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Last Day(4):祭囃子と昔語り



 神社のふもと、浜辺付近の海岸通はすでに多くの人々で賑わいを見せていた。

 交通規制がしっかりと行われているようで、この付近には車両は入ってこれないようになっている。

 時刻は間もなく夕方の五時。

 この時間に開いている屋台は、ほとんどが子供向けのものばかり。

 金魚すくい、わたあめ、カキ氷、射的、その他ゲームじみたものがほとんど。

 食品関係の屋台は、六時を過ぎないと開かないとのことだった。

 まぁ、さしてお腹も空いているわけではないし、一時間ほどのんびりあちこちを見て回るのも悪くないかな。

 途中で明美さんと別れる。

 実行委員の方に顔を出して、少し手伝いをしてくるとのことだった。

「さて。私はどうしようかな……」

 到着してから思ったのだけど、もう少し家でゆっくりしててもよかったかもしれない。

 この時間では圧倒的に子供達の姿が多く、屋台もそれに合わせたものしか開いていない。

 歩き回ったところで、あまり見るものがないというのが現状。

 どうしたものだろう……。

 と、道の真ん中で考えているときだった。

「わっ!」

「わあっ!」

 果たしてどちらが驚かし、驚かされた声なのか。

 分からなくなるくらいに、私達の声は同じだった。

「な、なんだ、葵かぁ……」

 振り返ると、がっしりと肩を掴んだ葵の姿があった。

「へへー。どう、驚いた?」

「うん、ビックリした」

 そう答えると、なぜか葵は満足そうに笑うのだった。

「って、あれ? 七星一人? 来栖君は?」

「隼人なら、昼過ぎから出かけててまだ戻ってないよ」

「あらあら。七星を置き去りにしてどこかへ行ってしまったってことなのね」

「お、置き去りって何? 変な言葉使わないでよ……」

「おや? その割にはそれらしい反応を示しているように見えるんですが……これはもしかして……?」

「な、何考えてんのよ葵! 私だって怒るよ!」

「アハハハ。ごめんごめん。ちょっとからかってみただけだって」

「うう、相変わらずなんだから……」

 私はどうやら、明美さんと葵には相当いじくりやすいキャラをしているみたいだ。

 二人の態度を見ていると、それを嫌でも実感させられてしまう。

 ……ちょっとだけ、自分が情けなくなってくる。

「ま、来栖君もそのうち来るでしょ。それまでは一緒に見て回ろうよ」

「うん、それは構わないんだけどね。今の時間って、子供向けの屋台しかやってないでしょ?」

「大丈夫大丈夫。神社の上では色々イベントやるって話だから、そこで時間潰そう」

 そう言うと、葵は私の手を引っ張って人ごみの中に走り出した。

「わ、ちょっと葵!」

 成すすべなく、私は葵に引っ張られていく。

 行動力があると言えば聞こえはいいけど、葵のこれは猪突猛進と言うものだと思う。

 でもまぁ、それもいつものこと。

 半ば諦めて、私は葵のあとに続いて走り出すのだった。




「……あ、揃った……って」

 私がそう呟くなり、隣に座っている葵が勢いよく立ち上がり、叫んだ。

「ビンゴ! はいはいオジサン、揃ったってば! コラ、無視すんなっ!」

「あ、葵……?」

 葵は性格が変わって……いや、ここまでくればこれはもう変貌と言ってもいいと思う。

 私の手からビンゴゲームの紙を奪い取り、堂々と夕暮れに染まり始めた空に向けて掲げていた。

 正直、見ているこっちが恥ずかしくて仕方がない。

 周りには大勢の子供や家族連れの姿までいるというのに、葵はそんなことなどお構いなしだ。

 本当にこの性格は、見習わなくちゃいけないようで見習ったら大変なことになりそう……。

 その葵は、今ちょうど景品を受け取って私のもとに戻ってきた。

「はい七星。やったじゃん」

 葵は言いながら、私にその封筒を渡した。

「う、うん。ありがと……」

 嬉しいことは確かなのに、どうして手放しで素直に喜べないんだろう。

 その理由は、今こうして目の前にいるんだけど……。

「葵って、改めてすごいと思った」

「へ? 何よそれ」

 と、本人はあっけらかんに言い放つ。

 まさかとは思うが、気付いていないんだろうか?

