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Third Day(4):回想少女



 道なりに歩く。

 薄暗さはあるが、これといって障害らしいものもなくスタスタと先に進むことができる。

「当たり前だけど、何もないな……」

「……そうだね」

 瀬口がトラップなんて言葉を口にしたときは、さすがにちょっと嫌な予感がしていたんだが……。

 まぁ、さすがにこんな場所にゲームみたいな仕掛けがあるわけがないよな。

「あ」

 ふいに七星が声を上げた。

「どうした?」

 振り返ると、七星が立ち止まっている。

「ごめん、ちょっと靴紐がほどけたみたい。先に行ってて」

 七星は屈みこんで、靴の紐を結び直す。

 俺は言われたとおり、ゆっくりと歩きながら考えた。

 さっきからこうして歩いている地面は、やけに人の手が行き届いているような気がする。

 少なくとも、天然の洞窟の道とは思えない。

 だがしかし、入り口を見た感じではこの洞窟はどう見ても天然のものだ。

 ということは、もとからあった天然の空洞に、人の手が加えられたということだろうか?

 だとしたらそれは、一体何のために?

「……」

 などと考えたところで、答えなんて分かるはずがない。

 別に古代の遺跡ってわけでもあるまいし、そこまで深く考える必要もなさそうだ。

「七星、まだか?」

 振り返り、名前を呼ぶ。

「あ、もうちょっと……っと」

 紐を直し、七星は爪先をトントンと叩く。

「ごめん、今行く……」

 と。

 屈んでいた七星が、立ち上がりかけたとき。


「……?」

 ふいに、俺の視界の先で何かが動いた。

 それは最初、煙のように見えた。

 さほど大きくもない洞窟の中、天井と地面との間に灰色の煙が見えたような気がして……。

 カツン、と。

 聞こえたその音に、俺の神経はいち早く反応した。

「七星! 後ろに跳べ!」

 そう叫ぶよりも早く、俺の体は反射的に動いていたのだと思う。

「……え?」

 そんな七星の声を聞きながら、俺は全力で走っていた。

 ふと、七星が自分の頭上を見上げる。

 そこに、砂時計の砂が落ちるような映像。

 流砂の中に小石が混じり、パラパラと音を立てて落ちていく。

 その、もっとも奥に。

 大きな黒い影が一つ、近づいてきていた。

「あ……」

 それが岩の塊だと理解するよりも早く、俺は七星の体を抱えて地面の上を転がっていた。

「ぐっ……!」

 背中から落下したとはいえ、衝撃で一瞬だけ呼吸が停止しそうになる。

 そのまま七星を腕の中に抱えたまま何度か転がり、ようやく回転が止まったその直後に。

 ドズン……と、大きな音を立て、天井の岩肌の一部が通路の上に落下した。


「い、ってぇ……」

 俺はゆっくりと、地面を転がった体を起こす。

 腕を少し擦り剥いたくらいで、目立つような大怪我はしていない。

 背中がまだ痛いままだが、それもじきに引いていくだろう。

「お、おい、七星!」

 思い出したように、俺は自分の腕の中にいる七星の名前を呼んだ。

「え……な、何?」

 キョトンとしたままの表情で、七星は答えた。

 その様子だと、ケガらしいケガはしていないようだ。

 ホッと、俺は緊張の糸を緩めた。

「何、今の……」

 七星はまだ状況が飲み込めていない様子だった。

「多分、落盤だろうな。あの部分だけ、岩肌が脆くなってたんだと思う」

 先ほどまで七星が靴紐を直していた地面の上には、崩れ落ちた岩が真っ二つに割れて転がっていた。

 大きさこそそんなにでもないが、あれが人間の頭を直撃したら大変なことになっているだろう。

 たんこぶ程度で済まないのだけは確実だ。

「そ、そうだ。隼人、大丈夫? ケガとかしてない?」

 ようやく理解ができたと思った途端、七星は取り乱したように俺の容態を気にかけてくる。

「ん? ああ、なんともない。ちょっとあちこち擦り剥いてるくらいだ」

「ホントに、ホントになんともないの? ねぇ?」

 どうしたというのだろうか。

 七星の心配は、どこか行き過ぎているようにも思える。

 なんというか、どこか必死さにも似たものが伝わってくるのだ。

「あ、ああ。大丈夫だって。なんともないから」

 そう答えると、今度は納得したのか。

 ふいにヘナヘナと力なく膝をつき、七星は呟くように言う。

「……よかった」

