えを無難な言い方で出してあげてるだけ。俺の言うとおりにして不幸な結果になったらと思うと、怖すぎて碌な事が言えない」

「や、んなマジに考えんなよ、結局どうするか決めんのはそいつらだろ。ヒロが責任取ることじゃねぇ」

「……ありがとう。俺も、そう思いたい。大抵の人は、俺が優しくしただけで喜んで満足してくれる。何一つ解決してなくても、一応前向きにはなる。でも篠崎くんは違う。……たまにいるんだ、俺が原因で仲が悪くなる人達が」

 額を膝に擦りつけ、殻に籠るように弘道は身を縮めた。闘威からはつむじしか見えない。少し長めの髪がさらりと膝下に落ちる。

「それは、家族だったり友達だったり恋人だったりする。元々は仲がいい。何も問題ない。俺に会いさえしなかったら。片方が俺の信者になって、片方が俺の敵になる。そしたらもう、その二人は、永遠にわかりあえない」

「あー、そーいう」

 闘威は納得した。保健室で会った真柴を思い出す。異様に弘道を敵視し排除したがっていた少年。彼はそれで恋人に振られていた。

 通常、多少価値観の相違があっても、元々仲が良ければ、なんとか妥協点を見出して関係を続けることができる。しかし弘道に感じる畏怖は、そんな生易しいものではないのだ。弘道こそが神の化身と信じる者と、弘道を蛇蝎の如く忌み嫌う者、両極端に振りきれた感性は相容れることができない。

「いつもはもっと冷めてられるんだよ。俺が無理に崇めさせてるんじゃないんだから、少しぐらい期待裏切ったっていいやって思うこともある。でもこういうことがあると、俺のせいで酷いことが起こると、なんかもう、どうしたらいいのかわかんない。……俺がいなきゃ、普通なのに」

 弘道の言葉は次第に暗く内罰的になってく。

「結局、みんなじゃなくて俺が変なんだ。俺だけが――俺さえ消えれば」

「あ゛? ざっけんなよ!」

 闘威はローテーブルを勢いよく足で押しやった。反対側に座っている弘道の膝下にへりが当たり、がっと鈍い音をたてる。

「……いたい」

 そろそろと顔を上げた弘道は、弱り切った表情で苦しげに闘威を見上げ、鼻を啜った。

「だって俺がいなければ」

 情けなくも涙声だ。闘威はため息をついて、口を開く。

「お前のせいじゃねぇよ。なんもしてねぇじゃん」

「……でも、俺の存在が影響してる」

「お前がいて救われた奴だっているだろ。俺は、自分の意思が塗りかえられんのは我慢できねぇけど、素直にお前を拝んでたらすげー幸せだったろうなって思うよ。神様に自分を認めてもらえるなんて最高だろ」

「でもトーイの言うとおり、俺は全然完璧じゃないよ。完璧じゃないものを完璧だと思い込むのって本当に幸せなのかな」

「さぁな。俺はヤだけどそれがいいって奴もいんだろ。どっちにしろお前が気にすることじゃねぇ。勝手にやってろって話だ。だからお前だって勝手にやりゃいい」

 至極当たり前のことのように闘威は言い切る。弘道の両肩を掴み、顔を覗き込んだ。

「もっと好きに生きろよ」

「……うん」

「考えたって仕方ねぇことは考えなくていーだろ。お前が悩んだって悩まなくたってあいつらはあのまんまだ。まぁ俺がいるからにはちょっとはマシにしてやっけどな! とりあえずそーいうのはあいつらが俺らのタメ口に慣れてからだ。辛気臭ぇ話じゃなくてさ、楽しいこと話そーぜ。やりてぇこととかさ。何がしてぇの、ヒロ」

「……なんだろ」

 弘道は、陰の残る顔でぼうっと闘威を見た。

「なんでもいーさ、くだんねぇことでも。お前の信者に止められてたこと、全部やってやりゃあいい」

 焚きつけるように言う闘威に、弘道はふわふわと視線を彷徨わせ、焦点の合わない目でぽつりと呟いた。

「なんでも、いーなら」

「あぁ」

「……一緒に、」

「うん」

 相槌を打つ闘威に励まされるように、弘道はゆっくりと口を動かす。折りたたんだ足に両腕をぎゅっと回し、囁くような声音で言った。

「遊園地、行きたいなぁ」

「おし。行こう」

 間髪いれず闘威は答える。

「……ほんと?」

「でも今月は無理、小遣い使っちまった。来月な」

「お金ぐらい出すよ」

「やめろ。そーいうのは駄目だ、なんか」

 きっぱり断る闘威を、弘道は不思議そうにじっと見つめる。

「なんで? 俺別に無理してない。俺のために行って貰うんだし」

「だからそれが駄目なんだよ。お前のために行くんじゃねーの。俺が、ヒロと行きたいから行くんだよ。自分で出すのはとーぜんだろ」

「そっか」

「どこ行きたいか調べとけよ。俺は長いジェットコースターあればどこでもいーわ」

「わかった。俺もジェットコースター好き」

「あ、遊園地行ったこと自体はあんだ」

「クラスのみんなと」

「あー……」

 闘威はなんとなく察した。家族サービスならぬ信者サービスだ。

「でも西野とか止めそうだよな。あいつやたら過保護じゃん。遊園地って人混みすげぇから踏まれたり押されたりあんだろ」

「それはまぁ、周りを何人かが囲んでくれて……うん。一緒に行った子たちには悪いけど、あんまり楽しくはなかったんだよね。ゴンドラは落ちるかもしれないから駄目、ジェットコースターも危ないから駄目って言われて。俺がジェットコースターに乗るのが憧れだったって食い下がったら、一回だけならって渋々許してくれた。でも水がかかるのは風邪ひくから御為になりませんって」

