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First Day(2):女ってワカンネェ



 外に出ると、炎天下の日差しが勢いよく頭上から降り注いできた。

 それでも連日の暑さに比べればずいぶんとマシだと言えるが、やはり季節は夏、暑いものは暑い。

「ほら、何ボサッとしてんのよ」

 俺が日差しの強さに目を瞑っていると、すぐ脇を七星はやけに機嫌よく通り過ぎた。

 七星はベージュのブラウスにグレーのデニムパンツという、白を基調とした涼しげな格好に小さめのトートバッグを肩から下げている。

 対して俺はというと、何が悲しいのか、黒のティーシャツに紺のジーパン。

 これではまるで、七星が熱を反射して俺が熱を吸収しているようなものだ。

 今すぐ部屋に戻って着替えをしなおそうかとも思ったが、すでに七星はスタスタと道の先を歩き始めてしまっている。

 気のせいか、鼻歌のようなものまで聞こえてくる。

「女って、わかんねぇ……」

 そう呟いて、俺はどこか納得のいかない足取りで、その白い背中を追いかけた。


 俺達の住むこの佐倉町は、海に面した港町というイメージが強い。

 実際に町の東側には大きく港が展開され、街の特産物の多くも海産物がその割合を占めている。

 かといって決して時代錯誤のある町ではなく、街の中心部には大規模なアミューズメント型施設や大型デパートの支店なども立ち並ぶ。

 こと生活に関して不便と思うことはなく、人ごみのごった返しになる都心などに比べて、はるかに環境がいいと俺は思っている。

 家を出て、まずは住宅街に沿って続く道を歩く。

 すると大きな道路にぶつかるので、今度はそこを右折し、さらに直進。

 十分も歩けば、駅の看板が見えてくる。

 そこを中心として、駅前のいわゆるアーケードや繁華街が大きく展開されているのだ。


 さてと。

 こうして出歩いてきたのはいいものの、目的も持たずにただ歩き続けるというのもそれはそれで体力のムダになる気がする。

 いくらか涼しいとはいえ、この炎天下の中をあてもなくさまよい続けるのは自殺行為に等しい。

「七星、お前どこか行きたいトコってあるの?」

「え? 私?」

 話を振られ、少し前を歩いていた七星は振り返る。

「っていうか、隼人はどこか行く場所があったんじゃないの?」

「いや、何も。ただ、家にいるよりはいいかなと思って。最初に言っただろ。散歩みたいなもんだって」

 まぁ、散歩なら文字通りに歩いていればいいのだけど。

「うわ、無計画……」

 非難の視線を浴びせられた。

 と、こうしている間にも体温と体力はどんどん奪われていく。

 何もしてないのにエネルギーだけを搾り取られるなんて、まさに理不尽の極みではないだろうか。

 なので、とりあえずは。

「んじゃ、とりあえずそこの喫茶店にでも入ろう。暑くて仕方ない」

「ん、そだね」

 ガラス越しに見える店内は、まだ比較的客足は少ない。

 まずは冷たい飲み物でも口にして、午後の予定を立てるとしよう。




 鈴の音を鳴らし、俺と七星は喫茶店のドアをくぐった。

 すぐにウェイターが寄ってきて、お決まりの案内文句を口にする。

「いらっしゃいませ。二名様でよろしいですか?」

「はい。タバコは吸わないんで、禁煙席でお願いします」

「かしこまりました。ご案内しますので、こちらへどうぞ」

 ウェイターの後に続いて、俺は歩き出す。

 そのあとに七星も続く。

 案内されたのは四人席だったが、まぁ店内の客足が少ないから問題はないのだろう。

 向かい合うように座って、俺と七星はそれぞれにアイスカフェオレとアイスココアを注文した。

 注文を受けると、ウェイターは礼儀正しくお辞儀をし、カウンターへと戻っていった。

「ふぅ……」

 背もたれに体を預けると、ふいにそんな溜め息が漏れた。

 疲れたというわけではないのだが、暑さに参っていたというのは本当だ。

