彼の選択
それから数日が過ぎ、学園は何事もなかったかのように穏やかな日常が続いていた。
中庭では学生たちが談笑し、回廊には講義を終えた者たちの足音が行き交っている。噴水の水音は規則正しく、空は不自然なほど澄んでいた。
エドワードは、人通りの少ない回廊の一角で足を止めた。
そこにいたのは、アルヴィン・フェルクだった。
彼は書類を一束抱え、まるで偶然そこに居合わせただけのような顔で立っている。
「……何か?」
先に口を開いたのはアルヴィンだった。
穏やかで、丁寧な口調。
だが、声の奥にはわずかな距離感が含まれている。
「お忙しいところ、すみません」
エドワードは一歩進み、礼をした。
「少しだけ、お時間を」
「構わないよ」
アルヴィンは肩をすくめる。
「もっとも、君と私の間に、ゆっくり話す用事があるとは思えないけれど」
柔らかな笑み。
だが、それは社交の仮面に近い。
「……先日の件についてです」
「ああ」
アルヴィンは、思い出したように頷いた。
「叔父の件かな?
それとも、学園内で広まりつつある噂の整理について?」
どちらでもいい、と言外に含ませた言い方だった。
「前者です」
エドワードは、視線を逸らさずに答える。
「あなたが、恥をかいてでも動いたこと。その結果――マリエさんと子どもが助かったこと」
「……結果論だな」
アルヴィンは、あっさりと切り捨てた。
「誰が動かなくても、別の手段はあったかもしれない。
私はたまたま、最も面倒で、最も目立つ道を選んだだけだ」
「……それでも」
「それでも、何だい?」
静かな問い返し。
怒気はないが、試すような視線が向けられる。
エドワードは一拍置いてから、言った。
「あなたが逃げなかった事実は、変わりません」
一瞬。
アルヴィンの目が、わずかに細められた。
「君は……」
苦笑に近い表情を浮かべる。
「本当に、人の内側を勝手に決めつける癖があるな」
「そのつもりは――」
「いいや」
遮るように、しかし声を荒げることなく続ける。
「否定しなくていい。
君はそういう人間だ。だからこそ、ほとんど初対面の私にあそこまでの物言いができたのだろう?」
回廊に沈黙が落ちる。
アルヴィンは、しばらく考えるように視線を遠くへ向け、それから静かに言った。
「君は口を挟みすぎだ」
責めるというより、事実を告げる口調だった。
「この件は部外者に深入りされるような問題ではなかった。それは理解しておいてくれ」
そこで、言葉を切る。
ほんの一瞬、逡巡するような間。
「……ただ」
アルヴィンは、エドワードを見た。
今度は、はっきりと。
「叱ってもらわないと、人の道さえ平気で踏み外す屑がいるのも、また事実だ」
自嘲とも取れる言い回し。
「その点だけは――」
口元に、ごく薄い微笑を浮かべる。
「礼を言っておくよ」
それだけ言うと、アルヴィンは踵を返した。
背中は、以前よりも少しだけ軽く見えた。
エドワードは、その場にしばらく立ち尽くしていた。
自分がしたことは、正しかったのか。
越えてはいけない線を、踏み越えたのではないか。
答えは、まだ出ない。
それでも。
誰かが立ち止まり、逃げずに選んだ事実だけは、確かにそこにあった。
エドワードは小さく息を吐き、夕暮れの学園へと歩き出した。




