スノーマン殺人事件
殺人事件とありますが、残酷な描写はございません。
冬の公園に、雪だるまがいた。
誰が作ったのかも分からない、雪だるま。二メートル位の高身長、胴体となる下の玉は大きく頑丈そうで、ちょっとやそっとのことでは倒れそうにない。顔は、真っ黒な炭五つで出来ていて、少し斜めについた長方形の口の上には、まん丸い目が二つ、さらにその上にある長方形の垂れた眉がどこか愛らしい。胴体の玉には、木の棒が二本刺さっていた。その木の棒で出来た腕の先には、左右バラバラの誰かの落としていった手袋がはめてある。
そんな雪だるまが、いた。
その雪だるまは、誰かに作られて生まれたわけではない。が、誰かによって生み出されていた。
その雪だるまは、無残に殺された雪だるまたちの怨念によって、生まれた。
その雪だるまの中にある心は、自身を溶かしてしまいかねないほどの、深い怒りや憎しみの感情で煮えたぎっていた。
雪だるまを形作った怨念の中のある一体の雪だるまは、小学生の子供たちに一生懸命、その子たちの身長よりも大きく作ってもらったのに、子供たちが帰って一体でいたところ、ガラの悪い男子高校生たちに殺された。男子高校生たちは、笑い声を上げながら、無抵抗の雪だるまの頭を殴り、身体を蹴り、最後は地面の雪と同化するくらいにしつこく踏みつぶした。ある雪だるまは、殺される為に作られた。サンドバックの代わりが欲しかったのか、それとも積み木崩しのような感覚を味わいたかったのか、理由は分からないが、とにかく殺す為に作られ、ラリアットやドロップキックの技をもろにくらい、殺された。
誰かが喜び、誰かを喜ばせ、幸せの中で壊れて行ける雪だるまは、幸せモノだ。
だが、作った人と関係ない人に無残に殺されたり、作った人が全く関心を示すことなく孤独な死を迎えてしまったりする雪だるまは、かなり不幸で、この世に未練を残すらしい。
その未練が怨念となり集まって、とうとう一体の雪だるまを創り出すまでになった。
その雪だるまは、しっかりと作りこまれた頑丈な身体に、たくさんの想いから成る心が宿っている為、そんじょそこらの雪だるまとはわけが違う。
どう違うのかというと、この雪だるまは、喋れるし動ける。
我が身さえ溶かしてしまいそうな怒りは、クールに抑えなければならない。でないと、死んでしまう。 だから、その怒りは、周りの子供たちにぶつける。喋れて動ける雪だるまを物珍しがって集まって来た子供たちに、わざと抱き付き、子供たちの身体を冷やし、さらには服を濡らして、風邪を引かせる。子供から近付いて来ない時は、足が無くて歩けない為、遠くから雪玉を投げつける。怒った子供が胴体を蹴りつけて来たら、その子が蹴ろうとする部分を氷のように凍らせてガードするか、蹴ってきた足を身体の中に埋め込ませ、長靴を奪い取る。
そうやって子供たちに嫌がらせすることで、雪だるまは心をクールに保っていた。
ある日、いつものように子供たちに嫌がらせをし、公園に一人だけになった雪だるまは、一休みしていた。目を瞑ることは出来ないが、意識が薄れてきて、眠りそうになる。
「ねぇ。雪だるま」
そう声を掛けられ、雪だるまは意識を覚ました。
声のした所を見ると、正面に男の子がいた。小学生低学年か、もしかしたら幼稚園の年長組くらいの、ニットの帽子とマフラーでしっかり防寒している男の子だ。
「なんだよ?」
突き放すようなトゲのあるキツイ口調で、雪だるまは訊いた。
「なんで、あんなことするの?」
「あんなこと?」
「みんなに雪玉ぶつけたりして、なんでいじわるするの?」
「あぁ」そのことか、と雪だるまは興味無さ気に、声を洩らした。「別に。ただ、ムカつくから」
「先生が言ってたよ。自分がやられて嫌な事は、人にもするな、って」
