六
「な、んで? そんなバカな……」
東悟が、目に見えて狼狽していた。
沙希を、信じられないモノを見たと言うように、驚きの眼で凝視している。
それは、私が見たことが無いほど恐ろしい表情だ。
「東……悟?」
沙希が戻ってきたのに、どうしてそんな怖い顔をするの?
喜んでくれないの?
そう言おうと口を開きかけたとき、沙希の白い腕がすうっと上がった。
真っ直ぐ東悟を指さしている。
今まで穏やかだった表情が一変した。
上目遣いに東悟をにらみつける黒い瞳に、今までに見たことがないような厳しい光が宿る。
香織。
紡ぎ出された私を呼ぶ声も、固い意志を秘めたように厳しい。
その厳しさに、心の奧がざわついた。
私は、殺されたの。
その人、峰岸東悟に。
「え?」
「やめろっ、香織、耳を貸すんじゃない!」
何?
何を言っているの?
訳が分からず混乱している私の脳裏に、一つの映像が浮かんだ。
かごめかごめ
かごのなかのとぉりぃは
いついつでやる
夕闇に包まれた神社の境内で、小さな女の子が楽しげにはしゃいでいる。
黄色い麦わら帽子には、可愛い赤いリボン。ノースリーブの白いワンピース。
その傍らに立つ大柄な少年が、少女を神社の本殿に誘う。
「あそこには、楽しいものがあるんだよ。さあ、行こう」
そして少女は、それっきり姿を見せなくなった。
画面が切り替わる。
同じ薄闇のなか、神社の階段の上で、二つの影が言い合いをしている。
「子供が出来たの。香織と別れて、私と結婚して!」
髪を振り乱し、そう叫んでいるのは沙希だ。
「冗談じゃない。一度だけと言う約束だっただろう!? 俺は香織と別れるつもりはない!」
東悟が、にべもなく沙希の手を振り払う。
「いやよ! いやっ! 香織にばらしてやる。一切合切何もかもぶちまけてやる!」
「沙希!」
神社の急な階段の上。もみ合う二人――。
「きゃぁああぁああぁあっ!」
耳を劈く、沙希の悲鳴――。
ナニ?
コレハ、ナンナノ?
『東悟よ。十三年前、東悟が早苗を殺したの』
ウソ。
『私と東悟は、付き合っていたのよ』
ウソヨ。
『私は東悟に殺されたの』
「香織、しっかりしろっ!」
バチンと言う音が耳に届いた瞬間、私の頬に猛烈な痛みが走った。
「香織、あれは、亡者だ。騙されるな、自分の信じるモノを信じろ!」
自分の信じるモノ?
私が信じるモノって何?
東悟は、早苗ちゃんを殺したの?
東悟は、沙希を殺したの?
「香織!」
不意に、強い力で抱きすくめられて、ハッと我に返る。
トクン。トクン。
力強く脈打つ東悟の鼓動が、Tシャツ越しに伝わってくる。ふわっと馴染んだタバコと東悟の匂いが鼻腔をくすぐる。
『香織……、東悟が殺したのよ』
尚も、耳に届く沙希の声。
私は、ゆっくり目を閉じて、自分の心に問うた。
私が信じるのは、誰?
沙希は、
新庄沙希という人間は、親友を裏切れるような人間じゃない。それは、物心付いてからいつも一緒にいた私が、一番良く知っている。
「あなたは、沙希じゃない。沙希は私を裏切ったりしない」
脳に直に伝わるリアルな沙希のビジョンを振り払うように、私は静かに口を開いた。
『何を言っているの? ほら、私は沙希よ』
「あなたは、沙希じゃない」
真っ直ぐ前を見据えて言い放つ。
「だから来ないで。何処かに消えてっ!」
次の瞬間、私の叫び声と重なるように、大きな破裂音が響き渡った。
「香織、おい香織! しっかりしろ。惑わされるな!」
東悟の声で現実に引き戻された私は、今体験したことが、心の中での出来事だったことを知った。
周りは、深い闇。
私は、東悟に抱きしめられたままの状態で、闇に閉ざされた本殿の中で佇んでいた。
「東……悟」
まるで静電気を帯びたように、ピリピリと空気が震えている。
背筋を、ゾクゾクと悪寒が駆け抜た。
私は、本殿の中に満ちて行く、凶悪で禍々しい気配に思わず言葉を無くした。
そして、目の前に現れた白い腕に息を呑む。
文字通り、突然現れたその腕は、それ自体がほの白く光を放っていた。
その腕が、すうっと私を抱く東悟の首に向かって伸びていく。
その意図は、分かりすぎるくらい明白だった。
そん……な。
私は、これから起こることを想像して、背筋が凍った。
ダメ。
細い、しなやかな指先が東悟の首に近付いていく。
指先が東悟の首に触れたと思った途端、音もなく締め上げ始めた。
白い指先が、東悟の喉に食い込んでいく。
「うぐっ……」
私を抱えたまま、苦悶の表情を浮かべた東悟は、だだ苦しげな呻き声を上げた。
「やめて! なんで!? どうして東悟なの!?」
『ソイツが私を殺したからさ』
クックックッ。
忍び笑うその声は、沙希のものではなかった。
いや、もはや人間のものですらない。
獣だ、獣の声。
「離れて! 離れなさいっ!」
『死ネバイイ。男ハミンナ、死ネバイイ』
どうすれば良いの!?
どうすれば!?