助手席はリザーブで
企画小説サイト『オトナレンアイ』に掲載させていただいた作品でこちらにも転記しております。
車が目の前で止まる。
いつも通り助手席に乗ろうとして、人が乗っているのがわかった。
それは女性だ。
誰?
ぱたんと後部座席のドアを開け、中に乗り込むと旦那が説明してくれる。
「同僚を送っていく途中なんだ」
そう。
同僚、そうは言っても私よりもかなり年下の子は、にこやかな笑顔を浮かべている。
私を迎える前は二人っきりだったのかと、胸がちりちりと焦がれる。
「今日はどうだった?」
残業帰り、旦那から電話が入り、今から帰るけど今どこ?と聞かれ会社だと答えたら、迎えに行くと言われた。
彼も残業だと聞いていたけど、まさか同じ時間帯になると思わなかった。
「こっちの道でよかったんだっけ?」
何も答えない私を無視して、彼は助手席の彼女に尋ねる。
「はい。この道で大丈夫です」
そう答える彼女は声が私よりも高い、女性らしい声。
斜め後ろから見る旦那は家で見る彼とは違う雰囲気だった。
私はもう30歳半ば、おばさんといわれる年なのに、旦那はなんだか若々しく見える。同じ年なのに。
彼女と並んだら同じ年頃に見える。
きっと、二人はカップルに見えるのかな、私は後部座席でぶすっとした顔をしていた。
結婚は恋愛時代とは違う。
恋は結婚で終わりを迎える。
そう感じたのは結婚してまもなくしてからだ。
あんなにドキドキした彼にときめきを感じることなく、お互いに飾ることなく日々を過ごす。
子供が生まれてから、それにますます拍車がかかり、私達は母と父になり、女と男ではなくなった。キスなんて最後に交わしたのはいつだったかな。
行為だけたまに旦那に求められ、ある。
でもそれは本当に行為だ。
そこに愛はあるのか、なんてわからない。
付き合っていたころ、結婚したばかり、助手席はいつも私の席だった。
二人で見つめあい、信号で止まっている間、キスを交わしたこともあった。
今は?
前に座る二人は、私に構わず楽しげな会話をしている。
旦那がやけに嬉しそうで、私は顔をそらして窓から外を見る。
山道に入ったせいか、真っ暗で何も見えなかった。
鼻がつんとして視界が霞んでくる。
まずい。
私は思わず、欠伸をする振りをして目をこする。
「眠い?」
「……うん」
目ざとく見られていたのか、彼にそう聞かれ、私は頷く。
「ありがとうございました」
それから5分ほどして、彼女の家に到着した。
「助手席に乗って」
彼女に別れをいい、その姿が家に消えたのを見て、彼はそう言う。
「ううん、いい」
私は泣き声になりそうな自分の声に気づかれないように鼻をすする。
こんなことで傷ついてる自分を知られたくなかった。
「前に座って、早く!」
そんな私に彼は語気荒くいい、私は仕方なく助手席に座る。
むわっと彼女のつけていた香水の匂いがして思わず顔をしかめた。
「さて帰ろう」
車がゆっくりと走り出す。
沈黙が訪れる車内が嫌で、私はカーコンポを触って音楽を掛ける。流れ始めた曲が10年前の、丁度付き合い始めた頃の音楽で私は驚く。
「懐かしいな」
彼が目を細めて笑う。
その笑顔が優しくて私は涙がこぼれそうになる。
「夕子?」
「……なんでもない」
私は涙を見られたくなくて、顔を窓の方へ向ける。
「社長命令だったんだ。残業で残った下田さんを送っていけって。下田さんだけじゃなくても、他の奴もだったんだけど。彼女の家が一番遠くて」
彼が淡々とそう説明する。
嘘をついていないことはわかる。
でも二人はお似合いだった。
こんな私より、彼女の方がお似合いだった。
「夕子」
ふいにそう呼ばれ、車が止まる。
「怒ってる?」
「怒ってるわけないでしょ。馬鹿らしい。早く帰りましょ。義母さんが首を長くして待ってるわ」
もう9時すぎだ。
子供はすっかり寝ているだろう。
こんな遅くまでと、義母さんが呆れている様子が目に浮かぶ。
自分が彼女にやきもちを焼いてるなんて、気づかれたくなかった。
「私を迎えなくてもよかったのに」
私は口を尖らしてそういう。
同僚と仲良く帰る様子なんてみたくなかった。
私なんてほっとおいてくれたらよかったのに。
「誤解されたくなかったんだ」
彼はボソッとそうつぶやく。
誤解。
誤解なんてありえない。
だいたい、私たちは夫婦という関係で、恋人だったなんて遠い昔だ。
でも今の私は、恋人同士だったときのように、彼の年下の同僚にやきもちを焼いてる。
馬鹿なわたし。
張り合ってもしょうがないのに。彼女は若くて綺麗だ。
彼も、私と同じ年には見えないくらい……今日は若々しく見えた。
今日だけじゃないかもしれない。
本当はいつもこうで、私が気づかなかっただけかもしれない。
まっすぐ前を見て運転する彼の横顔は10年前同様、涼やかで変わらぬように見えた。でもよく見るとあの時よりも目じりに皺が入り、すこし丸かった頬はシャープなものに変化していた。
年を取った、そう言えばそうだけど、それは年を取ったというよりも、大人の色気を彼に与えていた。
「隆介」
何年かぶりに彼の名前を呼んで、私は自分の心臓が早鐘を打つのがわかった。
馬鹿ね。
もうおばさんなのに。
こんな動悸、気のせいだ。
でも、心臓は私の想いに構わず、鼓動を速め、胸がきゅっと締め付けれ、体温が上昇したのがわかる。
彼を同僚なんかに渡したくない。
彼は私のものだ。
恋は心のどこかに置き忘れていただけのようだった。
再び見つけた恋心は私の心を熱くする。
「隆介」
「なに?」
彼がハンドルを握ったまま、顔を向ける。
「助手席は私の席だから」
「わかってるよ」
彼は苦笑しながらそう答える。
わかってない。
あなたの側にいるのはいつも私なんだから。
彼は私の真意をわかってるのか、どうなのか、笑顔を向けたまま、運転を続けた。