 ちょうどいいから、薄手の洋服も見て回ることにしようか。

 そんなことを考えながら正面に視線を戻すと、七星はどうしてか俺の顔をジッと見続けていた。

「……?」

 別にさほど驚くことでもなかったかもしれないが、体が勝手に飛び退くような反応を示してしまう。

 そのまま一分が過ぎ、二分が過ぎる。

 相変わらず七星は、視線をピクリとも動かさない。

 ただジッと、俺の顔を見据えてくる。


 ジー。

「……七星?」

 ジー。

「おい、七星ってば……」

 ジー。

「聞いてるのか?」

 ジー。

「……バカ七星」

「なんだと!」

「うわっ」

「バカとはなんだ、バカとは!」

「バカ、お前。いきなり反応するな……」

「だからバカってなんだ、バカって!」

「今のは不可抗力だ。聞き流せ。それと、店内で騒ぐな」

 その一言で、七星はようやくハッとなる。

 幸い客足が少ないこともあり、他の客はこの小さな騒ぎには気付いていないようだった。

「うー……」

 それで落ち着いたのか、テーブル越しに身を乗り出しかけていた七星は、ようやく腰を下ろした。

「ったくもー……」

 ふてくされ気味の七星。

「それはこっちのセリフだ……」

 グラスの水を一口含んで、俺は呟いた。

「何よー。いきなりバカって言われたら怒るに決まってるでしょー」

「その前だ、前。いくら呼びかけても反応しなかっただろ、お前」

「え? 私?」

「そう。お前」

 もとい、七星以外に誰がいるというのだろう。

 あいにく俺は、生まれつき幽霊が見えるとかそういう特異な体質などは持ち合わせていない。

「……」

 と、再び七星は黙り込んでしまう。

 俺は全くもってわけがわからないままだ。


 注文の品がやや遅れて運ばれてきた。

 だが、特に待つというほど待っていたわけでもなかったので、多少の遅れはそれほど気にはならなかった。

 ガムシロップとミルクをそれぞれ一つずつ流し込み、薄茶色の液体を口にする。

 うん、うまい。

 喫茶店の飲み物なんてただ高いだけでインスタントと同じじゃないかと言う人もいるが、そういうものばかりでもない。

 俺はこの店に通いなれたというほど頻繁にやってくるわけではないけれど、ここのカフェオレの味は好ましいものだった。

 遅い朝食のせいもあって空腹感はほとんどなかったが、胃の中の流し込んだカフェオレはほどよく隙間を満たしてくれた。

 向かいに座る七星も、その甘ったるそうなアイスココアを口にしている。

 わずかにほころんだようなその表情から察するに、口には合ったようだ。

 しかしまぁ……。

 この店のアイスココア、俺はまだ口にしたことはない。

 というか、基本的に俺は甘いものがあまり好きではない。

 拒絶するほどに嫌なわけではないのだが、自分から進んで口にすることなどほとんどないと言ってもいい。

 だからその、なんだろう。

 店側からすればサービスなのだろうが、そのアイスココアにセットでお得と言わんばかりについてくるバニラのアイスクリーム。

 一体何を考えているのだろうと、真剣に悩み出しそうになってくる。

 これがコーヒーの付け合わせならまだ納得できる。

 コーヒーの苦味をアイスの甘味で補うといった具合だろう。

 しかしどう見たって、アイスココアにアイスクリームは甘いものに甘いものの組み合わせでしかない。

 これはようするに、客を太らせようという店側の隠れた陰謀なのではないだろうか。

 もちろんそんなことはあり得ないだろうけど、甘いものが苦手な俺から言わせればこの組み合わせは拷問である。

 恐らくこの先の将来、俺はこの店でアイスココアだけは決して注文することはないだろう。

「どしたの? 隼人」

「え、ああ、何が?」

「さっきからジーッとこっち見てるけど」

「いや、特に意味はない」

 アイスクリーム一つに後の人生設計をしていたなどと、バカらしくて口が裂けても言えやしない。

