第四章
(疲れた……)
「初めてのお茶会で、大変な騒ぎになってしまいましたね」
ロジェが淡々とした口調で述べながらカップに茶を注ぐ。他の侍女たちは下がらせ、広い部屋にはロジェ一人なので、ミランダはだらしなくソファの背もたれに背中を預けていた。鏡を見ていないが、恐らく半分魂が抜けたような顔をしているはずだ。
「ええ、本当に……」
あの後、フォンテーヌ夫人が倒れ、お茶会は当然お開きとなった。慌てて医者を呼んだり、こんな形で解散することになってしまった非礼を他の夫人方に謝ったりと……まぁ大変であった。
「フォンテーヌ夫人、大丈夫かしら……」
「恐らく大丈夫でしょうが、ああいう方は普段強気なぶん、反撃されるとめっぽう打たれ弱いですからね。しばらく引きずることでしょう」
「……あなたが言うと、説得力があるわね」
ロジェと初めて会った時、嫌味を言って手を上げようとした子どもに、本人が密かに気にしていることを暴露し、相手が泣くほど言い返していた。
口で勝てないとわかると暴力で封じ込めようとしたが、さらにこてんぱんにやり返されて、見かねたミランダが間に入ったわけである。
「……夫人も、少し可哀想だったわね」
「先に失礼なことをおっしゃったのはあちらなんですから、報いを受けたようなものです。相手に毒を吐く場合は、自分も吐かれる覚悟を持っておかなければならない。そのことをフォンテーヌ夫人はすっかり忘れていたから、痛い目に遭ったのです。姫様が気にする必要は一切ありません」
「そうは言ってもねぇ……」
確かに失礼な発言で腹も立った。それは事実であるが、彼女の恋心を思うと、少し不憫にも思えたのだ。
(好きな人にああもはっきり告げられたら、ショックよね)
ミランダも敬愛する姉のジュスティーヌとオラースの想い合う姿を見せつけられた時は心にズンときた。
「姫様は変なところで甘いですね」
「何よその言い方……。それより、陛下がいきなり来たのは驚いたわ」
あと急に自分に対して甘さ全開になった接し方も。
「ときめかれましたか?」
「ときめく……そうねぇ……あんな顔もなされるのね、って驚きはしたわね」
(目元や耳を赤くしたのは何だか可愛かったかも……)
そう思ったところでミランダは、ロジェが扉の方へ視線を向けたのに気づいた。と同時に扉が控え目に叩かれる。
「ミランダ……ミラ。今、少しいいだろうか」
「陛下?」
なぜ言い直した、と思いつつ、ミランダはロジェを見て頷く。彼が扉を開けてディオンを出迎えると、彼は驚いたようにロジェを凝視した。
「陛下。今日はいろいろとご面倒をおかけしまして、申し訳ありませんでした」
扉付近で固まるディオンを出迎えるようにミランダは椅子から立ち上がり、今日のことを謝る。するとディオンは怪訝な顔をした。
「なぜあなたが謝る」
「わたしがもっと上手く立ち回れていれば、フォンテーヌ夫人も倒れることはなかったでしょうから……」
「彼女がああなってしまったのは、俺のせいだろう。気にするな」
そう言ったディオンの顔を、ミランダは黙ってじっと見つめる。
「どうした?」
「陛下は、フォンテーヌ夫人の想いを知っていたのですね」
「おもい?」
「異性として好かれていたという自覚がおありでしたのね」
ミランダの言い方に誤解させてしまったと思ったのか、ディオンは焦った表情を浮かべる。
「いや、それはそうだが……決してあなたが想像しているようなことはなかったから、どうか誤解しないでほしい――……ミラ?」
その必死さにミランダは途中で我慢できず、手の甲で口元を隠して笑い声を漏らしてしまった。
「ごめんなさい。ええ、わかっていますわ。もしあなたがフォンテーヌ夫人のことを愛していらしたら、きっと何があっても結婚しようとなさったでしょうから」
まだ短い付き合いであるが、彼は真面目で誠実な人だとミランダは思った。
