九話
「ありがとうねえ、淡雪ちゃん。こんなに沢山買ってもらって。すっかりお得意様だねえ」
「いえ、そんな…。丁度新しい着物が欲しかったもので、あとはお土産というか何と言いますか…」
淡雪は少し買いすぎてしまったと眉をひそめたが、まあ良いかと手に持った風呂敷を見てにまにまと笑った。すると、そんな淡雪を見て女将も微笑ましいものだなあとにまにま笑った。
「そうかい、そうかい。ほほほ、若いってのは良いねえ」
淡雪は何のことかしらと少し首を傾げてから曖昧ににこっと笑った。
「亜季と藍屋の婆が礼を言っていたと、お母さんに伝えとくれ」
「はい、こちらこそ可愛い着物を教えて下さりありがとうございます」
淡雪はぺこりとお辞儀をすると、今もなお雨が降る中で今にも宙に浮いてしまいそうな程軽い足取りで家路についた。胸にぎゅうっと風呂敷を抱えてにこにこ笑いながら歩く淡雪を、丁度お昼休みの商店の従業員や職人たちが何事かとちらちらと振り返った。しかし淡雪はそんな視線を気にも留めず、ふわふわとした気持ちのまま、ふと右手に見えた傘屋の前できょろきょろしている淡雪と然程年の変わらない少年と少女が目に着いた。淡雪はすぐに興味無さげに視線を前方に戻した。
「あれっ?」
「みゃあぅっ?」
淡雪は小さく声を上げた。が、その声はざああっと降る雨音によって掻き消されて町行く人には聞こえなかった。淡雪は通りすがりの三毛猫が驚くほどの速さでくるっと振り向いた。そしてぽかんと口を開けて突っ立っていたかと思いきや、つかつかと傘屋の前に向かった。少年と少女は淡雪の下駄の音に気がついて顔を上げた。
「すみません、あの、その…」
物凄い形相をして歩いてくる淡雪に脅えてか淡雪よりもほんの少しだけ背の高い少年が口を開いた。
「私たち、盗人なんかじゃありません」
少年を庇うように気の強そうな少女が淡雪の前に出た。淡雪はその少女の顔を見るなり、目を見開き一歩後ずさって少女を頭のてっぺんからつま先までじろじろと見た。少女は気味悪そうな目で淡雪の顔を見ると、はっと驚いたように目を見開き目を逸らした。
「春雪、帰りましょう」
「えっ?」
少女は春雪という名の少年の手首をぐっと掴み、雨が降る中傘も差さずに立ち去ろうとした。春雪は一体何事かとどこか見覚えのある釣り目を見開き、地面に転がっていたどこにでもある小さな小石に蹴躓いた。
「春雪…。貴方、春雪と言う名なのですね?では、貴女は?」
淡雪は少女の前に立ち塞がり、少女が雨に濡れないように傘を少し前に傾けた。少女は、これまたどこかで見覚えのある優しげな垂れ目で淡雪を睨んだ。
「貴女こそ誰なんです?自分が名乗りもしないのに、他人に名乗れだなんて失礼じゃないんですか?」
少女は春雪の手首を掴む手の力を無意識のうちに強めた。これは少女の癖である。春雪は知っていた。少女が何かに不安を抱いたり怒りを覚えたりした時、手近な物を握る癖を。つまり、今、少女は困っているということだ。
「あ、そうでした…。すみません。私は淡雪といいます」
「なっ」
淡雪が名乗ると同時に、春雪は少女の手を空いた方の手で包みこんだ。勿論、春雪は励ましのつもりでだったのだが、少女は驚きのあまり即座に春雪の手を振り払った。その時少女の頬が赤く染まったのは、きっと気のせいだと春雪は思った。
「誰も私が名乗るだなんて言ってませんけど。でも、まあしょうがないですね」
少女はふんっと春雪に顔を背けて、横目で淡雪を見つめた。どうやら淡雪を見定めているようだ。
「荒涼。荒涼です」