参
「え!? 今、なんて言ったの、お母さん!?」
家の玄関でいきなり聞かされた母の話に、私は頭の中が真っ白になった。信じられない。
「一昨日帰って来るなり、自分の部屋に荷物を置いて、ふらりと出て行ったっきり戻らないそうなのよ。警察には捜索願いを出したらしいんだけど、まだ見付からないって……」
沙希の事だ。沙希が、一昨日から行方不明だと言うのだ。
「そんな、ばかな……。だって、今日私、沙希からメールを貰ったよ?」
私はジーパンの後ろポケットに突っ込んであった携帯電話を取り出し、震える指先でメールボックスを開いた。
が――。
「え!? な……んで? 確かにメールが、来たのに……」
私は信じられない思いで、メールの着信記録を探した。端から端まで隈無くスクロールして何度も確認する。
でも、見付からない。
確かに来ていたはずの沙希からのメールが無かった。
私は、慌てて沙希のケータイに電話を掛けた。
ぷるる。
ぷるる。
出ない。呼び出しはしているのに、沙希は出ない
呼び出しはしている!?
「携帯! 携帯が繋がるんなら、警察で電波を追えるんじゃない!?」
私の質問に、母は哀しそうに目を伏せた。
「携帯電話は、荷物と一緒に家に置いてあったんですって」
「そんな……」
なら、電話など掛けたところで意味がない。
私はがっくりと肩の力が抜けてしまい、ため息をつきながら携帯電話を切った。KBR>
携帯電話を持たないで出ていったと言うことは、沙希に遠くに行くつもりはなかったと言うことだろうか?
「妹の早苗ちゃんもまだ見付からないのに、姉妹二人揃ってなんて、新庄さんお気の毒に」
ため息混じりに呟く母の瞳には、同じ娘を持つ母親としての同情と共感が色濃く表れていた。
そう。
沙希の妹の早苗ちゃんは十三年前、六才の時、行方不明になっていて未だに見付かっていない。当時は『神隠し』だとテレビや新聞でもさんざん騒がれたものだ。
それが今度は、沙希まで。
沙希に良く面差しの似た、沙希のお母さんの線の細い哀しげな面影が浮かんだ。
「お母さん、私、沙希の家に行って来る!」
私のセリフに、母は驚いたように目を丸くした。
「香織! よしなさい! 新庄さんんちは――」
「行って来るよ!」
何もしないで鬱々と待っているなんて性に合わない。
こういうときは、行動有るのみだ。
母の制止を振り切った私は、玄関に荷物を置いたま飛び出した。
徒歩で十分。
走れば5分も有れば着くだろう沙希の家に向かって、私は一目散に駆け出した。
「な……に、これ?」
上がる息の下、私はやっと声を絞り出した。
むっとする刺激臭が、あたり一面に漂っている。
沙希の家の前。目に飛び込んできた光景に、私は思わずその場で棒立ちになってしまった。 そこに有るはずの沙希の実家が無かった。
いや、あるにはあるのだが、それは最早家とは言えないだろう。やけ崩れて、黒い燃えかすとなった家の残骸が積み重なっている。
私は、敷地の中に視線を巡らせた。
見覚えのある植木、庭石、倉庫。そして、手入れの行き届いた美しい花壇。 その花壇の中で、大輪の向日葵が、夏の日差しを浴びて咲き誇っている。その向日葵の間を、何かがチラチラ動いているのが見えた。
黄色い、麦わら帽子。赤いリボンが風に吹かれて、向日葵の葉と一緒にユラユラ揺れている。白いワンピースの……女の子?
クスクス。
え?
その笑い声に、聞き覚えがあった。
夢だ。夢の中の子供の笑い声。
「香織!」
「きゃっ!?」
不意に背後から声を掛けられ、私は文字通り飛び上がった。慌てて後を振り返ると、私と同じに驚いた顔をしている東悟が立っていた。
「脅かすなよ香織。びっくりするじゃん」
「それは、こっちのセリフだよ。心臓が止まるかと思ったじゃない、もうっ!」
安堵感が軽い怒りに変わり、思わずバチンと東悟の胸を叩いた。
「悪い悪い。家に着くなり、沙希ちゃんの事を聞いて驚いて飛んで来たんだ。お前もか?」
「うん。そうなんだけど……。これ、どういう事? 火事になったの?」
「ああ。昨夜、失火だそうだ」
失火?
沙希の失踪と何か関係があるのだろうか。
「おじさんや、おばさんは!?」
まさか。
「心配ない。二人とも無事だってさ。ただ……」
口ごもる東悟のセリフに、嫌な予感が胸を掠める。
「ただ?」
「ショックで、おばさんが入院してるらしい」
「おばさんが……」
無理もない。
唯一残った娘の失踪と、家の火事。ショックを受けない方がどうかしている。
それにしても沙希。
実家の一大事に、あなたは何処にいるの?
クスクスクス。
心の中で逡巡する私の耳に、また子供の笑い声が聞こえて、慌てて花壇に目をやった。
「どうした香織?」
「声……がした」
「声って? 誰の声?」
聞こえていないのか、東悟は訝しげに眉をひそめている。
私は声の主の姿を見つけようと、一心不乱に花壇の中に目を凝らした。
でも。
ユラリ、ユラリ――。
そこには、風に吹かれてユラユラと揺れている向日葵の姿があるだけだった。