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Second Day(1):ネボスケ二人


 いつの間に眠ってしまったか、全く覚えていない。

 夜中にうなされるように、何度も目を覚ましていたのは覚えている。

 その度に俺は、惰眠を貪るように無理矢理目を閉じて眠ろうとした。

 だが、睡魔はなかなかやってこない。

 そんな意味のない奮闘をどれだけ繰り返していたのだろうか。

 気がつけば俺はまた眠りについて、またうなされるように起こされてはを繰り返していた。


 頭が重い。

 脳がそっくりそのまま鉛の塊にでもなってしまったかのようだ。

 中途半端な眠気はくすぶるように残り、体全体もどこか気だるさで充満している。

 起き上がることさえも苦痛以外のなにものでもなく、かといって目を閉じても一向に眠りは訪れない。

 天井を見上げたまま、前髪をクシャリと掻き分ける。

 まぶたは重いのに、不思議と目はしっかりと覚めていた。

「……」

 首から上だけを横倒しにして、薄暗い部屋の中、枕もとの目覚まし時計を見た。

 時刻は十二時半を示している。

 昨夜からほぼ半日以上も眠っていたことになる。

 だというのに、このだるさは何だ。

 疲れは抜けるどころか、いっそう蓄積している。

 いや、確かに肉体的な疲労は毛ほども感じられない。

 昨日あれだけ張っていたふくらはぎの筋肉だって、今はもうなんともないのだ。

 だから疲れが溜まっているとすれば、それは肉体的なものではなくて精神的なものだ。

 腹ただしいことに、心当たりは嫌というほどに明確だ。

 分かりきっていたことといえば確かにそれまでのこと。

 一夜過ぎたくらいで何もかもを忘れ去れるくらいなら、誰だってこんな苦労はしなくてすむ。

「う……」

 両腕に力を入れて、なんとか上半身を起き上がらせる。

 少しでも力を抜くと、鉛の頭はそれだけで前のめりに沈もうとする。

 左右に頭を振って、どうにか意識を保たせようとするが、効果のほどはたかが知れている。

 部屋の明かりが消えているとはいえ、なんだかやけに薄暗い。

 俺はベッドから下りて、机に寄りかかりながらカーテンを開け放った。

 昨日までの快晴がウソのように、空は灰色一色の曇天に包まれていた。

 今はまだ雨は降ってこそいないものの、いつ降り出してもおかしくない。

 吐き気がした。

 空模様がそっくりそのまま、俺の胸の内を絵に表したように思えて……。




 階段を下りる途中、トントンと包丁がまな板を叩く音が聞こえてきた。

 キッチンに立つ人物はすぐ想像できたが、同時にどうしてだろうという疑問も浮かび上がる。

 リビングに足を踏み入れると、案の定、キッチンでは母さんが昼食の準備に追われているところだった。

「あら、おはよう隼人。ずいぶんと寝てたみたいね」

 母さんは小さく微笑みながらそう言うと、出来上がった昼食を次々にテーブルの上へと運んでいる。

「……おはよう。母さん、今日は仕事休み?」

「え? ああ、そっか、まだ言ってなかったっけ。昨日から一週間、お盆休みなのよ」

 なるほどと、俺は納得した。

 リビングに目を向けるが、そこは電気とテレビがついているだけで誰の姿もなかった。

 普段ならソファの上でくつろいでいる七星の姿も、今日は見当たらない。

「……母さん、その……七星は?」

 コトン、と。

 サラダを盛りつけた皿をテーブルに置き、母さんは少しだけ難しい表情を見せた。

「まだ起きてこないわ。寝てるのか、部屋に閉じこもってるのか……」

「……そっか」

 リビングの天井を見上げる。

 その先は、七星の部屋だ。

 今頃アイツは、何をしているんだろう。

 何を思い、何を考えているんだろう。

 また、あの時と同じなのか。

 繰り返すだけなのか。

 過ぎ去った日々の記憶が、俺の脳裏に焼き付けた記憶が甦る。

「……顔、洗ってくる」

 俺はリビングを出て、洗面所へと廊下を歩く。

「ええ、そうしてらっしゃい」

 母さんも俺の胸の内を読み取ったのか、普段に比べてどこか言葉が優しかった。


 こんな不安定な心境だというのに、空腹だけはしっかりと安定を保っている。

 朝の一食を抜いているだけあって、食欲そのものはあった。

 しかし、いくら食べても味が分からない。

 おいしいのは分かっている。

 ただ、何か足りない。

 それは多分、味の一工夫とかさじ加減とか、そういうものではなくて。

 ただ単純に、いつもの三人の食卓が、今は二人だっていう……。

 ただ、それだけのことなのだろう。




 時計の秒針が規則正しく時を刻む。

 やや遅い昼食を終えて、俺は着替えを済ませてリビングのソファに座っている。

 特に見たい番組もなかったけど、何かに集中していないと溜め息ばかりが出てくるので、とりあえず今はテレビの画面に集中している。

「はぁ……」

 ダメだ。

 結局溜め息が漏れた。

 それもそのはずだ。

 一体俺は何が楽しくて、真昼間から料理教室入門なる番組を見なくてはならないのだろう。

 しかも、昼食を食べ終えた後だ。

 確かにそれなりにおいしそうなものが出来上がってはいるが、食いたいとは思えなかった。

 それよりも何よりも、今になって再び眠気が少しずつ押し寄せてきた。

 空腹が満たされたことで、休息の足りない体が睡眠を欲しているのかもしれない。

 まぁ、それも当然かもしれない。

 俺が自分で記憶しているだけでも、昨夜のうちに起きた回数は四回だ。

 一度目が覚めると、次に眠るまでに大体一時間近くは間があったような気がする。

 そんなんじゃまともな睡眠など取れたといえるわけもなく、今頃になって眠気が出てくるのも不思議なことではなかった。


「……んー」

 あくびを噛み殺して、少し背伸びをする。

 体中のだるさはいくらかなくなっていたが、それでもまだ疲れのようなものが残っている。

 今ここで眠ってしまえば、多分夜中まで目が覚めないだろう。

 一日の大半を寝て過ごすというのも考え物だが、この際仕方がない。

 昨日みたいに気分転換で出かけようとも思ったが、外はあいにく天気は下り気味だ。

 昨日までの連日の炎天下がウソのように、灰色の空の下は澱んだ空気が漂っている。

 今にも雨が降り出しそうな空気は、それだけで寒気を運ぶ。

 そういえば、今日は冷房がかかっていない。

 それはつまり、冷房などなくてもわずかばかりに肌寒さを感じる日ということだ。

 季節が急に変わってしまったような錯覚さえ覚える。

 天気の下り具合は梅雨のそれだが、空気は秋から冬に移り変わる時期のものによく似ている。

 まぁ、どちらにしたって外出する気分にはあまりなれない。

 寝る寝ないは別として、静かに部屋の中で過ごすというのは妥当な判断だろう。

 リモコンのスイッチを切る。

 電子音と共に、画面が黒く消える。

 ソファから立ち上がろうとした、そのとき。

「おはよー……」

 と、聞き慣れたそんな呑気な声で。

 目元をこすりながら、今まさに起きたといわんばかりの七星がやってきた。


 七星は顔を洗うと、遅い昼食に手をつけ始めた。

 母さんは最初、心配そうにテーブルの向かいに座っていたけど、ほどなくして二人の会話は小さな笑い声に包まれていた。

 まるで、昨日の出来事がウソのよう。

 少なくとも、こうしてその横顔を見ている分には。



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