男の子は非難するようにそう言うが、「だったら、問題無い」と雪だるまは、平然と言い返す。「雪玉ぶつけられても、俺は嫌じゃない。むしろ、俺の身体に雪が付くから、お前らが食事をして肉を付けることと大差ないだろう。 なっ?問題無い」
「むぅ」と男の子は、頬を膨らませ、不機嫌になった。
不機嫌になった男の子を見て、雪だるまは、「どうしてだよ?」と疑問を口にした。「どうしてそんなこと訊くんだ?俺はお前に何かした記憶はないし、お前の言い方は被害者の訴えらしくもない。俺とお前は、関係ないはずだ」
「うん」と男の子は頷く。
「なら、どうして?どうしてお前は、俺に質問した?」
雪だるまに問い掛けられた男の子は、少しの間黙った。が、それは考えていたからではなく、自分の中にある想いを言葉にしようとしていたからだった。
そして、その出来た言葉を、男の子は口にする。
「だって、かわいそうだから」
「かわいそう?」
男の子の言っている意味が理解できず、雪だるまは、顔をしかめたくなった。
「うん」と男の子は、頷く。
「それは、誰がだ?」
「雪だるま」男の子は、他でもない、目の前に居て喋っている雪だるまを指差し、言う。「みんなから嫌われるようなことして、ホントに嫌われたらかわいそう」
「おいおいおい」と雪だるまは、半ば呆れ、半笑いで言った。「別に俺は、お前らに嫌われても痛くもかゆくもねぇ。てか、俺はお前ら嫌いだし、嫌われるなら大歓迎だ」
「そんなことないよ」
「そんなことあるんだよ」
「そんなことない!」
軽くあしらおうとする雪だるまとは対照的に、男の子は、ムキになって食い下がった。
そして、しばし思案顔で黙っていた男の子は、「じゃあ」と言って、口を開いた。
「どうすれば、嫌がらせするのやめてくれる?」
男の子の質問は、雪だるまにとって論外な発言だった。規模はかなり違うが、どうすれば世界から戦争が無くなるの、という質問と似ている。そんな質問、答えるだけ無駄だ。
だが、雪だるまは答えた。
「俺が死んだら、やめてやるよ」
世界から人間がいなくなれば戦争も無くなるよ。そう皮肉を込めて、雪だるまは答えた。
これで、この男の子も諦めるだろう。そう思った雪だるまの考えは、見事に外れる。
「じゃあ、どうすれば死ぬの?」
男の子は、訊いた。
あまりにも、まるで「今日のおやつは何?」と訊くぐらい自然に問い掛けられ、雪だるまは面食らった。
「…それじゃあ、教えて欲しかったらアイス買ってこい」雪だるまは言った。「あの、バニラ味のアイスを大福みたいな皮で包んでいるヤツ。あれ買って来たら、お前の質問に答えてやるよ。ほら、金はやるから」と雪だるまは、拾った小銭を男の子に手渡した。
雪だるまからお金を受け取った男の子は、意気揚々と買い出しに行った。
雪だるまは、どうせ金を持ち逃げするだろう、これでうるさいガキの相手をしなくて済む、そんな考えを持っていた。だから、男の子が本当にリクエスト通りのアイスを買って来た時は、何も言えないくらい驚いた。
「はい」と男の子は、雪だるまにアイスを手渡した。
「お…おう」雪だるまは、驚きから回復し切れておらず、どう反応しようか戸惑った。そして、アイスのふたを開けた時、中に大福状のアイスが二個入っているのを見て、「一個食うか?」とだけ言った。
「うん!」
二人は、冬の寒い公園で、アイスを分け合って食べた。
「春が来たら、俺は死ぬよ」
雪だるまは言った。
アイスを分け合って食べ、二人の距離は若干縮まった。そのことも理由にあるだろう、雪だるまは、男の子の質問に答える。
「春が来たら、死ぬの?」
「ああ。正確に言えば、あったかくなったら、俺は死ぬ。雪だるまだ、当然だろ?」
それは、弱点をばらすこと、自殺行為でもあった。
