取り戻した記憶
小屋の中は、火の灯るところだけがやさしく揺れていた。外の冷たい風とは別世界の、細い温もりが二人を包む。
レビリアは震える手でセピアの手を握り続けていた。指先を通して伝わる微かな鼓動。まだ弱々しいが、確かに生きている証だ。
「さむい……」
セピアの声は震えていた。瞼の端がかすかに動く。
レビリアは息を詰め、彼を起こさないようにそっと身を寄せる。狭い布団の上に、横たわる彼の隣へ――静かに潜り込んだ。冷えた身体を温めるため、彼の細い背に自分の体温を重ねる。
「これで、どうかしら?」
抱きしめるように腕を回すと、セピアの肩がかすかに緩む。
「……あったかい……」
小さな吐息と共に、彼はまた静かな寝息を立て始めた。レビリアは胸の中で安堵のため息を漏らす。よかった、熱が引いて、夢から少しでも遠ざかったのだと。
だが、レビリア自身のまぶたも徐々に重くなってくる。セピアの体温に触れていると、眠気が優しく押し寄せる。彼の鼓動を感じながら、彼女は自分がどれほどその胸に寄り添いたいかを、改めて噛み締めた。
――セピアの夢の中。
黒い風。足元が崩れ、身体が浮く感覚。叫び声が口から出かかるが、それすらも遠い。
「おちるっ――!!」
目の前に見えたのは、二人の笑う顔。ガゼル兄上と王妃。二人は、何かを楽しむように笑っていた。
胸の内に、鈍い痛みが広がる。
(僕が、そんなに邪魔なの?)
どんどん遠ざかる地面。視界の端で、誰かが自分を呼ぶ声――。
「セ、セピア、しっかりしろ!
絶対に助けてやるからな!」
朦朧とする意識の中で、金髪にアメジストのような瞳を思い出す。――エルヴィン兄さん。薄れていく景色の中で、その顔だけは不思議と鮮明だった。
(エルヴィン兄さんが、助けてくれたの……?)
そして、ふっと柔らかな光景が差し込む。母様の手のぬくもり。子守歌のような声。
「完璧な王子にならなくてもいいの。貴方が生きたいと思う生き方でいいのよ、セピア。
人生は一度きり。後悔のないように生きなさい。願わくば、貴方が心から愛する人に出会い、幸せな家庭を築けますように……」
母の笑顔は、穏やかで暖かかった。だが、幸せな時間は長くは続かなかった。病に倒れ、彼女はあっという間に消えてしまった。それがきっかけで、セピアは悲しみを押し隠すために勉学と剣の道へと走った。寝る間も惜しんで励み、いつしか「次期国王候補」と囁かれる存在になっていった。
(僕は……王位なんていらない。母様が願ったように、ただ穏やかな家庭が欲しいだけなんだ――)
夢の中の断片が次々と押し寄せる。ガゼル兄上が抱えてきたあの赤ん坊のこと。茶髪にアクアマリンの瞳を持つ、小さな顔が自分を見て笑った場面。彼はその子を守ると心に誓ったこと。ポアロに調べさせた真実――それは、ガゼルが無理やり行為に及んだ令嬢の子であるという衝撃の事実だった。セピアはその子を「リオ」と名付け、養子にし、いつか守り導こうとしていた。
断片がつながり、やがてひとつの記憶の連なりとなり、セピアの胸の中でゆっくりと形を成していく。
そこに、今、レビリアがいる。リオがいる。ポアロがいる。笑い合う日常――家族のようなぬくもりが、胸を満たす。
そして、夢のさなか、ゆっくりと瞼が上がる。
セピアの目はじっと、寝息を立てるレビリアの横顔を見据えていた。記憶は戻った。忘れ去られていた過去が、苦みを伴いながらも彼の中で蘇る。
(――僕に、記憶が戻ったら、君は喜んでくれるだろうか)
そう思うと、胸が温かくなる。ゆっくりと、セピアは寝ているレビリアの頰に触れた。柔らかな髪を撫でる指先は、震えていない。彼女の寝息は浅く、幸せそうで、彼の胸を満たしていく。
「んん……セピア様……私が守ります。そばにいてください……」
レビリアの寝言のような囁きが、彼の心に沁みる。思わず笑みが零れる。
(ありがとう。僕を守ってくれて、ありがとう)
セピアは音を立てないように、レビリアをぎゅっと抱きしめる。彼女を起こしてしまわないよう、そっと、しかし確かな強さで。眠りの中の二人は、体温を分け合い、夜の寒さから互いを護る柔らかな盾となった。
外の風が小屋の隙間を吹き抜ける。だが、そこにあるのは冷たさではなく、二人をつなぐ確かな温もり――家族の灯火のように小さく、しかし消えない光だった。




