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隠された作戦

夜の舞踏会は終わり、人々の笑い声と音楽が遠ざかると、王宮の大広間はやがて片付けと余韻に包まれた。燭台の影が長く伸び、絢爛の布は片端から運び去られていく。客の波が引いたその隙間を狙って、ある小さな手紙がひっそりとレビリアの手に渡された。


「レビリア嬢へ――

 小さな話がございます。陛下に代わりまして、ささやかな品をお渡ししたく存じます。お立ち寄りいただけますか。お子様の世話に長けておられると伺っておりますゆえ、貴女のお考えをお聞かせ願いたく。短時間で構いません。――使者」


文面は丁寧で、催促の匂いはない。送り主は名を伏せているが、文章の端々には「子どもに関することを頼みたい」というニュアンスが匂う。レビリアはふっと笑みを浮かべる。子供好きな彼女にとって、そんな頼みは断る理由がない。


「リオのこともあるし、ちょっと覗いてみるだけでもいいわね」

そうして彼女は何の疑念も持たず、薄手のマントを羽織って夜の回廊へと向かった。


――外では、暗がりに潜む影が互いに合図を交わしている。エルヴィンは回廊の影で地図を再確認し、ポアロは小型の魔導録音具を最終調整していた。護衛達は見せかけの配置(入口に一名)と隠密の待ち伏せ(梁の上、窓裏、舞台裏)で固められている。ブレスレット型の小さな振動合図は、レビリアの袖口にさりげなく装着されている――「彼女の安全のため」として、さり気なくポアロが手渡していたのだ。レビリアはそれが何かを深く考えもせず、愛らしい小物だと喜んで付けていた。


「準備は万端だ。ここにカメラ三台、録音材は同時二重保存。彼女が各個室に入ったら、こちらで監視を開始する」

ポアロの声は冷静でありながら、内には熱がある。エルヴィンは短くうなずいた。すべては、王妃が“手を下す瞬間”を捕らえるための舞台装置だ。


――レビリアが案内されたのは、舞踏会場から少し離れた古い寄贈室。表向きには孤児院の簡易な物資を置く小部屋だが、今は王宮の一角としてひっそりと使われる。その扉を開けると、中には小さな箱と薄い布に包まれたぬいぐるみ――子ども向けの玩具がそっと置かれていた。辺りに子供の声はない。だが箱には「リオへ」とだけ書かれている。


レビリアの瞳が一瞬輝く。胸を温かいものが満たす。

「リオに似合うかな……」彼女は箱を開け、丁寧にぬいぐるみを抱き上げる。柔らかな綿の香りに、自然と笑顔がこぼれた。


そのとき、扉の外で静かな足音が止まる。重く、品位のある靴音。王妃の近づく気配だ。レビリアは少し緊張しながらも、好奇心が勝り、ぬいぐるみを抱いて棚の前に座った。心のどこかに、「誰も知らぬ」と思わせる油断があった。


「はあ、よくお引き受けくださったこと」──低く撥ねるような声が部屋に入る。王妃は微笑みを浮かべて居間に一歩入った。光が顔をほのかに照らす。クラリーチェが後ろに控えている。王妃は優雅に扇を閉じ、ぬいぐるみに目をやった。