「うっぜえぇ」

 闘威は、うげ、とうんざりしたように舌を出した。

 小学生でもそこまで制限されないだろう。なんて楽しくないレジャーなのだ。はしゃげない遊園地など行く意味があるのか。弘道が無邪気な子供でいられたのは、一体いつまでだったのだろう。柔和な笑顔を張り付けて信者の望むように生きざるを得なくなったのは。

 苛立ちが湧きあがるとともにたまらなく切ない気持ちになり、心臓がきゅうと収縮する。慣れない感情を振り切るように、腕を伸ばして弘道の頭を軽く掻き混ぜた。

「今度は好きなもん乗って遊ぼーな」

「うん」

 相変わらず弘道は手を払いのけない。それどころか目を閉じて黙って受け入れている。

 こいつ、俺がすること拒否っちゃ駄目とか思ってんじゃねぇかなぁ、と闘威は思い当たった。なんせ弘道は今まで友達がいなかったのだ。友達は相手のやることを受け入れるものと思っているかもしれない。それは闘威の望むところではない。闘威は人の言いなりになるのも、人を言いなりにさせるのも嫌いだった。

 だが、ここで闘威が「俺の言いなりになるな」と言って弘道がそれに従えは、それはそれで闘威の命令通りに動いたという事になる。ややこしい。闘威は眉根を寄せ、考えるのが面倒になって乱暴に弘道の頭を押しやった。弘道はぱちりと目を開け、きょとんと小首を傾げる。

「トーイ?」

「あのさ、やだったら言えよなぁ」

「え、やじゃない、よ、全然」

「……そーなん」

 それはそれで気まずい。弘道が人慣れしていないせいか、闘威が当たり前としてきたどつきあいのコミニュケーションが成り立たず、一方的に構っているような構図になってしまう。手を出さなければいい話なのだろうが、口で感情を伝えるのは苦手なのだ。

「……帰るわ」

 会話に詰まって口走ると、弘道は「そう」と言って時計を見た。六時五分。真っ暗になる前に家に入りたいなら、確かにそろそろ帰った方がいい時間だ。闘威が立ち上がるのを追って、送り出すため玄関に向かう。

「トーイ」

「んあ?」

 あがりかまちに腰かけてスニーカーの紐を結んでいた闘威が振りかえると、弘道は例によってまた、あの少し緊張した様子で問いかけた。

「明日、は、予定ある?」

「ねぇけど。お前、毎日人が家に来て疲れねぇの?」

「疲れる」

「だよな」

「でも凄く楽しい。トーイとずっと話してたい」

「マジか」

「うん」

 弘道は幸せそうに控えめな笑みを浮かべる。変な奴、と思いつつ闘威も嫌な気はしなかった。

「つっても毎回お前ん家なのもな。俺ん家来っか? たいしたもん出せねーけどさ」

「い、いいの」

「いーぜ。あー、ただクズが一人いんだよな。まぁ酒やっときゃ黙ってんだろーけど」

「くず?」

「親父。奥に押し込めとくから会わねぇ方がいいぜ」

「そう」

 よくわかっていない顔で、弘道は相槌を打った。闘威は少し不安になったが、もしあのクズがなんかしてきても気絶させて縛っときゃいーだろ、と考え、弘道を招くことに決めた。

「じゃーどっかで待ち合わせるか? 駅前にさぁ、変な黄色いオブジェあんじゃん。あの前とか」

「わかった。時間は?」

「一時どう?」

「大丈夫。自転車で行った方がいい?」

「だな。けっこ遠いぜ」

「俺あんまり速くこげないかも」

「急がねぇからいーよ。じゃーなー」

 手の込んだ内鍵をはずしてドアを押し、闘威は弘道に軽く手を振って別れる。普通に接していても常時弘道の神聖なオーラに抗っていなくてはならないので脳に熱が籠ったような疲れが広がっていたが、何故だか別に嫌ではなかった。助けて欲しいとはけして言わない弘道が、祈るようにひたむきな目を向けてくると、なんとかしてやらなくちゃな、という気になってしまう。

 闘威の弘道に対する態度は、これまでの彼の人付き合いから比べると幾分立ち入りすぎていた。しかし今のところほかに弘道と対等に接することができる者がいないのだからしょうがない。闘威だけが弘道の味方になれるのだ。その事実は、闘威に、弘道への同情と信者への苛立ちと、どこかくすぐったいような気恥ずかしい気持ちを抱かせた。


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