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First Day(4):自由の羽根



 家に着いたのは、ちょうど夕方の五時を少し回った頃だった。

「ただいま」

「ただいまー」

 そう言って玄関の扉を開けると、キッチンからまな板を叩く音が聞こえてきた。

 母さんが夕食の支度をしているのだろう。

「あら? 珍しく二人一緒なのね。お帰り」

 料理の手を止め、母さんはキッチンからひょっこりと顔を覗かせて言った。

 それはいいが、包丁を持ったままというのは危ないから気をつけてほしい。

「あ、明美さん、私も手伝います」

 七星は一足早く家の中に上がり、荷物をリビングのソファに預けるとキッチンへと向かった。

「あら、いいのよ七星。ゆっくり休んでなさい」

「いえ、お手伝いします。明美さんだって、今日は朝から忙しかったじゃないですか」

「ああ、それね。ほら、もうすぐ海岸沿いの神社の夏祭りがあるでしょう? そのことについての会合だったのよ」

「あ、そっか。もうそんな時期ですね」


 キッチンから聞こえてくる二人の会話を聞きながら、俺はとりあえず荷物を持って部屋へと戻る。

 荷物自体は重く感じるほどのものでもないが、なんだかんだで今日は結構歩き詰めだった。

 おかげでふくらはぎの筋肉が少し張っている。

 極端な運動不足ではないが、最近あまり体を動かしてなかったのも事実だ。

 これを機に、少しは運動する時間を増やした方がいいかもしれないな。

 ベッドに背中を預けながら、俺は今日買った服を袋から取り出す。

 値札などのついている不要な部分をはさみで切り取って、タンスの中に服をしまう。

「これでよし、と」

 ちょうどいい具合に腹も減ってきた。

 夕食まではもう少し時間がかかるだろうから、それまでは部屋でのんびり過ごすことにしよう。

 何もせずにリビングでテレビをつけていると、七星がうるさいからな……。

 さて、何をして時間を潰そうか。

 と、手を伸ばした先に。

「……」

 今買ってきた、一枚のCD。

 ビニールを破り、ケースの蓋を開ける。

 机の上にあるCDプレイヤーにディスクをセット。

 イヤホンを耳に。

 読み込みの機械音。

 再生のボタンを押す。

 やがて、あの頃の懐かしいメロディが流れ出す。

 自分でも気付かないうちに、笑みがこぼれる。

 指先が、メロディに合わせて部屋の床をコツコツと叩いていた。




 いつもと変わらない夕食の風景。

 とりわけ今日は、いつもよりも賑やかだったように思える。

 とはいっても、母さんが俺達二人にどこに行っていたのと聞き、それに対して七星が一方的に喋って俺は相槌と否定を繰り返しただけ。

 全部に相槌なんて打ってたら、俺は今頃喫茶店で店員相手にディッシュ皿を投げ合って戦う、謎の奇人変人に仕立て上げられていた。

 今日一日の出来事を語るだけで、どうしてそこまで常識はずれなストーリーが展開されるのだろう。

 今に始まったことじゃないが、七星の話の飛躍っぷりには気疲れさせられる。


 夕食後の時間は緩やかに流れる。

 母さんはキッチンで洗い物をし、俺と七星はソファに座ってテレビを見ていた。

 内容はバラエティの番組なのだが、司会者とゲストのお笑い芸人が見事に噛み合わない。

 それがまた番組全体の雰囲気を別の方向から盛り上げる形となって、大きな笑い声が沸き上がった。

 こんな感じのトーク番組は、俺も七星も好んでみるものだ。

 ただ単純に持ちネタを披露してくれるよりも、何気ない日常会話を面白おかしくしてくれるほうがより面白い。

 と、ここで番組のコーナーが変わったようだ。

 ここ最近、番組内で人気が出てきているという心理テストのコーナーが始まった。

 スタジオの向こうから、このコーナーの顧問とも言うべき心理学者の男性がやってくる。

 最近ではこういう、学者とか教授といったいわゆるお偉い方々もバラエティの番組で多く見かけるようになった。

 それが今時の視聴者には受けがよく、様々な番組でゲストやレギュラーとして取り上げられている。

『それではですね、今回もまた一つ、ちょっとした心理テストを皆さんに受けてもらいたいと思います』

 心理学者の男性はそう言うと、問題の書かれたホワイトボードをひっくり返した。

