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 私はゆっくり神社の境内を見回した。

 手入れされた植木の向こうは、鬱蒼うっそうとした自然の山が深い闇を懐に抱いて静かに佇んでいる。その森の中で、ちらりと何かが動いた気がした。

 いや、確かに黒い木々の間、何か白いものが動いている。

「どうした?」

「あれ、何?」

 あまり目が良くない私には、今一つ良く判別が出来ない。

「え?」

 東悟が私の指さす先に視線を向けた次の瞬間、息を飲む音が聞こえた。

「家に戻るぞ」

「え?」

「いいから、家に行こう」

東悟は声を殺してそう囁くと、私の手をがっちりと掴んだ。

思いも寄らない強い力に、小さな悲鳴が口を突いて出る。

東悟はそのまま驚くくらいの強引さで、ぐいぐい私を引っ張っていく。

目的地は、お社から十メートルほど離れた東悟の自宅だ。

ついさっき家まで送ってくれると言ったばかりなのに、その舌の根が乾かないうちに今度は自宅に行くという。

有無を言わせぬ東悟の行動が、私の不安を駆り立てた。

「ちょ、ちょっとどうしたの!?」

こんなの、ぜんぜん東悟らしくない。

「駄目だ、間に合わない!」

私の質問など眼中にないように、東悟そう吐き捨てるように言い放ち、くるりときびすを返した。

今度は、すぐ近くにある神社の本殿に向かって私を引っ張っていく。

「と、東悟!? どうしたのよ!?」

 ぐるぐる振り回される形になった私は、バランスを崩して前につんのめりそうになった。

 それでも東悟の歩く速度は弱まるどころか、いっそう早くなっていく。

東悟は無言のまま険しい表情で、私の右手をがっちり掴んだまま本殿の木の階段を駆け上がり、木戸を勢いよく引いた。

 中には明かりなど無いから真っ暗だ。一瞬、その闇の濃さに足が竦んで、私は立ち止まった。

『香織……』

 躊躇う私の耳に、確かに自分を呼ぶ女の声が聞こえた。

「え?」

 沙希?

 小さくか細い声。でも確かにその声は、沙希の声だ。

「香織!」

 振り返ろうとした私は、東悟に凄い力で本殿の中に引き込まれた。余りの勢いにそのまま床に倒れ込んでしまう。

「痛っ、なにすんのよ、東悟!」

 勢いよく転がり込んだせいでしたたか打ち付けた肘の痛みを堪えながら、文句を言う私の目前で、東悟が入り口の引き戸を必死で閉めようとしていた。でも何故かあと十五センチと言う所で、戸は閉まり切らずに止まっている。

「と、東悟……?」

 どうしたの? と言おうとして、私は凍り付いた。

 暗い建物の中から見る外は、月の光で明るい――はずなのに、そこは漆黒の闇に包まれていた。その闇の中から細長い白い腕が、戸の内側に、ひょろりと張り付くように伸びている。

 力など入れていないように、ただそこに伸びている腕。その白い腕が、戸を閉めようとしている東悟の渾身の力を止めているのだ。

 な、何? なんなのこれは!?

 私は、何の言葉も発することが出来ずに、ただその光景に見入っていた。

「香織! 手を貸せっ!」

 座り込んだまま身動ぎも出来ずにいる私に、東悟のげきが飛んできた。私はハッと我に返り急いで立ち上がると、東悟の後に周り込んで扉に手を添えた。そして渾身の力を込めて戸を押した。

 じり、じり、じり。

 少しずつ、確実に閉まって行く戸。

 ガタン!