だが、それでも構わない、と雪だるまは気にしない。
いつかはどうせ死ぬ、それは避けられない。だから、その死ぬ時期について教えただけのことだ、と雪だるまは割り切っていた。
その為、死期を待たずにわざわざ殺しに来た男の子の行動に、雪だるまは呆れた。
「お前、何してんだ?」
雪だるまは言った。
男の子は、自分の首に巻いていたマフラーを解き、雪だるまの首に巻いていた。
「春になったら死ぬんでしょ?でも、それまで待てないから、僕が今、殺してあげる」
マフラーで暖かくすれば、雪だるまは溶けて死ぬ。そう考えた男の子だったが、その考えは外れだった。
「んなことしても、マフラーを濡らすだけだぜ」
雪だるまは言うが、男の子は「いいの」と言って聞かない。
結局、雪だるまの首に、暖かそうにマフラーが巻かれた。
雪だるまは「濡れるから」と警告した。が、しかし、雪だるまがクールを保っていて体表の水分がほとんど氷に近かったため、マフラーが濡れることはなかった。
男の子は、頻繁に雪だるまの所へ通った。
このままの人に嫌われる雪だるまでは可哀想だからと、雪だるまを殺しに行く。
しかし、雪だるまは死なない。
マフラーでは暖かさが足りなかったのかもしれないと帽子をかぶせたが、効果はなかった。だったらホッカイロを貼ればと思ったが、雪だるまに「殺す気か!」とマジギレされ、ホッカイロは投げ捨てられ、失敗に終わった。
考えて来た殺す方法が失敗に終わると、男の子は、雪だるまと話をした。たくさんの想いから成る心を持った雪だるまは、いろんなことを話してくれる。いろんなひと冬を過ごした雪だるまたちの想ったことや感じたことは、男の子との会話の時間を充実させた。
最初は人間に対する憎しみを話すだけだった雪だるまも、次第に話す事が無くなると、どうでもいいような話をした。
それも、二人には楽しい時間となっていた。
しかし、そんな楽しい時間も、確実に終わりが近づいていた。
冬の厳しさも一層増して来たある日、雪だるまは窮地に立たされていた。
雪だるまに恨みを持つ子供が、あの日の雪だるまと男の子の会話を陰で聞いていて、「あったかくなったら、死ぬ」という雪だるまの弱点を知っていたのだ。そして、その日から有志を募り、雪だるまを殺す算段を付けていた。
そしてこの日、熱湯入りの水鉄砲を持った子供が数名、雪だるまの前に集まった。
熱湯水鉄砲を持った子供たちに囲まれた雪だるまだが、動じてはいなかった。
これも当然の報いか、と雪だるまは〝死″を受け入れようとした。
しかし、その時、雪だるまと子供たちの間に、「待ってよ!」という声が飛び込んできた。
それは、あの男の子だった。
「この雪だるまは、僕が殺すんだ!みんなに嫌われないように、幸せに囲まれて、そこで死んでもらうんだ!」
男の子は、雪だるまをかばう盾のように両手を広げて雪だるまの前に立ち、子供たちに向けて叫んだ。
「おい、お前」雪だるまは、そこで初めて動揺の色を浮かべた。「何ワケ分かんねぇこと言ってんだ?邪魔だから、そこさっさとどけよ」
「どかない!」と男の子は、首をぶんぶん横に振った。
「どけ」
雪だるまが言うと、「そうだ!」と雪だるまに同調する声が、子供たちの方から上がった。「どかないって言うなら、お前ごと撃つぞ」
しかし、誰にいくら言われても、男の子は頑として動かない。
その場に、緊張感漂う沈黙が流れた。
そして、とうとうしびれを切らした子供たちの中の一人が、男の子に向けて熱湯水鉄砲を発射した。
威嚇のつもりだったのかもしれない。が、熱湯は、男の子にかかった。
顔の下あたり、あごの近くにかかった熱湯は、マフラーをしていない男の子の首にも垂れてきて、男の子を苦しめる。
「おい!」