 しかしその視線が手元のアイスに向けられていたと察した七星は、それこそ深い意味などなくこう言った。

「……食べる?」

「謹んでお断りします」




 長く居座っても、体が冷房の気温に慣れてしまう。

 お互いにのどを潤したあと、とりあえずはデパートの中を見て回ろうということに結論付けて喫茶店をあとにした。

 ちなみに言うと、喫茶店はなぜか俺の奢りだった。

「私、付き合ってあげてるんだけど?」

 席を立つ際に満面の笑みでそう言った七星に、俺は大人げもなくわずかな殺意を抱いてしまった。

 ちくしょう、この三百五十円をいつか倍にして返してもらうからな。


 平日の真昼ではあったが、夏休みということも後押しし、デパートの店内はさすがに人が多い。

 そういえば、時期的にももうお盆の真っ只中だった。

 里帰りする人、してくる人、どちらにしても少なくはないのだろう。

 とりわけ、特設スペースのみやげ物などは多くの家族連れや親子連れで賑わいを見せていた。

 そんな人の波を掻き分けながら、エスカレーターを乗り継いで衣類売り場にやってくる。

 このフロアは大小様々なテナントで構成され、参加店舗数は軽く十を超える。

 フロアの中央にエスカレーターの乗り場があり、それを円形に囲むようにして店舗が構えられているのだ。

 もちろん、店によって男性向けと女性向けでジャンルは分かれており、気がつけば七星はすでに服選びに没頭していた。

「むー……」

 こっちもいいがそっちも捨てがたいなどと、唸るように七星は品定めをしている。

 ほとんどの店舗では夏物大処分という看板を掲げ、店内の夏物も大半が割引価格にて放出されているようだ。

 ちなみに俺は、適当にメンズのズボンやシャツを見て回っている。

 デザインもそうだが、まずは着心地に重点を置いている。

 見た目の派手さとか、いわゆるカッコよさというのは二の次だ。

 そこまでファッションにこだわりはないし、どんな服でも着こなせるという自信もない。

 ようするに、普通でいい。

 夏物とはいっても、どうせ暑さは九月の終わり頃まで続くのが毎年のことだ。

 それを考えて、俺はズボンを二着とシャツを一着ほど購入することにした。

「ありがとうございましたー」

 今風の若い男性店員が、見た目に似合わず丁寧に袋詰めをしてくれたのが少し驚いた。

 さて、こっちの買い物は一段落したわけだが。

「むー……」

 七星は相変わらず奮闘していた。

 いや、それでも七星なりに厳選した逸品を選りすぐっているのだろうけど……。

「うーん……」

 その目はちょっとだけ、本気モードが入っているように見えた。

 七星がさっきからにらめっこを繰り返しているのは、どうやらワンピースのようだった。

 似たような品を両手に掴んで悩んでいるようなのだが、俺からはどちらも同じものにしか見えない。

 女っていうのはどうして、こんなにも電話と買い物が長いのだろう。

 これはもはや、一種の社会現象として真剣に議論されてもいいような気がしてきた。


 その後たっぷり二十分を費やして、結局七星は別のものを購入していた。

「あれだけ悩んで買わないとは、女ってわかんねぇ……」

「何? なんか言った?」

「……別に」

 内心で呟いたと思っていたのに、無意識のうちに言葉に出してしまっていたようだ。

 俺達は今、デパートの地下にある休憩場のようなスペースで休んでいた。




 服を買い終えた後は、そのままさらに上の階にある雑貨売場へと向かい、同じフロアの百円ショップも渡り歩いた。

 そこで買ったものはなかったが、適当に商品を眺めながら歩くだけでも時間は思いのほか過ぎていった。

 その後、最上階にある書店に立ち寄った。

 これといって特にめぼしいものもなく、俺はマンガ雑誌を立ち読みして時間を潰していた。

 しかし、ずいぶんと時間が経ったにもかかわらず、七星は一向にやってこない。

「探したい小説があるから、それまで時間を潰してて」

 そう言った七星は、まだ現れない。