 今になって気付いたが、七星はずっと俺のシャツの裾を手で掴んでいた。

 まるで握り締めるかのように強く掴むその手が、どうしてか、小刻みに震えていた。

「……バカ。大げさなんだよ、お前は……」

「だって、だって……」

 その声はどこか、泣いているように聞こえてしまう。

 バカと呟いたにもかかわらず、七星は食いついては来なかった。

 ふいに、ここが薄暗くてよかったと思ってしまう自分がいた。

 ここだと、七星の顔ははっきりとは見えないから。

 もしも陽の当たる場所だったら、もしかしたら……。

 七星の目に微かに光るそれを見た俺は、きっと平静ではいられなくなってしまいそうだったから。


「……行こうぜ。立てるか?」

 コクンと、七星は答えずに一つだけ頷いた。

 七星のことも心配だが、この場所に長居するのも危険だ。

 この洞窟が今すぐに崩れ去るとは思えないが、落盤を目の当たりにした俺としては不安の芽は消えない。

 幸い、先ほどの分かれ道から大した距離を進んだわけでもないので、ここは素直に引き返したほうが安全だろう。

 まだ少し落ち着きを取り戻してない七星の手を取って、俺は立ち上がる。

 さすがに手を握るということに気恥ずかしさはあったが、この際そんなことは気にしていられない。

 手を引かれ、立ち上がった七星と共に来た道を引き返す。

 七星はしばらくの間、一言も言葉を口にはしなかった。

 そして俺は、今更ながらに気付かされた。

 握った七星の手は、驚くほどに小さかったということに。




 合流地点まで戻ってみると、そこにはなぜか健二と瀬口の姿があった。

「あれ? なんで二人とも……」

「お、そっちも戻ってきたか」

 健二達も俺達の帰りを待っていたようで、再びその場所に四人が集合する形になる。

「いやはや、参ったわ。こっちの道、行き止まりになってんだもん」

「それで、戻ってきたってわけか」

「そういうこと。ああ、そうだ。戻ってくる途中にさ、なんか変な音が聞こえたんだけど、そっちで何かあったのか?」

 健二が言う音いうのは、恐らくあの落盤のときの岩肌が落下した音のことだろう。

 隠しておくわけにもいかないので、俺はそのことについて話す。

「マジで? それで、二人ともケガとかしなかったか?」

「ああ。それは心配ない。ちょっと転んで擦り剥いた程度だ」

「まぁ、何にしてもその程度で済んでよかったよ。そうと分かったら、こんなとこに長居は無用だね」

 瀬口が先頭を切り、出口へと誘導する。

「ほらほら。逃げ遅れてペシャンコなんて私はゴメンだよー」

「まさかとは思うけど、そうも言ってらんねーよな。行こうぜ、隼人」

「ああ」

 瀬口のあとを追い、俺達は足早に洞窟をあとにした。


 再び入り江に出る。

「まぁ、ここまでくればとりあえずは安心だろ」

 走ってきた道を振り返りながら健二が言う。

「それにしても落盤とはね。まぁ、七星も来栖君も無事で何よりだけど」

「一歩間違えば、ケガじゃ済まなかったもんな」

 うんうんと、健二と瀬口は頷き合う。

 俺は改めて自分の腕に目を向けた。

 何ヶ所か擦ったあとがあったが、それだけだ。

 痛みはまだ少し残るが、内出血や打撲の心配もないと見ていい。

「それよりどうする? 最初の目的からすっかりズレてるけど」

 元々俺達はゴミ拾いにきただけであって、それがこんな結果になることなどは誰にも予想できなかったことだ。

 まぁ、確かに自分たちの好奇心と判断でこうなったわけで、アクシデントと言うよりは自業自得なのだが。

「つっても、ゴミなんてほとんど落ちてないよな?」

「うん。思ってたよりはずいぶんと奇麗なもんだけどね」

「だったら、ここにいたって仕方ないだろ。戻って、修吾さんに問題ないですって伝えようぜ」

「そうだな、そうするか」

 健二が確認を取るように聞くと、俺と瀬口はそれに頷いた。

 そうして健二と瀬口は来たときと同じように、岩場を登って浜辺へと戻る。

 俺もそれに続き、岩場に足をかけようとして一度後ろを振り返った。

「……どうした、七星?」

「……え? あ、ごめん。何でもない……」

「……行くぞ。足元に気をつけろよ」

「うん……」

 岩場をよじ登る。

 一瞬前のその一言が、頭から離れない。

 うん、って……何だよ、それ。

 なぁ、七星。

 お前いつから、そんなに弱々しくなっちまったんだ?