慌てた雪だるまは、力ずくで腕を引っ張り、男の子を引きよせた。
熱湯のかかった部分に自分の身体から取った雪をあて、すぐに冷やして応急処置をする。
そうやって処置をしている時、雪だるまは頭部に痛みを感じた。男の子への攻撃が意図的かどうかは別として、一度攻撃を始めてしまった手前、子供達も後に引けなくなり、当初の目的である『雪だるまを殺すこと』を達成しようとしたのだ。
熱湯水鉄砲が、容赦なく雪だるまに襲いかかる。
熱湯が当たった部分が、あっけなく溶けて行く。
攻撃にさらされる中、雪だるまが唯一取った行動は、逃げることや反撃ではなく、男の子を護ることだった。これ以上、この子に痛い思いはさせるわけにはいかない。そう思った雪だるまは、火傷のショックで気を失った男の子を自身の背後にそっと寝かせ、男の子がそうしてくれたように、男の子を護る盾となった。
熱湯水鉄砲の熱湯が尽きるまで、雪だるまはじっと攻撃に耐えた。
男の子が目を覚ました。首元がジンジン痛むが、立てないような怪我ではない。
立ち上がった男の子は辺りを見渡したが、公園には既に子供たちの姿はなかった。
「あっ…」
あるのは、原型が分からないくらいにドロドロに溶けてしまった雪だるま。炭で出来た顔は、何とか顔だと分かるが、すっかり流れてしまっている。木の棒と拾った手袋で出来た手は、左腕がすっかり落ち、右手だけが辛うじて残っている。
その雪だるまの姿を見た男の子は、眼に涙を浮かべた。
「ごめん」男の子は、雪だるまに頭を下げた。「僕のせいで、こんな…」
震える声で喋っていたら、地面に涙が落ちた。
「何言ってんだよ?」そう言う雪だるまの声は、意外にも平然としていた。溶けてしまっているが、肉体に痛みがあるわけではないので、いつも男の子と会話している時のように、普通に喋れる。「お前、俺を殺したかったんだろ?万々歳じゃねぇか」
「違う。僕は、こうなることを望んだつもりじゃなかったのに…」
男の子は、激しく後悔していた。春が来て死んでしまう前に、幸せに殺してあげよう。そう想った事が浅はかだったと、そのせいで雪だるまが不幸に殺されてしまったと、悔やんでも悔やみきれないほどに後悔した。
そんな男の子を慰めることなく、雪だるまは「知らねぇよ」と突き放すように言った。
「んなこと知るかよ。お前がどう思おうと、実際俺は、お前に殺されたんだ」
「えっ…?」
「お前、もしかして、俺があいつらの水鉄砲でこうなったと思ってんのか? 冗談!あいつらの生温いひょろ鉄砲で、俺が死ぬかよ。あんな水、一瞬で凍らせて俺の一部にしてやったっての」それは、ただの強がりだった。雪だるまがどう言おうが、雪だるまの身体は熱湯を浴びたことで溶けてしまっている。しかし、それを誤魔化して、雪だるまは言う。「けどな、お前のせいで、俺の心があったまっちまった。ちくしょうめ、あったかくなったら、俺は生きていけねぇのによ」
「でも…」
「俺は!」と雪だるまは、大声を出して男の子の声をかき消した。「お前にちゃんと殺してもらった。……あぁ、そうだ」そう言うと雪だるまは、辛うじて動く右手で、男の子に巻いてもらったマフラーを掴み、男の子に差し出した。「マフラー、ゴメンな。最後に、濡らしちまった」
「ううん。いいよ、そんなの」
「そうか」
マフラーが男の子の手に渡ると、雪だるまの右手が落ちた。
雪だるまは、死んだ。
雪だるまの中にあった心が空に昇って来るのを歓迎するかのように、雪が降ってきた。
「ありがとな」
降り落ちる雪の中から、そんな声が聞こえた。
男の子は、泣いた。
マフラーを更に濡らし、男の子は泣いた。
雪の降る寒い日、一人の男の子のあったかい心が、雪だるまを殺した。
ここ数年、巨大雪だるまを作った記憶がない。