 いや、いくらなんでもそれはない。

 と、いうことはだ。

 ようするに……自覚症状がないってことなのかな。

 ……それってある意味、気付いていないよりもタチが悪いんじゃないかな……。

 考え出したら頭が痛くなってきた。

 とにもかくにもはっきりしたことは、私は葵みたいにはなれないなということだった。


「ところで、賞品って中身何だった?」

 言われて、私は手の中の封筒に目を落とす。

「何だろう? 薄いし、商品券とかじゃないかな?」

 私は封筒の封を破る。

 中から出てきたのは、三千円分の図書券だった。

「図書券ねぇ……って、葵は小説とか読むし、案外ちょうどいいかもしれないね」

「うん。そうかも」

 私は素直に笑って答えた。

 ちょうど来月に、今読んでいるシリーズものの新刊が発売される。

 そのときに使わせてもらうことにしよう。

 私は図書券を封筒に戻し、ポケットの中にしまった。

 そしてふと、葵がマジマジと私の顔を見ていることに気付いた。

「な、何? どうかしたの、葵?」

「……んー、私の考えすぎだったかなぁ……」

 などと言って、勝手に自己完結してしまう。

「え、え? な、何? 気になるなぁ……」

「いや、そのね。別に大したことじゃなかったんだけど……」

 葵はそこで一度口ごもる。

 大したことではないという割には、どこかバツの悪そうな感じだった。

「……この前さ、祭りの準備をみんなでしてた日。あの入り江から出てきてから、七星の様子がちょっとおかしかったからさ」

「あ……」

 言われて私は思った。

 そっか、葵なりに、私を心配してくれてたんだ……。

 必要以上にハイテンションだったのも、もしかしたら私が気落ちしてると思ってそうしてくれていたのかもしれない。

「何でもなかったなら、それでいいの。ごめんね、変なこと言って……」

「ううん、そんなことないよ。私、葵にも心配かけてたんだね……」

「そんな大げさなことじゃないけどさ。ただ、なんとなく雰囲気が、ね。来栖君と、何かあったのかなって」

「……私って、そんなに顔に出るのかな」

「どうなんだろ。私もよく分かんない。でも、あのときは何て言うか……雰囲気がちょっと違ってたから、かな……」

「アハハ……ホント、葵には敵わないな……」

「……七星、やっぱり何かあったの?」

 葵が私の顔を覗きこんでくる。

 本当に心配してくれてるんだ。

「……少し、歩こう。ここは、人が多いよ」


 人ごみを避けて、私と葵は境内の裏手にやってきた。

 そうしなくちゃいけない理由はなかったけど、できるならあまり他人には聞かれたくなかった。

「何から、話せばいいのかな……」

 私は一人呟いて、わずかに空を見上げた。

 明るさと暗さの境界線。

 中途半端に染まりかけた色の空が広がっている。

 それはまるで、私の心の中身をそのまま映す鏡のようだった。

 混ざることもできず、かといって片方の色に染まることもできない半端物。

 ……イヤだな。

 ホント、イヤになるくらいにそっくりだよ。

 そんな中途半端な空の上、いくつかの星が光ってた。

 それらはきっと、星にはなれなかった星屑達。

 でもいつか、星になれると信じて輝いている。

 祈りも望みも届かない、広すぎる宇宙の海の中。

 彼らは一体、何を想って光を放っているのだろう。

「……七星?」

 葵の呼びかけに、私は視線を地上に戻す。

「ごめん。ちょっと考え事してた」

「……ううん、それはいいけど……」

 辛いなら、無理しなくてもいいよ、と。

 そのあとに続く言葉は簡単に想像することができた。

「大丈夫。平気だよ」

「…………」

 葵はまだ何か言いたそうだったけど、私は強がりでそれを止めさせた。

「……少し、長くなるかもしれない。それでもいい?」

 答えずに、葵は静かに頷いてくれた。

 柱に背中を預け、私は小さく深呼吸をする。

 昔話を始めるよ。


「私に親がいないのは、葵も知ってるよね?」

「……うん。前に聞いたよ。確か、お母さんは体が弱くて、七星が生まれてすぐに死んじゃって、お父さんは事故で……」

 葵の言葉に私は頷く。

「その事故についてなんだけどね、表向きは火事ってことになってるんだけど、本当は違うんだ……」

 葵は少なからず驚いてたみたいだけど、あえて無言で先を促してくれた。

 私は続ける。

「家事なんかじゃないの、本当は。住んでた家が燃えたのは本当。だけど、お父さんは火事が原因で死んじゃったわけじゃないの」

 ……その先を、言っていいのだろうか。

 今ならまだ、タチの悪い冗談だよと笑ってごまかすことだってできるんだよ?

 そうまでして苦しみを掘り返す必要が、どこにあるの?

 誰でもない、苦しむのは私自身なのに。

 どうして自ら、苦しみの中に身を委ねなくちゃいけないの?

 あんなに苦しんだじゃない。

 あんなに泣いたじゃない。

 今更それを、どうして繰り返す必要があるの?

