Last Day(6):いつか僕らが星になって、僕らの記憶も星になった
俺は長い石段を上り終える。
祭りに賑やかさがそこにも続いていて、多くの人々が大して広くもない境内の中、ひしめき合うように集まっていた。
人ごみの中を掻き分けて、俺はその場所に向かう。
神社の裏。
七星はそこにいると、電話の向こうでそう言っていた。
境内を抜け、神社の裏手に続く雑木林を目指す。
と、その途中で意外な人物に出会った。
「……瀬口?」
雑木林の近くで一人佇んでいるその姿は、間違いなく瀬口だった。
瀬口も俺に気付いたのか、ハッと顔を上げてこっちに歩み寄ってくる。
「や。来栖君」
軽く片手を上げて瀬口は言う。
「瀬口、何やってんだよこんなとこで?」
「いや、特に何ってわけじゃないんだけどね……」
瀬口の言葉はどこか歯切れが悪い。
俺、何か悪いことを聞いてしまったのだろうか?
「それより、来栖君こそこんなとこで立ち止まってていいの?」
「え?」
「七星、そっちで待ってるよ。早く行ってあげないと」
「あ、ああ。でも、何でお前がそんなこと……」
「詮索はあとあと。ほら、女の子を待たせるんじゃないってば」
そう言うと瀬口は、ドンと俺の背中を押した。
「お、おい。何なんだよ、一体……」
そう言いつつも、俺は促されて歩を進める。
「来栖君」
と思ったら、また呼び止められる。
ホント、一体何なんだ?
「ん? 何だよ?」
「七星のこと、ちゃんと支えてあげないとダメだよ。あの子の救えるのは、きっと来栖君だけだと思うから……」
「……何だよ、それ。瀬口、お前何言って……」
「私から言えるのはそれだけ。じゃね、がんばって」
言いたいことだけ言って、瀬口はさっさと祭りの人ごみの中に去っていった。
俺だけがそこに取り残されたようで、ひどくその場所は空虚だった。
「……何でお前が、そんなこと言うんだよ」
だけどそれは、結果として俺の背中を押したことになるのかもしれない。
……って、実際に背中押されたよな、俺。
などと、どうでもいいことを考えている暇はない。
七星はこの先にいる。
会って話そう。
ちゃんと、伝えるべきことを伝えよう。
そのために必要なものは、最初から全部この手の中にあったんだから。
「あ……」
最初に声をあげたのは七星だった。
「悪い。遅くなった」
「ううん。私も今来たところだから」
バレバレのウソだった。
なぜなら、俺はすぐそこで瀬口と会っていたのだから。
まぁ、今はそのウソなんてどうでもいいことだ。
「隣、いいか?」
「あ、うん……」
俺は七星の隣に腰を下ろす。
とはいえ、そこはコンクリートの地面の上。
ズボンの下から、わずかにひんやりとした感覚が伝わってくる。
俺はそのまま、一度頭上の空を見上げた。
徐々に夜の色の変わりつつある空模様。
ところどころに、儚いほどの光を放つ小さな星が顔を出していた。
「急に呼び出してごめんな。家に帰ってから話そうとも思ったんだけどさ」
「ううん、いいよ別に。それで、話って、何?」
「ん……」
いざ話し出すとなると、俺は何から話せばいいのか分からなくなってしまった。
肝心要の伝えたい言葉は、それこそたった一言だけ。
だけどそれだけじゃ、きっと無意味なんだ。
言葉を探す。
うまく言い繕うことなんて、最初からこれっぽっちも考えていないんだ。
拙い言葉でもいい。
伝えたいことを伝えればいいんだ。
「……なんだかんだでさ、俺達が家族になってからもう十年だよな」
独り言のように、正面を見据えて言う。
「……うん。そうだね。もう、十年になるんだ……」
相槌を打つように、それでも七星はしっかりと答えてくれた。
「長いようで、あっという間だったよな。ありきたりな言葉だけどさ」
「うん。ホント、早すぎるよね。家族になったの、ついこの前のように思えるもの」
それぞれにこの十年を思い返す。
それは本当にあっという間で、だけどこうして振り返れば、やはりいくら思い出を口にしてもキリがなくて。
光陰矢のごとしって言う言葉もまんざらじゃないなと、そう思えた。
「色々あったよな。今思うと、しょっちゅう喧嘩ばっかしてたよな」
「それは、隼人がいっつも先に口を出すからでしょ」
「何言ってんだ。その後真っ先に手を出すのはお前じゃんか」
「いくら言っても、隼人が分からずやだからだよ」
「そんで結局、母さんに怒られるのは俺の役目だったよな。女の子に手を上げるんじゃないって」
「自業自得でしょ」
「そっちは女二人、こっちは男一人。口で勝てるわけないっつーの」
アハハと、俺達は互いに笑いあった。
そういえば、どれだけ喧嘩したときでも最後には必ずこうやって笑い合ってたよな……。
