四話
淡雪はぶつぶつと秋咲への不平不満を言いつつ家に戻った。家に戻ると、先程までの可愛らしさとあどけなさがどこへ行ったのやら、てきぱきと動いた。台所から自分の白の襷を取り手際よく掛け、桶に雑巾を放り込み雑巾をさっと絞ると、廊下を始め家中の床を拭いてまわった。
淡雪は掃除は嫌いではなかった。家の床が綺麗になるのは気持ちが良いし、何より両親や近所の小母さんたちにの褒められるし、とてもやりがいがあった。けれど、いつからだったか母の紅雪が淡雪を褒めなくなった。まるでそれが当たり前とでも言うような冷やかな目で綺麗になった廊下を見つめるようになった。それだけではない。紅雪はいつからか淡雪をも冷たい眼で見るようになった。言葉には出さずともその瞳には明らかに淡雪への嫌悪感が滲み出ていた。今朝だってそうだ。前まではもっと会話があったが、この頃は一言か二言言葉を交わすだけになっていた。淡雪はそんな母紅雪の様子には気付いていた。それは淡雪だけではない。淡海も気付いていた。だが、二人とも気が付いていないふりをしていた。何しろ紅雪が自分の口から何も言いださないのだ、これはあまり人に知られたくないのだろうと淡雪は思い、そうしていた。きっと淡海もそうなのだろうと淡雪は思っている。
「はあー………」
淡雪は一通りの拭き掃除が終わって汗の滲んだ額を手の甲でぐいっと拭いた。自分が綺麗にした廊下を見ると固かった表情がふわっと綻んだ。「よし、完璧ね」と言うと、片づけを始めた。
あれはいつだったかしら。母様の様子がおかしくなったのは。私のことをあんなに鬱陶しそうに、恨めしそうに見つめるなんて…。あんなにも優しかったのに。今も優しいけれど、でも違うの。何て言うか、心がこもっていないの。本心じゃないの。別に母様に褒めてほしいのではないの。だけど、やっぱり違うの。違和感しか感じないわ。でも何故私ばかり冷たい眼で見るのかしら…。私、何もしていないのに。父様も何も言わないし。現状維持で良いってことなのかしら?
「…あら?」
桶と雑巾を片づけ、自室に戻る途中で淡雪は障子が開きっぱなしの紅雪の部屋の化粧台の上に何かを見つけた。淡雪は少し迷ったが、意を決してそれに手を伸ばした。何度かそれの表裏を確認してからそれをぱらっと一枚めくった。それは、紅雪の日記だった。かなりの厚さがあるところから、昔から付けていたのだろうと淡雪は思った。一枚目には、「子育て日記」と短く書いてあった。淡雪は少し嬉しくなった。目を輝かせて何度も瞬きをして、ふと思い出したように後ろを振り返り誰もいないことを確認するとごくりと唾をのみ、もう一枚めくった。
淡雪はただ無心にめくっていった。最初は淡雪の表情からみてとれるように、「子育て日記」の内容は愛おしい娘淡雪を愛でるものばかりだった。だが、「子育て日記」も半分辺りまで読み進み、次へ次へと淡雪の気が急いて一枚めくった時、淡雪の表情が突如凍りついた。何度も同じところを読み、それが嘘であることを強く願っているようだった。そして何度も何度も読むうちに淡雪の額からはたらたらと汗が流れてきた。そして、はっと振り返りもう一度誰もいないことを確認するとまた読み進んでいった。読んではいけない、読んでしまってはならないものだ、と淡雪は己の好奇心を自制した。だがしかし、淡雪の手と目は止まらなかった。好奇心と焦りと不安と怒りとで淡雪はもう滅茶苦茶になってしまいそうだった。とうとう一番新しい頁、昨日の内容まで読み終えると勢いよく「子育て日記」を閉じてそれを化粧台の元あった場所に叩きつけた。そしていつの間にか荒くなっていた自分の息に気付き、眉根を寄せ咳き込んだ。
「…嘘よ、こんなの。だって、母様は…母様は――――」