 するとそこには、簡単な図式で父、母、息子、娘と、それぞれに書かれ、それらが船の上で乗員のように並んでいる。

『今回のはですね、もしかしたらちょっとだけ残酷なものかもしれません』

 残酷という言葉に、司会者やお笑い芸人がここぞとばかりに突っ込みを入れる。

 そのたびにスタジオに笑いが沸き起こり、いっそうヒートアップしていく。

 司会者が適当なところで場を静め、引き続き心理学者の男性が先導する形になる。

『問題としては簡単です。これはですね……』

 問題の解説が始まった。

 それは、俺もどこかで一度は耳にしたことがあるような心理テストだった。


 舞台設定として、登場人物は海の上を漂流しているという状況にある。

 食料も水もすでに底を突き、助かる見込みはあまりにも少ない。

 そんな彼らに、わずかに救いの目が出る。

 遠くに陸地が見える。

 あそこまで辿り着くことができれば、助かるかもしれない。

 しかし、ここでアクシデントが起こる。

 ボートの船底から、浸水が始まった。

 結論から言うと、このままではボートは転覆してしまう。

 が、誰か一人だけならボートに乗せたままでも陸地まで辿り着くことができる。

 その場にいる誰しもに、すでにこの場所から陸地まで泳いでいける体力は残されていない。

 同様に、誰か一人に助けを呼びに言ってもらったとしても、助けが来る前に彼らは溺れてしまう。

 この状況で、あなたなら誰を助けますかという、そういう心理テストだった。

 漂流者は四人家族。

 それぞれ、父、母、息子、娘の四人である。

 ゲストはそれぞれに手渡されたボードに、自分が助けるべきと思う人物とその理由を書いて提示する。

 結果として、心理学的観点から捉えたその人間の深層心理が分かるのだという。


 テレビの中の、しかもかなり限られた状況の問題ではあったが、なるほど、確かにこれはある意味で残酷かもしれない。

 誰か一人を助けるということは、同時に残りの三人を見殺しにするということなのだから。

 さすがにお笑い芸人のゲスト達も、問題の取り組みには真剣な表情で望んでいるようだ。

 普段見せないような苦悶の表情を見せる人も少なくない。

「なんか、嫌な出題ねぇ」

 キッチンでの洗い物を終えた母さんが、テーブル越しにそんな言葉を呟いた。

「でもまぁ、例えばの話だしさ」

 俺は何気なく、気軽な感じで言葉を返した。

「まぁ、そうだけどね。あんまりこういうのは好きになれないな、母さんは」

 それは当然だと思う。

 そもそもこの問題のような状況に遭遇することなど、それこそ常識で考えたら天文学的な確率のものだろう。

「ちなみにさ、母さんだったら誰を選ぶ?」

 俺は背中越しに聞いてみた。

「んー、そうねぇ……」

 あまり好きではないといってた割には、母さんは真剣に考えている。

 しばしの間うーんと唸りながら、口を開く。

「選べないなぁ、母さんは。そんなことを選ぶくらいだったら、全員が助かる方法を考えるわ」

 それは多分、問題の答えとしては正解でもなく不正解でもないだろう。

 俺も実際、母さんと全く同じ考えだった。

 ありえないことだけど、そんな状況になったら誰を残すかではなくどうすれば全員が生き残れるかを考えたい。

 設定をそのまま引き継ぐのなら、この四人は血の繋がった家族だ。

 赤の他人ではない。

 その中から生かす一人と殺す三人を選ぶなんて、出来っこない。


「なぁ、七星は……」

 話を振ろうと振り返って、俺は思わず呼吸が止まりそうになった。

 そこに、見てはならない何かを見てしまったような気がして。

 だからすぐには気付くことができなかった。

 だって、ウソみたいだ。

 どうして、七星は……。

「え、何?」

 七星が俺のほうを振り返る。

 ……気付いて、いないのだろうか。

「ちょっと、どうしたの七星……」

 俺の後ろの母さんも、その異変に気付いて声が裏返りそうになる。

「え? え?」

 やはり、七星は気付いていなかった。

 驚きに満ちたその表情の中に、理由の分からない場違いな涙が流れていることに……。




 自室のベッドの上、俺は明かりもつけずに灰色の天井をぼんやりと見上げていた。