「これは貴女に、とても相応しい品ね。子供を慈しむ心をお持ちなのは貴女だけと聞いているわ」

言葉は甘く、賞賛にも聞こえる。ただしその称賛の奥底には、毒を含んだ狙いが滲む。


レビリアは嬉しそうにぬいぐるみを差し出して、王妃に見せた。王妃はそれを手に取り、指先で綿の質を確かめるふりをしながら、ゆっくりと口を開く。


「だが、世間というものは時に冷たい。人々の視線はどうしても厳しくなりがち。貴女のように心の広い方が、孤立してしまうこともあるでしょう?」

王妃は穏やかに首を傾げる。レビリアは少し戸惑い、首をかしげる。クラリーチェは薄笑いを浮かべ、部屋の隅で居心地悪そうに身を寄せる。


王妃の口調はやわらかいが、言葉は刃だ。彼女は続ける。

「例えば、誰かが貴女に関する噂を立てたとする。公の場でそれを示されると、貴女はどう反論したら良いかしら? 誰もが皇室の中の“秩序”を好むのですもの」


レビリアの顔色がさっと曇る。心の奥にささやかな不安が芽生える。だが、幼い頃から人の気持ちを和らげるのが上手な彼女は、自分を奮い立たせる。

「私には、リオや皆のためにすることしかないわ」

そう言って小さく笑い、ぬいぐるみの頭を撫でる。王妃はその表情をじっと見据えた。


「そうね。ならば、少しだけ――あなたとお話をしたいの」

王妃の声はやさしいが、同時に命令的だ。クラリーチェが一歩前に出る。部屋の隅に置かれていた見せかけの護衛は、王妃側の者であることを自然に思わせるに過ぎない。


――その瞬間、室外の微かな機械音が遠隔で起動する。隠しカメラのレンズが暗闇で微かに光り、ポアロの指先が小さな盤を操作する。エルヴィンは回廊の影に位置し、目を鋭く見開いている。だが、王妃の前では何が起こるか見えにくい。ここは“王妃の庭”であり、王妃は慎重だ。


王妃はゆっくりと近づき、低い声で囁くように言った。

「貴女にだけ、示したいことがあるの。――もしも、公の場で貴女が疑われることがあれば、どうやって証明するのか。私が少しだけ手助けしましょうか」


その「手助け」の意味は、レビリアには計りかねる。ただ、王妃の視線は冷たく計算づくで、何かをさりげなく差し出す。――薄い封書。中身を見せるわけではない。だが、それを置く所作は、レビリアの胸に小さな不安を駆り立てた。


「これを受け取りなさい」王妃は柔らかな手つきで封書を差し出した。

レビリアは戸惑いながらも、王妃の威厳と好意に押されてそれを受け取る。――その紙片は、実は演出された“告発の種”を含む偽の文書。王妃は傷を与えるためではなく、現場で“仕掛け”を見せるために差し出しているのだ。


そして、王妃の言葉は密やかに続く。

「夜も更けている。ここで少し、二人でお話ししましょう。人の目を気にせず率直に話ができるはずよ」


その誘いに、レビリアはしばしのためらいの末、ぬいぐるみを抱きしめたまま頷いた。子どもを思う気持ちの延長で、王妃の“親切”を素直に受けてしまう。彼女は全く、何が仕掛けられようとしているかを知らない。

柔らかな口調の裏に棘が潜む。

レビリアは胸の奥に嫌な予感を覚えつつも、凛とした態度を崩さなかった。


その瞬間――。

重々しい扉が開かれ、セピア、エルヴィン、ポアロが姿を現す。


「王妃様。これ以上は無意味です」

エルヴィンが冷然とした声で告げ、机に封じられた文書と帳簿を叩きつけた。

「不正会計の記録、地下牢建設の命令書、そして刺客を雇った証言。すべて揃いました」


王妃の顔から血の気が引く。

「ば、馬鹿な……!」


セピアが一歩前に出る。

「王妃。これでもなお言い逃れするつもりですか? 僕を陥れ、レビリアたんを消そうとした罪、すべて暴かれたんです」


「……ッ!」

王妃の瞳がぎらりと光り、突然、懐から短剣を抜き放つ。


「黙れェ! この女さえいなければ……!」

怒り狂った王妃は、目の前のレビリアに向かって刃を振り下ろす。


「レビリアたん!!」

セピアの叫びと同時に、レビリアは身を翻して受け止めようとしたが、腕をかすめる鋭い痛みが走った。

鮮血が絨毯に滴り落ちる。


「っ……!」

必死に痛みをこらえ、レビリアは剣を取って短剣を弾き飛ばす。


王妃は息を荒げながら後ずさった。

だが、その姿を見据える三人の男たちの視線は、もはや逃げ場を許さない。


「王妃様。これで終わりです」

ポアロが冷静に短剣を回収し、エルヴィンが衛兵を呼ぶ。


セピアは傷を負ったレビリアを抱きとめ、その震える体を抱きしめた。

「……ごめん。僕が囮になるべきだったのに。君を傷つけてしまった」


レビリアは首を振り、微笑もうとする。

「いいえ……セピア様が無事なら、それで……」


密室に響く王妃の悔しげな叫び声。

それは、長きにわたる陰謀が終わりを告げる瞬間だった。

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