御留守番=フリモリウム魔法学院=
夢と現の狭間。半分だけ覚醒したような、まだ夢の中のようなフワフワとした世界に、憐れみを誘うようなか細い声が聞こえてきた。
その声に誘われるように、ゆっくりと目が覚める。
「きゅーん……きゅーん……」
『誰が泣いてるの?』
ジョージはボンヤリと呟きながら、目を開いた。うつ伏せの状態で顔を上げると犬がスンスンと鼻を鳴らしながら、何かを確認しているのが見えた。少し位置を変えた犬の向こうに……中途半端に化けた姿の狸がいた。
『キミ、何やってるの?』
起き上がると、狸の様子を観察する。どうやら様々な呪が絡んで、固く結ばれているようだ。これを解すとなるとだいぶ苦労しそうだなと思ったところで、窓の外の朝日に気付く。
『今日は……納品が多いんだよね』
今から狸の解呪を始めると、納品物の収集の時間が足りなくなる。少し考えた少年は、ジッと狸を見た。
『帰ってから解呪してあげるから……お留守番、出来る?』
その言葉を聞いて、置いて行かれることが確定した狸はショックを受け「きゅーん」と憐れそうな声を上げた。
しかし、どんなに憐れみを誘う声を上げられても、ジョージには狸を連れて行くという選択肢はない。
『だって……その格好で街中を歩けないでしょ?』
狸は、よろよろとよろけると、自分の布団の上に鎮座した。
不貞腐れた狸を部屋に残し、ジョージは狐と犬を連れて、オッフェルの森へ向かうことにする。
(……ちゃんと、留守番できるかなぁ?)
一抹の不安が残り、アパートを振り返る。
「わふっ?」
犬がどうかしたとばかりに少年を見上げ、尻尾を振った。
『ちょっと心配だよね』
早めに仕事を切り上げられるよう、納品物の回収だけじゃなくて作製も視野に入れようと思ったところで、商店街に差し掛かる。朝早いとはいえ、日の出とともに動き出す人たちは多く、商店街は既に人の往来があった。パン屋からはパンの焼けるいい匂いが漂っていた。
「ふとっちょのとこの坊やじゃないか」
軒先に開店を知らせる札を下ろすパン屋の女将さんがジョージの姿を見つけ、朗らかに声をかけてきた。
「おはよう……今日はふとっちょはいないのかい?」
少年の足元にいる狐と犬を見た後に、もう一匹の姿がないと周囲を探す。
「おはようございます……ちょっと、調子が悪いので、お留守番です」
ぺこりと頭を下げた少年が申し訳なさそうに告げると「おやまぁ!」と女将さんは驚いた声を上げる。
「ふとっちょ、大丈夫かい?」
酷く心配そうな女将さんの姿に、ジョージは酷く申し訳ない気持ちになりながら、こくんと頷く。
「心配だねぇ……今日も森に行くんだろ?」
「はぃ。今日もオッフェルの森でお仕事です」
「じゃぁ、帰りに寄っておくれ。ふとっちょが早く良くなるようにパンを焼いておくよ」
にこやかに告げる女将さんの言葉に、ジョージは「ありがとうございます」と深く一礼した。
「よしておくれよ。元気なふとっちょの姿が見えないと寂しいからね。あんたたちも体調に気を付けるんだよ」
カラカラと笑った女将さんは「気を付けて行っておいで」と少年たちを送り出した。
その後すぐだ。
「坊主、太っちょが体調悪いんだって?」
「風邪ひいたかぁ?」
「馬鹿は風邪ひかねぇっていうのな」
「悪鬼の攪乱って奴か?」
商店街を通り抜けながら、甘味処の若旦那や肉屋の親父、魚屋の店主に声を掛けられ、狸の体調不良を心配されたのだ。
女衆からも「最近気候が安定しないからねぇ」などと心配され、帰りに見舞いを渡すから店に立ち寄る様にと乞われ、狸の交流の広さに目を白黒させてしまう。
『ずいぶん、人気者なんだね』
狐と犬に呟きながら、こんなにも心配されてるんだから、早く帰って解呪して、明日にでも元気な姿を街の人に見せてあげなきゃなぁなどと思う。
(ただなぁ……)
街の人には詳しいことを言えず、体調不良と誤魔化したものの、現実は……
(変化の術を失敗したんだよね)
狐と犬が目を逸らした。
狸のことが心配だったので、出来るだけ急いで商品をそろえたが、やはり数が多いとなると時間がかかってしまった。
注文があった魔物の死体を取り揃えて、いつものように納品に向かい、無事納品を終え、街に戻る。
トーフェルブーク学術都市に着くころには、真っ赤な夕焼け空が空一面に広がっていた。
帰りに寄る様に言われたお店はどこだったかななどと学術都市に入った一人と二匹は、街中の様子に不穏なものを感じ、辺りを窺った。
狐と犬は周囲を見回し、クンクンと鼻をひくかせる。
少年は、街中に学生や冒険者の姿がいつもより多いと首を傾げる。
そしてなにより、いつもならば買い物をしたり、飲みや食事に出歩いたりと人が多いはずの通りが寂れているのだ。その分、武装した学生や冒険者がいるのだから、非常に物々しい。
「何かありましたか?」
通りかかった学生を呼び止めれば、ジョージが死体屋だと気が付いたのだろう。足から頭まで見て鼻で嗤うと「戦えない奴は邪魔だからさっさと家に帰れよ」と言い放った。
