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 「まだお母さん帰って来ないの? 大変だね、でも名護くんと一緒に帰れて嬉しいな」という久能の優等生的な歓迎の言葉で迎えられた第二回下校時大名行列は、「いつでもライン入って来いよ、みんな待ってんぜ、あ、また神子様に触ったら今年度ずっと日直やらせっかんな」という芦田の捨て台詞で締めくくられた。日直程度で勘弁してくれる芦田は、きっと弘道の信者としては優しい方なのだろう。西野なら「死を持って償え」などと言い出しかねない。

 その西野は、幸いなことにこの行列には参加していなかった。家が反対方向にあり、なおかつ生徒会に所属しているので放課後も色々と忙しいらしい。

 闘威は昨日と同じように、ほかの者が帰ったあとで弘道に連れられ、豪奢な空間を通り抜けて弘道の部屋に入った。

「どうする? すぐ食べる?」

 まだ夕飯にするような時間じゃないけど、と弘道が問いかけると、育ち盛りの男子中学生である闘威は、一も二もなく頷いた。

 出されたのは、当然のようにチルドではなく皮から手作りした焼き餃子だ。弘道が軽く焼きなおし、食欲をそそる香ばしい匂いを立ち上らせたそれは、瞬く間に全て二人の胃に収まった。もっとも割合としては闘威の方がずっと多かったが。

「なんか悪ぃな、お前の分取っちまって」

 ぱりっとした皮の中には熱々の肉と野菜が詰まっていて、それが口の中で酢醤油の酸味と混じり合うのが堪らない美味しさだった。ついひょいひょいと口に入れてしまう。

「いーよ、むしろトーイが食べてくれて良かったよ。いつも沢山持ってきてくれるからなかなか消費できないんだ」

「お前食う量少ないもんな」

「普通だと思うけど……」

 弘道は心外そうに言うが、この年頃の男子としては弘道の方が少数派だろうと闘威は思う。あまり体を動かさないせいか、闘威から見ればちまちました食べ方をしていて、よくそれで次の食事まで持つなと感心するほどだ。

 昨日と同じように食器を食洗機に入れて、闘威は明るいリビングを見渡した。

 ――めっちゃすっきりしてんな。

 なんだろう、何かが引っ掛かる。モデルルームのように綺麗で整った明るい部屋。お洒落なインテリアや小物が完璧に配置された空間は、手入れが行き届き過ぎて生活臭がない。

 ローテーブルの下に置かれた籐のラックにつっこまれているのは、国語の参考書と新聞と『たのしいおりがみ②』だった。よくわからないラインナップだ。後ろ暗さの見当たらない部屋に首を捻り、闘威は弘道に尋ねた。

「なぁ、お前エロ本とか持ってねーの?」

「エロ本?」

「あ、ネット派? 楽だもんな。動画も見れるし。何系好き?」

「え?」

「だから、あんじゃん、色々。かてきょとかナースとか。俺は見た目よきゃあんま気にしねーけど。あ、マニアック過ぎんのは勘弁。虫プレイ最悪だったわ。マジキモかった」

「ごめんトーイ、何言ってるのかよくわからない」

「は?」

「何の話してるの?」

 不思議そうに聞いてくる弘道に、闘威はぽかんと口を開けた。                 

「……お前、まさかAV知らねーのか」

「知らない」

「そん……マジか……」

「AVって何?」

「ええぇ……そっからかよ」

 どーいう育ち方したんだこいつ、と呆れながら、闘威は端的に答えた。

「男と女がエロい事してる映像。男いねーことあっけど」

「おもしろい?」

「おもしろ、くはねぇな、別に」

「なんで見るの?」

「そりゃエロい気分になりてぇからだろ」

「へぇ」

 平坦な相槌に気が抜ける。闘威はどさりとソファに腰をおろし、どうにも腑に落ちていないらしい淡白な少年に説明した。

「ふつー俺らぐらいになりゃエロいこと考えんだろ、しかもお前一人暮らしで隠れる必要ねーし」

「そうなの? 俺そういう話わかんないんだよ、周りが教えてくれなくて」

「あぁ?」

「俺が知ってる知識なんて保健体育止まりだよ。なんかそーいう話してるっぽいなって思っても俺に気づくとみんなやめちゃうから」

「あー」

「一度偶然、漫画雑誌のグラビア?かなんかを見かけたんだけど、すぐに三人ぐらい男子が飛んできて『神子様のお目汚しをしてしまいすみません』とか『不浄なる我等をお許しください』とか言われて土下座された」