 そう思っても、俺は口にはできなかった。


 テントまで戻り、事のあらましを修吾さんに報告する。

 落盤があったということには、修吾さんも母さんもかなり驚いていた。

 早急に手配して、入り江近辺を立ち入り禁止にするとのことだ。

 結局収穫したゴミも数えるほどで、俺達の午後の仕事はこれで終了となった。

 まだ十分に太陽は高い位置にあるが、健二はこのあとももう少し修吾さんの手伝いをすることになった。

 瀬口も夕方から予定があるらしく、一足先に帰宅するとのことだった。

「七星」

 と、去り際に瀬口が呼んだ。

「ん、何?」

「何かあった? 元気ないよ?」

「……ううん。そんなことないけど」

「……そっか。ならいいや。じゃ、来栖君も七星も、また明日ね」

「ああ、またな」

「…………」

 軽く手を振りながら、瀬口は去っていった。

 その言葉がどんな意味合いのものだったのか、俺よりも七星のほうがよく分かっているはずだ。

「母さんは、このあとどうするのさ?」

「私ももう少し、皆さんを手伝っていくわ。二人は先に帰ってていいわよ。私も夕飯の支度に間に合うように戻るから」

「ん、分かった」

 俺は砂浜に座る七星のもとに駆け寄る。

「七星、帰ろう」

「え? あ、うん。明美さんは?」

「母さんはもう少し手伝っていくってさ。俺達は先に帰っていいって」

「……そっか、分かった」

 立ち上がり、七星はズボンについた砂を払った。

 俺達は並んで浜辺を歩き出す。

 ザクザクと砂地を踏みしめる音と、ザザァという潮騒の音が交互に耳の奥に届く。

 真夏の太陽の下、二人分の影が背中に伸びていた。

 だけど、どうしてだろう。

 七星の影は七星自身よりも長く伸びているのに、横目で見たその背中がこんなにも小さく見えるのは……。

 それはきっと、夏の陽炎が見せた一瞬の幻なんかじゃない。




 帰宅してまず、俺は風呂のスイッチを入れた。

 今はすっかり乾いてしまってはいるが、午前中の肉体労働でかなり汗をかいていたはずだ。

 さすがにそのまま着替えるのも忍びないので、まずはさっさとシャワーを浴びてしまうことにしよう。

「七星、お前はどうする?」

「え、何が?」

「だから、シャワー浴びるかって。お前も汗かいてんじゃないのか?」

「あ、うん。そう、だね。じゃ、そうする……」

 言葉が途切れ途切れで、どこか弱々しい。

 自分が何を言っているのか分かっていないようにも思える。

「……んじゃ、お前先に浴びてこいよ。俺は後でいいから」

「うん……」

 答えると、七星はやはりどこか重い足取りで風呂場へと向かっていった。

「アイツ、大丈夫かな……」

 七星には聞こえないように、俺は小声で呟いた。

 しかしまぁ、さすがに風呂場まで押しかけるわけにもいかない。

 しばらくはテレビでも見ながら待つことにしよう。

 と、リモコンに手を伸ばしかけて俺は気付いた。

 ソファの上に畳まれているのは、体を拭くためのバスタオルだった。

 これがここにあるということは、いつも洗面所に置いてあるタオルは今はないということになる。

 さすがにシャワーを浴び終えて、その体を拭くタオルがないのは困りものだろう。

 それは俺に限らず、七星だって同じことだ。

 仕方ない、持っていってやるか。

 どうか、お約束のアクシデントだけは起きませんように……。


 洗面所の扉を開ける前に、俺は一度耳を澄ませる。

 ザァーと、確かに中からはシャワーの流れる音が聞こえた。

 よし、アクシデントの心配はしなくていいな。

 それでもできるだけ音を殺しながら、俺は洗面所の扉を引く。

 腕に抱えたタオルを、洗濯機の蓋の上に置く。

 よし、これでいい。

 あとは物音を立てずに扉を閉めるだけ……って、こっちの方がよっぽど怪しく見えるのは気のせいだろうか。

 しかしもう後には引けない……じゃなくて、引けばいいんだよ引けば。

 が、しかし。

 ガタン、と。

「げ……」

 俺の膝は確実に、押し開けようとした扉に一撃を見舞ってしまった。

「え?」

 当然、その音は曇りガラス一枚隔てた浴室にいる七星にまで届いていた。

「……隼人?」

 逃げ出すよりも言い訳を考えるよりも早く、浴室から名前を呼ばれた。

 というか、逃げ出したところで犯人は俺以外にありえない。

「……あー、違う違う。そんなんじゃなくてだな、俺はただタオルを持ってきただけだからな」

 とりあえず否定から入る。

 説明としての手順がメチャクチャなのは、俺も相当焦っているからなのかもしれない。

「タオル、洗濯機の上に置いておいたから」

「……うん。ありがと」

 なんだか妙に声が上ずりそうになる。

 だって仕方ないだろう。

 そういう生き物なんだよ、男ってのは。

「……まぁ、それだけだから」

 早めに会話を切り上げないと、俺の中の何かがおかしくなってしまいそうだ。

 それだけ告げて、俺はさっさとこの場を後にしようとした。

 だが、しかし。

「あ…………」

 そんな、あからさまに何か言いたそうな声で俺の動きは止まる。

「な、何だ? どうかしたか?」

 ああ、ちくしょう。

 何で俺の声まで緊張してんだよ。

「う、うん。その、大したことじゃないんだけどさ……」

 だったら頼むから後回しにしてくれ、とは言い返せず、俺は黙って七星の次の言葉を待っている。

「その、さっきはありがとね……」

「……え?」

「ほら、落盤があったとき、助けてくれたじゃん……」

「あ、ああ。そのことか。いいって、気にすんなよ」

「う、うん。それでも、一応ね。ありがと……」

「……ど、どういたしまして?」

 何で疑問系なんだよ、俺は。

 内心で自分に突っ込みながらも、俺はやたらと動悸が激しくなっていた。

「うん。そ、それだけ……」

「……そっか。じゃ、行くな」

 だから、何に対して断りを入れてるんだ俺は。

「うん……」

 七星、お前も答えるなよ……。

 パタンと音を立て、俺はようやく洗面所の扉を閉めた。

 午前中の肉体労働なんか問題じゃなくなるほど、今の時間の方が息苦しかった。



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