 ……そうだね。

 ホント、その通りだよ。

 でもね。

 口にするからこそ、一時でも苦しみから解放されることだってあるんだよ。

 その相手が、心の底から親友と言える人なら、それこそ、ね……。

「……お父さんはね、殺されたの」

「…………!」

 葵は声を上げはしなかった。

 けど、表情の変化でどれだけ動揺しているのかは火を見るより明らかだった。

 誰に、と。

 その目が聞いてくる。

「……お父さんを」

 言いかけて、一瞬言葉が詰まる。

 だけどもう、後戻りなんてできない。

「お父さんを、殺したのは……」

 永遠のような一秒。

 まるで、はるか頭上で輝く星達の一生のようだった。

「私のお父さんを殺したのは…………隼人」

 葵の体がわずかに震えてた。

 私はただ、沈黙を保つことしかできなかった。




 私のお母さんは、私を生んですぐに病気でこの世を去ってしまったらしい。

 らしいというのは、このことはあくまでお父さんから聞かされた記憶であり、私はお母さんの顔を写真ですら知らないからだ。

 そうして私は幼少時代をお父さんと一緒に暮らしていくことになった。

 けれど、いつの頃からだったろうか。

 お父さんは変わってしまった。

 私に、暴力を振るうようになっていったのだ。

 最初はただの暴言程度のものだった。

 仕事がうまくいかなかったのか、それとも私がもとから嫌われていたのかは分からない。

 物心ついた頃、私の目の映るお父さんはもはや恐怖の対象でしかなくなっていた。

 それでも表面上の家族を装うことができたのは、お父さんはかろうじて暴力を抑制していたからだ。

 だから私は、小学校に入学する以前まではお父さんに暴力を振るわれたことはない。

 しかし私が小学生になり、最初の夏がやってきた頃。

 とうとう、今の今までかろうじて繋いであった糸がプツリと切れてしまった。

 お父さんは私を叩き、殴るようになった。

 日に日に飲むお酒の量も増えて、一種の幻覚か狂乱のような状態になっていたのだと思う。

 昼夜を問わず、私は同じ家で怯えながら暮らさなくちゃいけないことになった。

 料理も洗濯も掃除も、この頃から覚えた。

 いや、覚えざるをえなかった。

 お父さんはまるで悪魔に取り付かれたかのようだった。

 仕事もやめて、一日の大半をお酒を飲むか寝て過ごすかしかしなくなっていた。

 虫の居所が悪いと、決まって暴力に訴えた。

 矛先はもちろん、私だ。

 毎日が地獄のようだった。

 それでも、私は祈ってた。

 願わずにはいられなかった。

 いつかこの暗闇の日々に終わりが来て、また二人で仲良く笑い合える、そんなときが来ると。

 顔も声も知らない、天国のお母さんに祈り続けてた。


 そんな私が唯一自分でいられるのは、学校にいる時間だった。

 そこには仲のいい友達もいる。

 優しい先生もいる。

 学校にいるわずかな時間だけが、私が私でいられる時間だった。

 けど、学校の先生も私の家の惨状には何も気付いていない。

 それは、私が何も言い出さなかったからだ。

 家庭訪問のときでさえ、お父さんは仕事で忙しくてどうしても都合がつかないとごまかした。

 学校側にも私がお母さんを早くに亡くしていることは伝わっていたので、その言い訳は実に効果的だった。

 それでも私は、やはり苦しかったんだと思う。