「うっわ」

 ここでも信者が出てくんのか、と闘威は天を仰いだ。

 ――マジでクソじゃねぇかあいつら、こいつに一生童貞でいろってか。

 この歳で性的なことに関心を持つことを禁じられるのは辛い。『神子様』は清らかなんだと信じ込む信者の気持ちがわからないでもないのが、また腹立たしい。闘威とて、弘道に初めて邂逅し逃亡したあの帰り道、歓楽街に辿りついて、ここには弘道はやって来ないとほっと胸を撫で下ろしていたのだ。 

 苦い顔になる闘威を気にせず、弘道もローテーブルを挟んだ向かいのソファに沈む。

「だからなんとなく、俺はそういうの知っちゃいけないんだなって」

「つっても知らねぇからって性欲はなくなんねーじゃん。オナったりは?」

「おな?」

「ちんこ触んの」

 あぁ、と弘道は頷いた。

「なんか、たまに気持ちがぶわって高ぶることがあって、そういうときは触るよ」

「そんだけ?」

「うん」

「なんか想像したりは?」

「特に」

「あっさりしてんな。じじいかよ」

「へ、変かな」

「いやいーけどよ。じゃあエロは置いといて、好きな子は? あ、昨日言ってた施設の人以外で」

「……昔はいたけど」

「おぅ」

「俺がつきあってって言うと簡単につきあってくれる」

「いーじゃねーか」

「最初は嬉しかった。でもあんなの恋人じゃない。俺のこと好きなわけじゃないんだ。俺が言うなら、つきあうのが正しいことなんだって思ってるだけ」

「わかった、もう言うな」

 闘威は左の手のひらを前に押し出し、瞠目した。

 聞けば聞くほど悲惨である。なるほど、性的なことに消極的なのも無理はない。性欲がないというよりは色々諦めきっているのだ。

「トーイは? つきあったことあるの?」

「ねぇよ」

 その辺はあまり触れられたくない。自分は聞いたくせに不機嫌になって答えると、弘道は真顔で「嘘」と言った。

「嘘じゃねーよ。こんなんで嘘ついてどーする」

「でもトーイモテそうだよ」

「そーか? 西野みたいな奴だろ、モテんのは。あと芦田とか」

「トーイの方がかっこいい」

「……それあいつらの前では言うなよ?」

「うん」

 弘道は頷いた。言ったが最後とんだ騒ぎになるだろうということは本人が一番よくわかっている。

 恐らく弘道は今のところ唯一の友人である自分を贔屓目で見ているのだろうと闘威は推測したが、かっこいいと言われて悪い気はしなかった。表情を軟化させると、弘道が重ねて聞いてくる。

「でもトーイ、もしかしたら告白されなかっただけで好かれてはいたかもよ。仲良い子いた?」

「いねぇ。多分怖がられてたんじゃねーかな。知らんかったけど、俺二年の頭になってたらしいし」

「頭?」

「あー、まとめ役っつーの? まとめた覚えはねーけどな。喧嘩強ぇとかそーいう意味かも」

「喧嘩するんだ」

「ムカついたら」

「転校って、そのせい?」

「おぅ。生徒指導の先公がな、ヤクザかよっつー見た目でグラサンかけてて竹刀持って歩く奴で、すげー柄悪ぃんだよ。で、みんなそいつにはあんま逆らわねーから普段からやたら偉そーな態度なんだ。そいつが俺に、最近生意気とか制服のボタン止めろとかガキはおとなしく従えとか言ってきたからつい一発ガッと」

「へぇ」

 弘道は顔色一つ変えなかった。闘威は片眉を上げて意外そうに言う。

「暴力は駄目とか言わねーんだな、お前」

「殴ったのは一発だけ?」

「や、もっと。一々数えねぇよ、そんなん。そいつ竹刀ぶん回してっから俺も机投げたりしたし」

「ふぅん」

「バケツが一番役に立ったな、うまく頭にハマったんだよ。ちょっとだけど視界奪えんのはいい」

「色々使うんだね」

「いつもじゃねーけどな。あいつは強かったし、俺よりでかかった。使える手はなんでも使うさ。まぁ、思ったより怪我させちまったのは失敗だったけど」

 なまじ実力者が相手だったものだから全力で喧嘩し過ぎて、入院させる破目になってしまった。闘威としてはもう自分に干渉してこなくなるぐらいに痛い目を見させればそれで良かったのだが。

「トーイとその人には悪いけど、それで宇賀二に来ることになったんだから俺は嬉しいよ」

 弘道はにこにこと笑った。武勇伝として目を輝かせたりはせず、野蛮だと非難することもなく、ただそういう事実があったという話として受け止めている。性的な話は過剰なほど周囲から規制されているのに、暴力的な話をしても全く驚いた様子を見せないことを闘威は不思議に思った。しかし、そのことを聞こうと口を開いたところで突然無機質な着信音が鳴り響き、会話は中断された。




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