まぁ、大体最初に謝るのも俺の役目だったんだけどさ。
それからずっと時間が流れて、俺達も少しずつだけど大人への階段を上っていって。
そういう目には見えない積み重ねがあるから、今こうして並んでいるんだよな。
「色んなことがありすぎて、全部は思い出せないかもな」
「だけど、きっとどこかで覚えてると思う。隼人が忘れたことでも私が覚えてて、私が忘れたことでも隼人は覚えてるのかもしれない」
「そうだな。確かに、そうかもしれない」
「……人間ってさ」
言いながら、七星はその場で立ち上がった。
「生まれてから死ぬまでの一生が、星によく似てるんだって」
「星って、あの星か?」
俺は空の星を指差す。
「そう。知ってる? 星に終わりなんてないんだよ」
「終わりがないんじゃ、人間とは違うんじゃないのか? 人間は、その……やっぱ、死んだらそこで色んなものが終わっちまうだろ」
「形はね。だけど、その人の記憶や声、思い出、生まれた場所、過ごした時間は、絶対になくならない。だって……」
一歩踏み出し、振り返って七星は言う。
「その人のことを覚えてる人が、必ずどこかにいるから」
「……そりゃまた、ずいぶんとメルヘンな話だよな」
立ち上がり、俺は言う。
「実は、小説の中の受け売りなんだけどね」
「ああ、そんなことだろうと思ったけどさ」
そうしてまた、互いに小さく笑い合う。
「でもまぁ……」
もう一度俺は空を見上げる。
いくつもの小さな星々。
いつか、無限に広がる宇宙の海で瞬いて生まれて。
こうして今、地上を照らしている。
弱く儚い光。
それでも、誰かに届けと。
どこかに届けと。
生まれた意味を求めて、光を放つ。
それは本当に、人間と何ら変わりのないもので。
振り返り、俺は言う。
「そういうメルヘンも、たまには悪くないかもな」
「でしょ?」
そうしてお互いに、空を見上げる。
ああ、悪くないな。
だって、そっくりだ。
あの星のこの星も、全部自分みたいに思えてくるんだ。
……さぁ。
昔語りは、もう十分だろう。
伝える言葉は、最初から決まっていたんだ。
何一つ難しいことなんてない。
何気ないその一言を、伝えよう。
「……七星」
「ん?」
「ありがとう」
「……え?」
「家族になってくれて、ありがとう」
「……隼人?」
「……ずっと、言い出せなかった。だって俺は、お前の大切なものを奪い取ってしまったから……」
「…………」
「俺、ずっと逃げてた。奪うだけ奪って、背負うことから逃げてたんだ。自分だけが苦しんでるって、勘違いしてた」
七星は何も言わない。
それが否定でもいい。
逃げるのはもう、嫌なんだ。
「だけどそれは、七星も同じだったんだよな。奪った俺よりも、奪われた七星のほうがずっとずっと辛かったに決まってる」
「隼人……」
「許されたいって、いつもどこかで思ってた。楽な道ばかり選ぼうとしてた。でもそれじゃダメなんだ。何も変わらない」
「……うん」
「だから、俺はもう逃げないから。全部、背負って生きていくから。七星の辛さも悲しさも、俺が半分背負うから、だから……」
「……うん、うん……」
「……これからも、一緒にいてほしい。いや、いてもいいか? 七星の隣に、いてもいいかな?」
「…………ズルイよ、隼人……」
「……え?」
「……私が言いたかったこと、全部先に言っちゃうんだもん。これじゃ私、もう何も言えないよ……」
「あ……悪い」
「……いいよ。許してあげる。けど、私にもこれだけは言わせて」
「……何?」
七星は俯きかけた顔を上げて、真っ直ぐに俺の目を見た。
そして……。
「……ありがとう。私を家族に迎えてくれて、ありがとう。それと……これからもよろしくね、隼人」
目の端に涙を一杯に溜めて、それでも笑顔でそう言った。
「……ああ。よろしくな、七星」
それが限界だったのか。
七星の頬を、透明な雫がゆっくりと伝って地面に落ちた。
それと同時に、俺の胸に軽い衝撃。
地面を蹴って、七星は俺に飛びついた。
俺は突然のことに一瞬バランスを崩すが、どうにか踏ん張って耐える。
今度はそう簡単に、手を離すわけにはいかないよな。
そっと、七星の肩を抱く。
俺の腕の中で、七星はいくつもの涙を流していた。
その驚くほどに小さな体を、壊れないようにできるだけ優しく支える。
……もう少し。
あと少しだけ、こうしていよう。
七星の涙が、枯れてしまうまで……。
「とりあえずは、これでハッピーエンド、かな」
私はそっと物陰から歩き出す。
覗き見してたことにはちょっと罪悪感はあるけど、やっぱり気になって仕方なかった。
できることなら、七星にも来栖君にも幸せになってほしかった。
