Last Day(3):本日二回目のその言葉
フルコーラスを終えて、曲はしだいに遠ざかる足音のように小さく消えていく。
消えたくないと言う名残のような残響が、いつまでも耳の奥で残っていた。
「今日は、連れの子は一緒じゃないのかい?」
ふいにそんな声が、隣から聞こえてきた。
「え?」
俺が隣を振り返ると、そこには棚の中のCDを整理するマスターの姿があった。
間近で見ると、改めてその体の大きさを嫌と言うほど実感させられる。
「……あの子って」
「三日前、君と一緒に来ていた彼女だよ。今日は一緒じゃないのかなと思ってね」
マスターの言う彼女と言うのは、間違いなく七星のことだろう。
三日前のあの日、俺は七星に連れられて初めてこの店を訪れたのだから。
「……今日は、俺一人です」
「……そうかい。いや、すまなかったね、おかしなことを聞いて」
マスターの声はとても穏やかだ。
見かけの体格とは裏腹に、きっと性格も優しく温厚なのだろうと俺は思う。
「…………」
「…………」
それっきり、俺とマスターの間の会話は途絶えてしまう。
もっとも、会うのはこれで二回目で、接客以外で話をするのはこれが初めてのことだ。
大した話題もないのに、そうそう話が長続きするはずはない。
と、少なくとも俺はそう思っていた。
「……今の曲ね、私が大好きな曲なんだよ」
「……え?」
マスターがふいに呟いた。
その言葉に俺は、隣にいるマスターを少し見上げた。
「何年か前に、ドラマの主題歌で使われていた曲なんだけどね。売り上げ自体は騒ぐほどじゃなかったけど、私の中では名曲だよ」
「……」
マスターは腕の中に抱えたCDを棚の中に次々と納めていく。
カチャカチャと、腕の中でケースがぶつかり合っていた。
「君もこの前、同じ曲のCDを買っていってくれたろう?」
「え? ああ、はい……」
慌てて答えると、それでもマスターはとても嬉しそうに微笑んでくれた。
「いや、正直嬉しかったよ。同じ曲を好きな人がいてくれるって言うのは、いいものだ」
「……そう、ですね」
マスターがあまりに無邪気に笑うので、その姿が一瞬俺よりも小さい子供のように見えてしまった。
本当にこの人は、心の底から音楽を愛しているんだなと思った。
「……彼女もね、いつもこの店に来ると決まって聴いている曲があるんだよ」
「七……アイツが、ですか?」
「ああ」
マスターは答えて、一度後ろを振り返る。
「ほら、そこに視聴用のプレイヤーがあるだろう? その真ん中のやつには、いつも彼女の好きな曲が入っているんだ」
マスターの指差した先、そこには三日前に訪れたときに七星が使っていたプレイヤーが置かれていた。
「……聞いてみるかい?」
「……え、俺がですか?」
俺は自分を指差すが、もとより今は店内に俺とマスターしかいないわけだ。
答えずに、マスターは一つ頷いた。
俺は断ることもできた。
別にいいですよと一言言えば、それでいいだけのことだ。
だけどなぜか、少しだけ興味が沸いた。
七星があれだけ好きになるほどの曲。
だけど、決して手に入れることはなかった曲。
俺はそれを、単純に金銭面での問題だとばかり思ってた。
だけどここは中古CDショップだ。
プレミアのついたレコードとかならとんでもない値段がつきそうだが、CD一枚にそこまで値段がつくとは思えない。
俺はプレイヤーの前にやってくる。
ヘッドフォンをつけ、プレイヤーの電源を入れた。
読み込みが始まる。
キュィィという機械音。
再生ボタンを押す。
そして、アイツのメロディが流れ始めた。
「…………」
停止ボタンを押す。
俺はヘッドフォンを外し、しばし呆然とする。
「……彼女はね」
その様子を見たマスターが、俺のすぐ隣へとやってくる。
「初めてこの店を訪れたのは、大体一年くらい前になる」
俺はマスターに向き直り、無言で話の続きを促した。
「そのとき彼女が最初に聴いた曲が、今君の聴いたその曲だった。それで気に入ってしまったのか、以来、店に来るたびに聴いているよ」
「……本当に、アイツがこの曲を……?」
「ああ。本当だとも」
マスターは微笑む。
まるで自分のことのように穏やかに語る。
「だが、その半面不思議に思ったよ。それだけ気に入った曲なら、CDを買っていけばいいのに、どうしてそうしないのかなと」
マスターの疑問は当たり前のものだ。
事実、三日前にこの店を訪れた俺も七星に対して同じ疑問を抱いたからだ。
「あるとき私は、彼女に聞いてみたんだ。そんなに好きな曲なのに、どうして自分で手に入れないんだい、と」
「……」
「そうしたら彼女は、こう言っていたよ」
マスターは一度目を閉じ、すぐに開いた。
「この曲は、私だけの曲じゃない。いつか一緒に、この曲を聞きたい人がいる。だから、手に入れるのはそのときでいいと」
その言葉に、俺は頭をハンマーでぶん殴られたような衝撃を受けた。
……何だって?