「今、緊急事態なんだ。足手まといにかかわってる暇はないんだ」
駆けだす学生の向こうから「見つけた! あっちに行ったぞ」と叫ぶ声が聞こえる。
チッと舌打ちした学生は、ジョージを押しのけて走り出した。
「魔女鍋怪物だ!」
「鉄鍋のバケモンだぁ」
「あっちだ!」
「追い詰めろ!!!」
賑やかな声が響き渡り、少年と狐と犬は顔を見合わせた。
『茶釜……』
少年のつぶやきを聞くや否や、ダッと狐と犬は駆けだした。
一直線に道の真ん中を駆け抜けたかと思うと、それぞれ二手に分かれる。別れた先の交差点を挟み込むように二匹が向い合えば、お互いの視線の先にはヨタヨタとよろめく丸い茶色の塊があった。
人々が周囲を囲み、丸い茶色の物体を包囲する。
じりじりと間合いを詰め、捕獲しようと網を構える人の姿があった。
まんまるい茶色の塊はブルブルと震えている。遠目からは丸の塊に見えるが、どうやら足が四本生えているらしい。黒い棒状のものが茶色から生えていた。
犬が走り出すのと、周囲に狐火が広がるのとは同時だった。
急に現れた狐火に慄く学生や冒険者を尻目に、犬は人々の足元を潜り抜け、ガシリと茶色の塊を咥える。
「ぽきょっ!」
驚きの声を上げる茶色の物体は、犬に咥えられるや否や、犬の疾走のスピードに目を回し、キュゥッと気絶した。動かなくなったソレを気にすることなく、追っ手を撒くように街中を縦横無尽に走り回る。
やがて人気が無くなった所で、待ち構えていた少年が溜息をついた。
『お留守番って、家の中にいる事なんだけど……知らなかったかな?』
犬が咥えていた分福茶釜を頭陀袋にいれて抱きかかえる。死体を運ぶ袋だが、この際贅沢を言っていられない。
『帰るよ……』
街の中の騒ぎを思うと頭が痛いが、さっさと帰ってしまえば、いない物を探す者も少なくなるだろう。
アパートの前では狐が待ち構えており、冷たい目で少年の腕の中の袋を見つめていた。
アパートの階段を上り、五階にある自室へ入る。
頭陀袋から分福茶釜を取り出すと、一寸臭いが移っていて、ジョージは思わず顔をしかめた。
『まずは、禊だね』
魔道具で湯船に湯を張りながら、冷たい水で分福茶釜を洗う。水の冷たさにビクリと震えて目を覚ました茶釜から頭が生えた狸は「きゅぅーん」と憐れみを誘う鳴き声をあげるが、冷たい三対の眼差しにスッと視線を逸らした。
「ぽきょー」
『駄目だよ……シッカリと清めないと』
ざばりと冷水を掛けられ、へくちとクシャミをひとつ。
ジョージは狐と犬にもお湯を足した水で身を清めさせると、自身も身を清める。
そして、湯船に入ると、分福茶釜を抱えて温めた。狐と犬は清めが終わったとばかりに身体を振るわせて、水気を飛ばすと浴室を出て行った。
『寂しかった?』
抱きしめた分福茶釜に声をかける。
「きゅーん」
茶釜からのっきりと生えた狸の頭がこくんと頷いた。
『商店街の人たち、心配してたよ』
ピクピクと耳が動く。
『早く元気な姿が見たいって……』
「きゅーん……」
しばらく黙ってお湯に浸かった一人と一匹は、温まった身体で浴室を出ると、タオルで水気をとる。いつものようにブルブルと身を振るわせようとして、踏鞴を踏んだ分福茶釜を犬が支える。
「わふっ」
鼻づらでジョージの元に押し出す犬に、素直に押し出される分福茶釜。
『おいで』
ベッドに座った少年は、抱き上げた分福茶釜を膝の上にのせる。
『ちょっと痛いかもしれないけど、我慢するんだよ……まぁ、約束を守れなかったんだから、お仕置きみたいなものだよね』
「ぽきょっ!」
慌てて逃げようとする分福茶釜だったが、少年が逃がすはずもなく……
「ぼぎょぉぉぉぉぉ!」
翌日、アパートの上の方から、化け物の叫び声が聞こえたと噂が広がることになる。
数日後のフリモリウム魔法学院。
「そういえば……」
書き物をしていたマディアスが顔を上げて、ジョージに尋ねる。
「キミの住んでいるアパートの近くで魔女鍋怪物などという奇妙な怪物が目撃されたらしいだが、何か知っているかい?」
来客用のお菓子をくすねようと、そろりそろりと動いていた狸の動きがピタリと止まった。
「初耳です」
窓際で毛繕いする狐が横目でチラリと狸を見た。
「聞いたこと、ありません」
少年の足元で姿勢よくお座りしていた犬が振り返って狸を見た。
「そうか……残念だな。どんな魔物なのかと、いろんなところから問い合わせが来ているんだが、なにぶん私も聞いたことがなくてね」
『そうでしょうね……』
「なんだい?」
思わず母国語で呟いたジョージに、マディアスは尋ねるように声をかけた。
「いえ……次に見かけたときは、先生のところに納品させていただきます」
お行儀良くお座りする狸をジッと見つめて、ジョージは答えた。
「えぇ、必ず」
「それは楽しみだな」
ふるふると狸は首を振って、ジョージの顔を見つめていた。