でもそれは、やっぱり無用の心配だったのかもしれない。
「ま、めでたしめでたしってことだよね」
「……何がめでたいんだ、何が」
「うわぁっ!」
と、私はのけぞるように大声を出してしまう。
マズイ。
今の声で七星達に気付かれてしまったかもしれない。
「おい。人をパシらせといて何打その態度は……って……」
「うるさい、黙れ!」
私は健二の襟首をつかんでズカズカと歩き出す。
「待て、葵! 話せば分かる! ってか、首! 締まってる締まってる!」
「いいから、黙って歩く!」
ズルズルと健二を引きずって、私は空いたベンチにやってくる。
後ろを振り返るが、そこに七星と来栖君の姿はない。
どうにか気付かれずにはすんだようだった。
「ふぅ……危ない危ない」
「それは、俺の余命のことじゃないのか……」
健二は貪るように酸素を取り入れていた。
「アンタは殺したって死ぬようなタマじゃないでしょうが」
「偏見だ、差別だ。俺だって生きてるんだぞ」
「ああ、ハイハイ、そうですね」
健二の言葉に適当に相槌を打ちながら、私はふと思う。
よかったね、七星。
もとからいつかはこういう結果になるんじゃないかとは思っていたけど、そうなる過程がずいぶんと遠かった。
いつまでたってもつかず離れずの二人は、私から見ればひどくまどろっこしいものがあったのかもしれない。
だけど今は、ちゃんと心の底から祝福できるよ。
喜びも苦しみも、悲しみも楽しみも共にできる存在。
正直、羨ましいな。
……それに引き換え、私ってば。
チラリと、振り返り健二の顔を見る。
幼馴染で腐れ縁。
悪いヤツじゃないのだけれど、何を考えてるか分からない上にどこかパッとしない。
この差は何だろうと、私は溜め息しか出てこない。
「何だよ、その意味ありげな溜め息は」
「……別に、何でもない。気にしたら負けよ」
「……微妙にムカツクな、それ」
そして、互いに溜め息を漏らす。
「で、健二。それ何?」
私は健二が手にぶら下げた袋を指差して言った。
「何って、お前。それを俺に言わせるのか?」
「何それ? 意味がわかんないんだけど?」
「……神様、コイツ殴っていいですか」
そんな囁き声が聞こえたな気がした。
「あのなぁ。お前が俺に何か適当に買ってこいって言ったんだろうが」
「へ? 私、そんなこと言ったっけ?」
「言った! 間違いなく言ったぞ。しかもお願いじゃなく、命令だ」
……ああ、そういえば。
私が来栖君と分かれてからすぐに、健二もあの付近にやってきたんだっけ。
それで、このまま健二を突っ込ませたらなるものもならなくなるって私の直感が知らせて……。
「……ああ、うん。言ったような気がしてきた」
「……神様、コイツ蹴飛ばしていいですか」
だから、独り言ならもっと聞こえないように言えばいいのに……。
「……まぁいいや。何か疲れてくるから。もうどうでもいい」
「む。その言い方はちょっと聞き捨てならない……って」
「ほれ。冷めないうちにとっとと食え」
そう言って健二が私に差し出したのは、屋台のたこ焼きだった。
「お前、たこ焼き好きだろ? 毎年のように食ってたもんな。感謝しろよ? 屋台の人に無理言って、出来立てもらってきたんだから」
そう言われて受け取ったたこ焼きは、確かにまだホカホカと暖かかった。
「…………」
「な、何だよ。急に黙り込んで。気持ち悪いな……」
そんな健二の文句も、今はまともに耳に入らない。
……そっか。
もしかしたら私も、近すぎて全然気がつかなかっただけなのかな……。
「おい、どうしたんだよ葵? 腹でも痛いのか?」
いや、確かにたこ焼きは大好物だけどさ。
それを私が毎年のようにお祭りで食べてたなんて、普通分かんないよね。
……だけど健二は……コイツは知ってたんだ。
「……葵? マジで気分でも悪いのか?」
「……え? な、何? 聞いてなかった、ごめん」
「……お前なぁ……」
健二は呆れたように溜め息をつく。
「もういい。お前が食欲ないんなら、俺がまとめて消化してやる」
「え?」
「とうっ!」
と、私の手からたこ焼きの入った箱が奪われた。
「あ、こら! 何すんのよ健二!」
「うるせぇ! よくよく考えたら、これ俺の自腹じゃん。というわけで、これらは両方とも俺のものだ!」
言うなり、二つのたこ焼きを手にして逃げ去っていく。
「こら、待て! 私のたこ焼き!」
そうして私は、目の前の背中を追いかけていく。
どうしてだろう。
不思議と、笑える自分がそこにいたんだよね……。
西久保健二。
私の幼馴染で腐れ縁。
悪いヤツじゃないのだけれど、何を考えてるか分からない上にどこかパッとしない。
上記に、もう一つ追加。
案外、いいヤツ。
……かもしれない。