第4話 もう一度、誰かのそばに
『桜、別れようか?
桜って、あんまりノリがいいタイプじゃないし……。
俺、もっと楽しい子がいいんだ』
ガタッ。
手に持っていたはずのスマホが床に落ちる音で、目が覚めた。
寄りかかっていたソファーから立ち上がって、グッと背伸びをする。
落ちたスマホをタップすると、午後4時を過ぎていた。
うわぁ、2時間以上寝てたって事?
「まだ全然仕事終わってないのに……。
早く資料作らないと、明日また先輩に怒られるよ」
それにしても、嫌な夢見たなぁ。
祐樹が夢に出てくるなんて……。
もう4年、いや5年だよ、いい加減忘れないと。
いつも「可愛い」とか「好き」とか、「ずっと一緒にいようね」なんて口では言ってたけどさ、
こっちが落ち込んでる時に電話したら「今友達といるから、桜も気分転換にパーッと気晴らししたらいいよ」だって。
付き合って1年過ぎたころから、ずっとこんな感じだったよなぁ……。
もう、口先だけの愛情なんていらない。
ベランダの窓から差し込む西陽が眩しくて、窓の半分だけカーテンを閉じた。
壁にかかったカレンダーに目を向ければ、12月も半分を過ぎている。
意味もなく丸で囲んだ25日に、笑いが漏れた。
「別に予定なんてないんだけど」
新年を迎えた日に、期待を込めて丸をつけた事を思い出す。
まぁ……
自分から何も動かなかったし、仕事も忙しかった。
うん、仕方ない!
変われなかった自分に言い訳して、キッチンにコーヒーを入れに行った。
「さぁ、仕事しますか!」
湯気のたつコーヒー片手に、ソファーの前のローテーブルに移動する。
電源の落ちたノートパソコンに手をかけ、スリープモードを解除。
その僅かな時間に、ゾクゾクっと寒気がした。
今朝からずっと晴れていて気温も高かったけど、さすがに陽が沈むと一気に温度も下がる。
側にあった膝掛けを肩から羽織って、パソコンに向かった。
*****
「はぁ」
昨日も遅くまでパソコンと睨めっこだったのに、また別の仕事だよ。
ちらっと壁にかけてある時計を見ると、もう午後8時。
週の始めから残業なんて……。
今日こそは自炊しようって思ってたのに、
うん、無理。
今日もコンビニ決定だわ……。
頭の中は『夜ご飯何食べようか』で埋め尽くされつつ、カタカタとタイピングを再開する。
──コトッ
デスクの端に置かれたコーヒー。
ふと顔を上げると、課長の岩崎さんがいた。
「もう遅い。後は明日でいい。
それ飲んだら、帰るぞ」
「あ、ありがとう……ございます」
課長いたの?
てっきり私だけ残業だと思ってたけど。
あれ⁉︎課長、パソコン開いてない?
んん?スマホ見てる?
もしかして、私一人だから心配して残ってくれてるの?
「課長、もしかして待っててくれたり……、してますか……?」
ちらっと目線だけ向けると、コーヒーを飲んだ彼。
「気にしなくていいから、キリのいいところで終わりにしろ」
「はい……。
あと30分くらいかかりそうなんで、課長先に帰ってくださいね。お家の人待たせたら悪いですし」
「要らん心配せずに、さっさと済ませるんだ。
……俺は独り身だ」
後半は掠れてて上手く聞き取れなかった。
最後の数字を入力して、パソコンを閉じた。
腕を持ち上げて固まった背中を伸ばしていると、デスクの上のコーヒーカップに手が伸びてきた。
「ほら、帰る支度しろ」
「あっ、課長、自分で片付けますから」
私のコーヒーカップを持って給湯室に向かう彼に声をかけたが、振り向く事なく「支度しろ」と言葉が返ってきた。
急いでコートを羽織り、ノートパソコンをカバンに仕舞う。
デスク周りに忘れ物はないか確認していると、声がかかった。
「帰るぞ」
扉を開けて待っていてくれている課長の元に、急足で向かう。
背の高い彼と並ぶと、頭ひとつ分ほど差があった。
あまり近くから見ることのない課長の横顔を、斜め下から覗き込む。
メガネの下の切れ長の二重、鼻筋も通っている。
あれ、課長ってイケメンさんだったのね。
普段は取っ付きにくい印象しかなかったし、言葉数も少ない。
「何を見ている?」
視線だけ動かした彼から、低い落ち着いた声が降ってきた。
「あっ課長って、実はイケメンさんなんだなと観察してました」
「っはぁ?」
いつもの声のトーンだけど、耳がちょっと赤い。
なんだか、かわいいっと思ってしまった。
ビルの外の空は真っ暗なのに、建物に面した歩道はイルミネーションの光で明るい。
冬の澄んだ空気が光を柔らかく反射して、幻想的に映る。
歩いている誰もが、この雰囲気を満喫しているようで、少し浮き足立っているように見えた。
こちらに向かって歩いてくる、若い男女の集団。
楽しそうに戯れあって、前方の私たちに全く気がついていない。
あっ!ぶつかる。
目の前に男の子が迫ってきて、思わず目を閉じる。
次の瞬間訪れたのは、温かい衝撃。
ふわっと香る、フランキンセンスの香。
気がつけば課長の腕の中にいて、密着していた。
うわぁ、こっちの衝撃の方が心臓に悪い。
「あっ、ありがとうございます」
「いや、悪かったな。引っ張って」
「課長、いい香りしますね」
課長の腕の中から出た私は、鼓動の速さを誤魔化したくて冗談ぽく言った。
「はぁ?なんの事だ、柔軟剤だろ」
そっぽ向いた彼の耳が、再び赤くなった。
駅の入り口の、大きなクリスマスツリー。
もみの木を彩る可愛らしいオーナメントに、ガーランド、そしてキャンディケイン。
頂上にはトップスターが、ひときわ輝いている。
「なんでクリスマスって、特に予定がなくてもワクワクするんでしょうね?」
ツリーを見上げて、思わず口から出た言葉。
「篠山が子どもだからだろ」
「いや、わたし27ですが」
反射的に言葉を返してしまい、慌てて後ろを振り返った。
えっ⁉︎課長笑ってる?
