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闘威の望みに反して、西野との対決の時はそう経たないうちに訪れた。具体的に言うと、その日の一時間目と二時間目の間の五分休みである。
「トーイ、次理科だから移動しないと」
教科書とノートと筆箱を抱えて、弘道が席を立つ。闘威は慌てて机を探り、どうにか一式引っ張り出した。
「器具使うのか? 俺あれは好きだな、なんか感覚でわかる。公式使う計算とかはさっぱりだけど」
「数学系苦手?」
「つか、べんきょーダメ。ヒロは頭いーのか?」
「頭は良くないけどテストは十位以内ぐらいに入るよ」
並んで教室を出て、右手に向かう。昨日掃除をしに行ったので、闘威も理科室の場所は覚えていた。
「へー。それ頭いいっつうんじゃねーの?」
「そうでもないよ。世の中には教科書読んだだけで応用までできちゃう人いるからね。俺は予習復習しないと無理」
「はーマッジメ――」
「名護くん!」
尖った声が割って入った。
振り返ると、すらりとした長身に、白人めいた華やかな美貌の少年が険しい顔で立っている。
「なんだよ、西野」
「神子様にそんな態度じゃ駄目だろ」
あ、こいつホントにヒロ以外には普通に喋んだな、と思いながら、闘威は尋ねる。
「なんで?」
「な、なんでって、決まってんだろ。神子様にそんなぞんざいな口のきき方をするなんて不敬だ」
「俺別にヒロのこと神子だと思ってねぇしなぁ」
「なんだと!? 神子様の偉大さを理解できねぇのか!?」
青筋を立てるほど激高した西野は、ゴキブリでも見るような眼で睨みつけながら闘威に詰め寄った。最大限の蔑みと嫌悪を込めた不躾な目線に、闘威も剣呑な目つきで睨み返し、どすの利いた声で「あ゛?」と威嚇する。
「ヒロがこれでいいっつってんだからいーだろ」
「てめぇまた呼び捨てに! 即刻詫びろ!」
「んだてめぇ、関係ねーのにしゃしゃんじゃねぇぞ!」
「俺は神子様をお守りする責務がある!」
一触即発の空気になった二人の間に、遮るように困り顔の弘道が割り込んだ。
「樹里人、落ちついて。怒るようなことじゃ……」
「しかし神子様、この者のふてぶてしい態度、私には我慢なりません! 粗雑な言葉遣いはまだ無知ゆえと許せても、神子様のお名前を呼び捨てにするなど身の程知らずも甚だしい。名護、てめぇいくら転校生とはいえ神子様の尊貴は身に染みてわかっただろう。あまり馴れ馴れしくすんな。お優しい神子様はお咎めにならなくても、俺達神子の僕一同が黙ってねぇぞ!」
「っるせぇな、てめぇらがそんなだからこいつが苦労すんだよ、人に理想押し付けんじゃねぇぞカス!」
「名護ぉ! この上まだ神子様をこいつ呼ばわりか! てめぇ生かしちゃおけねぇ! そこになおれ!」
「樹里人、静かに。先生来ちゃうよ」
「神子様、このような輩、先生にも成敗していただくべきです!」
「そんなにかりかりしないで。名前ぐらい、樹里人も呼んでいいよ。むしろ呼んで欲し――」
「私の忠誠をお疑いなのですか!?」
悲愴な様子で叫ぶ西野に、闘威は呆気にとられ、弘道は反射的に優しげな微笑みを浮かべた。「そんなことないよ」と言って持っていた教科書と筆箱を近くの窓枠に立てかけると、そっと西野の手を取り、宥めるように握り締める。
「み、神子様っ」
「大丈夫、樹里人の気持ちはわかってるから、だからとりあえず落ち着いて。俺の言う事が聞けない?」
「も、申し訳ありません……!」
西野は親に叱られた子供のように俯いた。弘道は西野の目を覗き込み、言い聞かせるように話しかける。
「俺は様付けしないで名前で呼ばれるのはいいことだと思ってる。みんなが慕ってくれるのは嬉しいけど、『神子様』だと他人行儀な感じで悲しいな」
「は、もったいないお言葉です! 神子様の寛大な御心に打ち震えるばかりです。しかしそのような畏れ多い呼び方は、とても私の口からは申し上げることができません」
弘道を絶対視しているわりには、西野は妙に頑固だった。決意の感じられる真っすぐな目で弘道をみつめる。弘道は手を握ったまま、固定された笑顔で優しく諭すように言った。
「樹里人が嫌なら無理にとは言わない。でもトーイが俺のこと様付けしなくても、怒らないでいてね」
「……神子様」
西野の瞳が揺れる。彼は今、己の信仰に起因する信念と崇拝対象の言葉の間で板挟みになっていた。数秒の迷いののち、西野はぐっと眉間にしわを寄せ、絞り出すように言った。
「……それが、神子様のお望みならば」
なりゆきを見守っていた闘威は密かに拳を握りしめ、ガッツポーズをする。
――おし、勝った! やったなヒロ! よくやった!