 それが完全に閉まった瞬間、白い腕は跡形もなくすうっと消えてしまった。

 戸を閉めてしまったため、本殿の中は真っ暗だ。ただ、二人の荒い息使いだけが響いている。はあはあと肩で息を付きながら、やはり同じように息の上がっている東悟に向かいやっとの事で質問をする。

「な、何なの、あれは?」

「……」

「東悟?」

 答える素振りの無い徹の様子に不安になって、暗闇の中、手探りで東悟の腕にしがみつく。その手に伝わる微かな振動に、私はギクリとした。

 震えている。

 滅多な事では動じない東悟が、震えている。

「香織……」

 何か言いずらそうに口ごもる東悟の腕を辿り、手を繋ぐ。その手はヒンヤリと冷たく、やはり微かに震えていた。

「沙希ちゃんは、もう多分、生きてはいないと思う」

「……」

『なにバカな事言ってるのよ!』

 いつもの私なら、そう言っているだろう。でも、私には、東悟の言葉が真実だと分かってしまった。あの白い細い腕、その手首の内側にある三つならんだ小さな黒子ほくろ、あれは確かに沙希のものだ。

 あの白い手が、生きている人間のものであるはずがない。

 ならば、その手の主は――。

 ――クスクスクス。

 不意に背後で楽しげな笑い声が上がって、私達は二人同時に振り返った。

 建物の中央付近に、白い人影が立っていた

光源など無いはずなのに、その少女の姿だけがスポットライトを当てたように浮かび上がっている。

 風など無いのに、ユラユラと揺れている黄色い麦わら帽子の赤いリボン。

 白いノースリーブのワンピースを着た少女が、楽しげな笑みを浮かべて、手を後ろに組んで立っていた。

「香織ちゃん、東悟君、私が分からないの?」

 クスクス。

 少女が、屈託無く笑う。

 抜けるような白い肌。

 少女らしい、丸い頬のライン。

 その白い頬の両側で、耳の後ろで二つに結んだ色素の薄い茶色の髪が、彼女が笑うたびに軽やかに揺れている。

 好奇心に富んだ、大きな黒目がちの瞳。

 サクランボのような可憐な唇。

「ま……さか」

 東悟が、呻くような声を絞り出す。

 私も信じられない思いで、その少女の名を呼んだ。

「早苗……ちゃん? あなた、早苗ちゃんなの?」

 新庄早苗。

 幼い日。

 私たちの後をいつも楽しそうに付いてきた、沙希の妹『早苗ちゃん』。

 目の前の少女の顔は、記憶の中の彼女に良く似ていた。

 そんなはずがないと、理性では分かっている。

 早苗ちゃんが六歳の時行方不明になってから、すでに十三年の月日が流れているのだ。今、生きていれば、早苗ちゃんは十九歳のはずだ。どう見積もっても、この少女は十歳を超えているようには見えない。

 生きて……いれば?

 私は、彼女の死を無意識のうちに肯定している自分の思考に慄然とした。

 少女はそんな私の心を読んだかのように、邪気の無い笑顔のまま恐ろしい話しを始めた。

『そうよ、私は早苗。十三年前、殺されて埋められちゃった、可哀相な早苗ちゃん』

「え?」

 殺された!?

「香織、相手にするんじゃない!」

 鋭く言い放った東悟に、私は腕を掴まれ強く引かれた。

「東悟っ?」

 抗う間もなく、そのまま抱きすくめられる。

 上背のある東悟に抱え込まれてしまうと、私にはもう何も見えない。

「東悟っ!」

「あれは、生きている人間じゃない。相手にしては駄目だ!」

「で、でもっ」

 ――冷たいのね、東悟君。

 頭の中に直接響いてきた声。それは、沙希の声だった。

「沙希!? 沙希なの!? 東悟、放して、沙希が来てる、沙希が来てるのよ!」

 一瞬、緩んだ東悟の腕を振りほどいて、私は、辺りを見渡した。

「ここよ」

 すぐ耳元で声がして、ギクリと振り返る。

 目の前。

 私の目の前に、沙希が立っていた。

 いつもと変わらない、サラサラの癖のないストーレートな黒髪。卵形の綺麗な顔の輪郭。スッとして理知的な瞳。形の良い唇が、ニコリと微笑んでいる。

「沙希? なんだ、ビックリさせないでよぉ。行方不明だなんて、心配したじゃないのっ」

 安堵感で、鼻の奥に熱いモノがツンとこみ上げる。

「東悟なんて、沙希が死んだみたいな事言うのよ! 酷いでしょ?」

 沙希は答えない。

 ただ、哀しげな眼差しで、見ている。


 私ではなく、東悟を。


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