 少し遅すぎやしないだろうか。

 探して見つからないのならば、とりあえずは店員に聞いてみればいいだけのことだ。

 それとも、七星も立ち読みに没頭してしまっているのかもしれない。

 そうだとしたら頷ける。

 小説一冊を丸々読み切るとすれば、二時間程度の時間は当たり前のように消化される。

 さすがにそこまで付き合うのはゴメンだ。

 俺は荷物を持って、小説のコーナーを見て回った。

 すると思いのほか簡単に、その一角に七星の姿を見つけることができた。

 思ったとおり、立ち読みに没頭しているようだ。

「おい、七星。何やってんだよ」

「…………」

 しかし、返事はない。

 よほど読書に集中しているのだろうか。

「七星? おーい……」

 肩を掴んで小さく揺らす。

 しかし、反応はない。

 ならば、是が非でも反応してもらうしかない。

 これは喫茶店ですでに実証済みだ。

「……バカ七星」

 ポツリと、囁くように言う。

 同時に一歩退き、身構えた。


 ……しかし。

「……あれ?」

「…………」

 七星は微動だにしなかった。

 おいおい、マジか?

 どうなってるんだこれは。

 恐る恐る、俺は七星に近寄る。

 実はこれが気付かないフリで、近寄った瞬間にこう首をグワーッと掴まれたりするんじゃないだろうか。

 などと、恐ろしい想像を膨らませてしまう。

 しかしそれも、ただの想像のままで終わる。

「七星、どうしたんだ……」

 と、顔を覗き込もうとして。

「……スー…………スー……」

 そんな、小さな寝息が聞こえてきた。

 ……コイツ。

 立ったまま寝てやがる…………。

 よくよく見れば、手にしている小説もさっきから一ページとして捲られてはいない。

 なんて器用なヤツなんだ。

 驚きと呆れで、俺はドッと疲れが押し寄せてきた。

「こら、起きろ七星。寝てんじゃねー」

 グリグリと、頭の頂点を押すようにねじった。

「……あう、痛い、痛いってば……」

 意外とあっさりと七星は目を覚ました。

 目元を軽くこすりながら、手にしていた小説を閉じて棚の中へと戻していく。

「もー、何すんのよー……」

「よりによって、立ったまま寝るな。ムダに器用なんだよお前は」

 まだ完全に起きていない七星の手を引いて、俺は足早に書店を後にする。

 寝ぼけたままのコイツを放っておいたら、それこそどこに流れていくか分かったもんじゃない。

 とにかく少し、休める場所に行こう。




 という流れで、俺と七星は今に至る。

 エレベーターの中でもウトウトしかけていた七星を引っ張ってくるのは楽ではなかったが、水分補給をさせたらすぐに目が覚めた。

 簡単な性格で助かる。

 ガス欠の車体に給油したようなものなのだから。

「今何か、すっごく失礼なことを想像されたような気がする」

「……気のせいだろ」

 俺はカップの中のオレンジシューズを飲み干した。

 いつの間にやら時間だけがしっかりと流れ、もう夕方の四時になろうとしている。

 デパートの地下は食品売場にもなっているため、この時間になると夕食の買い物に訪れる主婦の客層が一段と多くなる。

「そろそろ帰るか。もう夕方だし」

 空になった紙のカップ潰して、手近に合ったゴミ箱に放る。

「そうしよっか……あ」

 ふいに何かを思い出したように、七星が声を上げた。

「何?」

「ごめん隼人。もう一ヶ所だけ付き合ってくれない?」

「そりゃ別にいいけど……あんま長くなるなよ?」

「分かってるって。ほら、行こう」

 何がそんなに楽しいのか、七星は一足先に駆け出した。

 その背中を追いかけて、俺もゆっくりと走り出す。

 ふと、思った。

「これじゃ、俺が七星の買い物に付き合わされてるみたいじゃん……」

 まぁ、途中から分かりきってたことだけど。


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