小さな勝利だが、弘道が運命に抗うことのできた貴重な第一歩だ。
西野は、闘威を忌々しげに睨みつけたあと、悔しげに顔を伏せた。
「神子様の深謀遠慮を推し量ることなど私には到底叶いません。神子様に無礼を働く輩を見逃すのは腹立たしい限りですが、神子様の忠実なる信徒としてご意思に沿う所存です」
「ありがとう、樹里人。樹里人ならわかってくれると思ってたよ」
弘道が駄目押しで信頼しているような言葉をかけてやると、西野は淡い色の瞳にぶわっと涙を滲ませた。
「神子様……! ありがたきお言葉! けしてご期待に背くようなことは致しません!」
弘道は感激している西野の手からそろりと手を抜き、微笑みながら頷く。とりあえず笑っておけば大体いいように解釈してくれるだろう、という認識でいる弘道と西野の温度差はあまりに大きい。弘道は後ずさり、さりげなく窓枠のところに立てかけておいた教科書と筆箱を回収しようとしたが、いち早く動いた西野に先を越されてしまった。
「お供致します」
「……うん」
弘道は少し返事を躊躇い、闘威をちらりと見たあと、了承した。闘威には弘道が内心困っているのが透けて見えたが、拒否する気はないようだったので、介入せず後ろからついて行くことにする。ここで弘道が「荷物を持ってくれなくていい」などと言おうものなら、また面倒な問答になるのは目に見えている。
闘威が漫然と歩いていると、近くにいたらしい久能が駆け寄ってきた。
「名護くん、大丈夫?」
「あ? えーと、くの、サン?」
「そだよ~。さっき西野くんと揉めてたの見ちゃった。大変だったね。西野くんて真面目でいい人なんだけど、神子様に関しては妥協できないみたいで、ちょっと頑固なとこあるんだ」
同情するような言葉に、闘威は意外な気持ちで久能を見下ろした。
「くのサンは俺に怒んねーのか?」
「え~、別に。西野くんが言うほど悪いことだとは思えないし……もちろん、神子様が嫌がってるなら怒るけど、全然気にしてないみたいだからいいかなって。神子様のことを呼び捨てにできるなんて、名護くんて度胸あるよね! 大物になれそう!」
にこーっと好意的な笑顔を向けてくる。キリキリした敵意に晒され続けていた闘威は、砂漠の中でオアシスをみつけたような思いがけなさと癒しを感じた。
久能は西野ほどの過激派ではないようだ。弘道の信者であるのは変わりないが、狂信的に崇め奉っているのではなく、大好きな憧れの芸能人に対する想いをちょっと強めたぐらいの信仰なのだろう。無邪気で素直な様子に、西野との言い争いで溜まっていた鬱憤が晴れていく。
「ありがとな。くのサンいい人だな」
「えっ? そ、そんなことないよー、えへへ」
久能は腕を下に伸ばして指を組み、照れ笑いをした。象牙色の肌がほんのりと赤く色づいて初々しい。ぱしぱしと長い睫毛を瞬きながら見上げてくるのも、小動物のような愛らしさがある。
「でも名護くん気をつけてね。西野くんほどじゃなくても、名護くんが神子様に近づきすぎてるって文句言う人いるんだ。隣の席なんだからちょっと仲良くなったって全然おかしくないのにねぇ? あ、でも肩組むのはさすがに止めた方がいーよ」
下手すると暴走した人に殺されちゃうよ、と心配そうに助言してくる。脅しでも何でもなく本当に身を案じてくれているとわかるので、かえって真実味があってぞっとした。
久能は躊躇うように目を彷徨わせたあと、真剣な顔で忠告を続ける。
「あのね、知っておいた方がいいと思うから言うけど、過激派の信者は神子様の敵をとことん潰そうとするの。前に、神子様のことを誤解してる人達と神子様の熱狂的な信者が衝突したことがあって、結局最後にはけ――」
「沙弥ー! ちょっと来てー!」
「あ、うん、今行くー! ごめん名護くん、この話はまた今度! ほんとに気をつけてね!」
本題に入らぬまま、久能は友達に呼ばれて行ってしまった。好奇心だけ煽られて置いて行かれた闘威は続きが気になってもやもやしたが、まぁヒロに聞いてもわかんだろ、とすぐに切り替え理科室に向けて歩を進める。
しかし、ちょっと肩を抱いたからといって殺意を向けられるとは誰が思うだろうか。もしかするとここは喧嘩上等の宇賀三よりも物騒なところなのかも知れない、と闘威は思い始めていた。