七星が……アイツがそう言ったのか?
そんな……でも、どうして……。
「……どう、して……」
その一言だけは、どうしても言葉に出てしまった。
しかしそれを聞いたマスターは、何もおかしいとは思わなかったのか、表情を変えないままでいる。
「どうして、か。君は、どうしてだと思う?」
「……俺は……」
分からない。
「……分からない。どうしてアイツが、そんなことを……」
「……彼女も、そう言っていたよ」
「……え?」
「私がどうしてだと聞いたら、彼女は分からないと答えたよ。自分でもよく分からないと。けど、彼女はこうも言っていた」
俺は息を呑む。
「今はまだ分からない。でも、いつか分かるときがきたら、それはきっとこの曲を二人で聴くときだと思う」
その一言に。
どれだけの意味が、想いが、感情が込められているのか。
……分かった。
はっきりと、分かった。
逃げ出したままだったのは、俺だけじゃなかった。
アイツも……七星もずっと逃げていたんだ。
俺は勘違いをしていた。
救われない存在が自分だけだと勝手に決め付けて、七星に対していつも負い目を感じるように自分を作り上げていた。
だけどそれは、大きな間違い。
同じだった。
ずっと、同じだったんだ、
七星もずっと、俺に対して負い目を持っていて、自分が救われない存在だと決め付けていたんだ。
そんなことが、これからも続くのか?
何も変わらないまま、未来永劫に続くと言うのか?
……いいや、違うだろう。
そんなことがあっていいはずがない。
……何だ、ちゃんと分かってるじゃないか。
そこまで分かってるんなら、もうやることは一つだよな?
「……どうか、したかい?」
マスターが変わらぬ声で話しかける。
「いえ、何でもないです。ただ……」
「……ただ?」
さぁ、行こう。
行くべき場所が、あるんだろう?
「……ちょっと、用事を思い出しました」
それは。
もう、口からでまかせの言葉なんかじゃない。
「……ああ。行っておいで」
そう言って見送ってくれたマスターの笑顔は、本当に優しかった。
走り出す。
答えなんて、どこにもなかった?
ウソばっか。
答えなんて、最初からずっと持ってたじゃないか。
まぁ、気付くのにちょっと時間がかかりすぎたよ。
遅れは取り戻さないといけないよな?
だから、走るんだ。
もうすぐ夕方になる。
夏祭りの前夜祭が、もうそろそろ始まる頃だ。
「七星、私達もそろそろ行きましょうか」
ソファで小説に読みふけっていた私を、明美さんが呼んだ。
「……そう、ですね。行きましょう」
私は小説を閉じ、グッと背伸びをして立ち上がる。
「大丈夫よ。隼人ならどうせ、忘れた頃にひょっこりやってくるわ」
だから安心しなさいと言わんばかりに、明美さんは小さく微笑んだ。
「え、べ、別にそんなこと一言も言ってないじゃないですか!」
本当は図星を突かれてどうしようもなく慌てているのをごまかそうとして、逆に私は焦って言葉足らずになってしまう。
「はいはい。そういうことにしておくわね」
「も、もう、明美さんってば……」
と、私はそこで食い下がる。
これ以上食って掛かっても、逆に明美さんはますます楽しんでしまいそうだったからだ。
私は荷物を取るために、一度部屋に戻る。
荷物といっても、携帯と財布を上着のポケットにしまいこんでしまえばそれで準備は完了なんだけど。
「じゃ、行きましょう。一応鍵も渡しておくわね」
明美さんから合鍵を受け取る。
それも一緒にポケットの中にしまいこんで、私と明美さんは揃って家を出た。
空はまだまだ明るい。
ずっと遠くの空が、ほんのりとオレンジ色に染まっているだけだった。
海岸線に続く道を歩き出す。
あちこちの電柱に、今日と明日の夏祭りの広告やチラシが張られていた。
私と明美さんが揃って歩く道を、子供達が自転車で追い抜いていく。
きっと、行き着く先は同じなんだろうな。
浜辺に近づくに連れて、ぶら下がる提灯の数が多くなっていく。
微かだけど、祭囃子の音色も確かに聞こえていた。
笑われるかもしれないけど、少しだけ心がワクワクしていた。
その反面、どこかフワフワしていた。
原因は分かってる。
ホントにもう、一体どこをほっつき歩いているんだろう。
昼過ぎに用事があると家を出たっきり、隼人はまだ帰ってこない。
メールもしたんだけど、返事は返ってこなかった。
気付いていないのか、それとも電源を切っているのか。
まぁ、どっちでもいいけどさ……せっかくのお祭りなんだから、早く来なさいよね。
あんまり遅いと、晩御飯は隼人の奢りってことで。