初めて見た彼の笑顔に、ドキッとしたのは内緒。
*****
「そういえば今週の始め、私残業だったのよね。そしたら課長が残っててくれて、一緒に駅まで帰ったんだ」
同僚の美沙と食堂でランチを食べながら、なんとなく先日の話をした。
「課長の家って、この辺りのマンションだったはずよ。わざわざ、あんたを送ってくれたんだね。
怖そうに見えるけど、案外優しいんだね」
えぇ?そうなの?
そういえば課長は改札通ってなかったかも……。
わざわざ駅まで、一緒に歩いてくれたの?
「桜、なにぼーっとしてるの?早く食べないと、昼休憩終わるよ」
急いで注文した定食を食べて、オフィスに戻った。
私のデスクの近くに腕組みをした、隣の部署の男性が立っている。
私の姿を見るなり、いきなり怒声をあげた。
「おい、資料は今日の11時までってメールに書いたよな!
ずっと待ってたんだぞ。午後の会議で使うから早く準備しろ」
威圧的な物言いに、周りの人たちの顔が歪む。
身に覚えのない催促に、思考が止まった。
確かに彼の部署からの依頼はあったが、期限は違ったはず。
私は見落とさないように、いつも期限は付箋紙に書いてパソコンに貼っている。
パソコンを開こうとする私の前に立ちはだかった彼は、資料を寄越せと手で催促しだした。
「依頼された資料の期限は、今日ではなかったはずですか」
威圧感に押しつぶされそうで、心臓が痛い。
「何を言ってる?俺はメールに今日までって書いただろ?」
「そんなに大声で叫ばなくても、聞こえるだろ。
メールを見ればいいだけじゃないか。
篠山、メール開けろ」
声が聞こえると同時に、私の肩にそっと手が置かれた。
そのまま後ろに少しだけ引っ張ると、空いた隙間に割り込んだ背中。
「課長」
まるで私を背に庇うように立っている彼の姿に、目の奥が熱を持ち始めた。
不安と緊張が一気に緩んで、指先が痺れる感覚がする。
指がうまく動かなくて、キーが打てない。
「ゆっくりでいい。大丈夫だ」
彼の低く柔らかい言葉が、余計に前を見えなくする。
なんとかメールを開いて、目的の文書を探し出した。
そこにはしっかり、『1月21日』と記載されていた。
「ここにしっかり1月21日と書いてあるが?
まだ1ヶ月先だと思うんだが?」
課長の淡々とした言葉に、隣の部署の彼の顔色が変わった。
「えっ⁉︎俺、ちゃんと12月って書いたつもり……」
メールを覗き込んで、慌て出す彼に課長は言った。
「そんなに重要な資料なら、時々確認のメールでも送って、進行状況を確認しろ。
そうしたら防げたミスだ。
自分の怠慢を人に押し付けるな」
今にも溢れ出しそうな涙を止めようと、必死に両目に力を入れて堪えるがもう限界。
「ほら、みんな仕事だ、持ち場に戻れ。
篠山は今日は体調不良で、早退だ。
帰るぞ。支度しろ」
私のコートとカバン、そしてノートパソコンを抱えた課長に腕を引かれる。
俯き涙を堪える私を連れて、そのまま外へ。
そっと肩にコートをかけられ、また手を引かれる。
5分ほどで到着したここは、先日の帰り道に私が『行ってみたい』と話していたカフェ。
案内された奥の窓際のテーブル席に、向かい合って座る。
「甘いものでも食べて、気分転換しろ」
そう言って、メニュー表を目の前に差し出された。
課長の温かさに、また目の奥が熱くなる。
熱を逃がそうと瞳をとじるが、おさまる気配がない。
まるで壊れた蛇口のように、
ポタッ
ポタポタと溢れ落ちる涙。
課長がそっと席を立つと、私の隣に腰掛けた。
隣の席から私が見えないように。
私が泣いてもいいように……。
ちょっとだけ背を向けて、課長はこちらを見ないようにしてくれている。
静かに、ただそばにいるだけ。
ひとしきり泣いたら、なんだかスッキリして顔をあげた。
こちらを見て優しく目を細めた彼は、パンケーキを差し出す。
「食べたかったのは、これであってるか?」
ふわふわのパンケーキに、生クリーム。そしてカットされたいちご。
きっと化粧もぼろぼろで、目も真っ赤だろう。
でも嬉しくて、笑顔になる。
「篠山は、笑ってる方がいいな」
その一言に、息が詰まる。
隣の彼の穏やかな雰囲気に、ぽろっと言葉が漏れた。
「なんだか課長の隣は、安心しますね」
「なら、ずっと居ればいいだろ」
えっ?
どういうこと?
目を見開き、固まって動かない私に課長は言った。
「そのままの、意味だ」
この場所は私専用……。
聖夜の前の少しだけ早いクリスマスプレゼントは、安心できる私の居場所。