 何しろ逃げ場なんてどこにもなかったのだから。

 そんな私の家の異変にいち早く気付いたのが、隼人と明美さんだった。

 隼人は昔からの幼馴染で、家も近所だった。

 もちろん、通う学校だって一緒だった。

 家が近いから、登下校で一緒になることだって珍しくなかった。

 今思えば、隼人は幼い頃から妙なところで勘がよかった。

 だから、当時の私の異変にもいち早く気付いたのかもしれない。




 ある秋の日のことだった。

 学校の帰り道、私と隼人はたまたま帰り道の途中で一緒になった。

「あ」

「あ」

 互いに一言そう呟いて、しばらく沈黙する。

 学校では同じクラスなのに、ここ最近はめっきり会話することも少なくなっていた。

 誰がそうしたわけでもない。

 私が勝手に隼人から離れていただけのことだった。

 家が近所の隼人には、今の私の家の様子を特に知られたくなかった。

「……お前さ」

 と、おもむろに隼人は口を開いた。

「何か、元気ないんじゃないのか?」

 図星だった。

 そんなもの、あるわけがなかった。

「……ううん、そんなことないよ」

 強がりだった。

 知られたくないと言う気持ちが、折れそうな心を無理矢理に奮い立たせていた。

「ホントか? ウソだろ」

「ウソじゃないよ。ホントに、何でもないから……」

「……そっか。なら、いいや」

 そう言うと、隼人は歩き出した。

 私は後味が悪いまま、それでも変える方向が同じなので隼人の後に続いた。

 無言の時間が流れる。

 聞こえるのは、二人分の小さな足音だけ。

 夕暮れが迫る道に、同じ背丈の影が二つ。

 つかず離れず、わずかに揺れて歩いてた。


 やがて、分かれ道が来る。

 私の家は、隼人の家よりももう少し先にある。

「じゃ、また明日な」

 隼人は玄関前で振り返り、私にそう告げた。

「うん。またね……」

 返事も簡単に、私は家に急いだ。

 帰りが遅いと、またお父さんに殴られてしまう。

「なぁ、七星」

 そんな私の背中を、隼人は呼び止めた。

 答えずに、私は振り返る。

「今度、ウチに遊びにこいよ。俺の母さんも喜ぶからさ」

「……」

 私は呆然と立ち尽くしていた。

 突然のことに、返す言葉が見つからなかった。

「おい、聞いてんのか、七星」

「……え、あ、うん。今度、遊びに来るね」

 それだけ言うと、なぜか隼人はとても嬉しそうに笑ってくれた。

「おう。待ってるからな。またな」

 そう言って、家の中へと帰っていく。

 嬉しい反面、どこか悲しかった。

 そんな風に自由になれる日々は、いつになったらやってくるのだろうか。

 流れそうな涙をどうにか堪えて、私は家に向かった。

 幸いお父さんは寝ていて、そのときは暴力を受けずに済んだ。

 部屋に戻り、鍵をかける。

 こうでもしないと夜は怖くて眠ることもできない。

 だけど今日は、よく眠れそうな気がした。

 待ってるからな。

 そう言ってくれた人がいた。

 それだけで、今日一日がいい日に思えた。

 だけど。

 きっとそれは、感じてはならない幸せの欠片だったんだろう。

 そんな些細な幸せすらも残さず奪い去るように、その夜、事件は起きた。



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