 眠るにはまだ早すぎる時間、しかしこれといってすることは何もなく、仕方ないのでベッドの上で天井を見上げている。

 あの後……。

 正体の分からない自分の涙に、七星は少しだけ取り乱した。

 その場をうまく取り繕ってくれたのは、母さんだった。

 俺自身、何がなんだか全くわけがわからなかった。

「隼人、悪いけどちょっと、七星と二人にして」

 そう言った母さんの言葉に、俺は素直に従った。

 正直あの場では、俺は何もすることができなかっただろう。

 不意打ちとも取れる涙に取り乱していたのは、七星以上に俺だったのかもしれない。

 ……もう。

 終わったことだと思っていたのに。

 あんな記憶は過去のものだと、捨て去ってしまったと思っていたのに。

 そうじゃ、なかった。

 少なくとも七星は、違った。

 まだ心のどこかで、あのときの傷を引きずっている。

 アイツは悪くないのに。

 罪を責められるのは、七星ではなく俺のはずなのに。

 罪人である俺が全てを忘れ、犠牲者である七星がまだ過去を引きずっている。

 ……理不尽だ。

 奥歯が軋む音がした。

 行き場を失った怒りが、再び胸の内で膨れ上がってくるよう。

 目を閉じる。

 どうしてこんなにも、鮮明にイメージが流れ込んでくるんだろう。


 赤い炎。

 罵詈雑言。

 打ち付ける、耳障りな音。

 悲鳴。

 泣き叫ぶ、声。

 何度も振り上げる、悪魔の拳。

 何もかもが燃え盛る炎の中で。

 何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も……。


「やめろっ!」

 自分の言葉の残響が、部屋の四方の壁に反射してしつこく耳の奥に跳ね返る。

「はぁ、あ……ぁっ、はぁ……」

 呼吸が整わない。

 心臓の鼓動が否応なしに高まる。

 ドクン、ドクン。

 忘れかけていた記憶が呼び覚ます。

 その手に残る、罪の重さを。

 嫌でも思い知らされる。

 あの、炎の中で。

 俺は、間違いなく、確かに…………。

「…………ッ!」

 消し去れない。

 拭い切れない。

 それは、あの日から分かっていたことだ。

 それは、最初から分かっていたことだ。

 今更、それを……。

 無かったことなんかに、できるはずがないんだ……。


 コンコン、と。

 部屋の扉を、どこか遠慮がちにノックする小さな音。

「……隼人、起きてる?」

 その声に、俺は跳ね上がるように体を起こした。

「七星、か……?」

「うん……」

「待ってろ。今開けるか……」

「あ、いいの。このままで聞いて」

 立ち上がって歩きかけた体に急ブレーキをかける。

 ドアノブを回そうと伸ばした手が、虚しく宙を泳いだ。

「さっきはごめんね。いきなり泣き出したりなんかしちゃって……自分でも、よく分からないんだけどさ」

「……ああ。もう、大丈夫か? 少しは落ち着いたか?」

「うん。もう平気」

「……そっか。なら、いい」

「うん……」

 それっきり、俺も七星もしばらく黙り込んだままだった。

 もっとかけてやる言葉はあるはずなのに、どれだけ探しても正しい言葉が見つからない。

 それはまるで、さっきの心理テストとよく似ていた。

 どの応えも正解ではなく、同時に不正解でもない。

 それでも俺は、思ったはずだ。

 正解でも不正解でもない、別の答えを探すんだと。

 だけど今は、見つけられない。

 かける言葉が、見つからない。

「じゃあ、私はもう寝るよ」

「……ん、分かった」

「おやすみ、隼人」

「ああ、おやすみ……」

 扉越しに、七星の足跡が少しずつ遠ざかっていく。

 一瞬だけ訪れる安堵と、その直後に押し寄せる罪の意識。

 俺は自分の無力さ加減に、また奥歯をギリと噛み締めた。


 月明かりに照らされたカーテンを静かに開ける。

 頭上には、奇麗な半月が金色に光っていた。

 俺は机の上に放り出されたままの空のCDケースを取る。

 中身のCDは、プレイヤーに入ったまま。

 詩もメロディも、全てが好きだった曲。

 タイトルは、フリープルーム。

 自由の羽根。

「ウソばっか……」

 俺は誰にでもなく、自分自身に呟く。

 自由も羽根も、俺にはない……。



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