一度こうだと決めたら貫き通す意志の強さもある人だと……。
「……俺は別に、あなたが思うほどできた人間ではないさ」
「陛下?」
顔を曇らせたディオンにミランダがどうしたのだと手を伸ばせば、彼はその手を自ら捕まえ、ロジェの方を見た。
「しばらく彼女と二人きりで話したい。席を外してくれるか」
ロジェは答えず、ミランダに視線で問うた。彼女が頷くとようやく頭を下げて部屋を退出した。
「……あれは優秀だな」
ロジェは国王であるディオンの命令より、ミランダの意思を何より尊重した。仕える者としては正しい振る舞いかもしれないが、どこか苦々しくも聞こえるディオンの呟きに、ひょっとすると気分を害したかもしれないとミランダは不安に思った。
「少し頑固なところがあるのですが、真面目に仕えてくれていますわ」
他意はない、とミランダは伝えたつもりだが、なぜかディオンはじっとミランダの方を見つめてくる。そう、まるで何かに不満で、物言いたげな目で……。
(前もこんなふうに見られたことがあったような)
「……まだ侍女として働き始めたばかりだというのに、ずいぶんと、彼女の人となりについて詳しいのだな」
「えっ」
ぎくりとして、まずいと目を泳がせた。
(そうよね。ロジェは今女性で、たしか侯爵夫人の姪という設定で潜り込んだって言っていたわ)
あまりにも親しくしていては逆に不自然だ。
「えっと、その……彼女いろいろと気がついて、母方の親戚がわたくしの故郷と同じで、つい懐かしくなってしまって、話が弾んでしまったのです」
「なるほど……。だが朝の支度の時には見かけなかったな」
(それはそうよ)
完璧に女装しているが、男である。寝起きの姿や身支度など手伝わせるわけにはいかない。……ロジェ自身は気にしないかもしれないが。
「夜遅くまで話に付き合ってもらうことがあるので、朝は他の侍女に任せているようですわ」
「ふぅん……」
ディオンはまだ納得しきれていない様子でミランダの顔を見てくる。
彼女は冷や汗をかきながら、何とか話題を自然に変えようと頭を働かせる。
「それより、よくロ……ロゼが朝の支度時にいないとわかりましたね」
危なかった。女装している時のロジェの名前はロゼだった。
「あ、ああ……。彼女は容姿が美しいから、いないと目立つ」
「……もしや陛下は、彼女のようなタイプが好みで?」
ひょっとすると惚れてしまった? と思ったミランダの問いかけにディオンは息を呑んだ。目を見開いた次の瞬間、「何を言っているんだ!」と大きな声で言い放った。
「確かに彼女は美人かもしれないが、俺はあなたの方が好みだ。というか、あなたの方が美しいと個人的には思っている」
この言葉に今度はミランダの方が驚く。
「わ、わたしの方がですか?」
ディオンはしまった、と自分の発言に焦った表情をしたが、ミランダの冗談だろう? という顔を見て、本当だと力強く肯定した。
「彼女とあなたが一緒に並んでいても、俺の目にはあなたしか映らない」
「ええっと……それはまた……」
(こういう時、なんて言えばいいのかしら)
真正面から褒められて、しかも至極真面目な顔で言われて、ミランダは面食らった気分だった。
「あ、ありがとうございます。……わたしも、陛下のお顔は嫌いではありませんわ」
「それは本当か?」
なぜか距離をグッと詰められ、ミランダはディオンに見下ろされていた。
「は、はい。凛々しくて、男らしくて、どきどきしてしまいます」
嘘ではない。今も、している。たぶん、異性に迫られているドキドキとはまた別の感情もあって。
「……嫌いではなく、好きだと言ってほしい」
顎を掬われ、強制的に彼の顔を見上げることとなった。
琥珀色の瞳は気のせいか、どこか熱を帯びているように見える。
「す、好きです……」
「俺の顔が?」
「はい。陛下のお顔が……」
「陛下ではなく、ディオンと呼ぶよう約束したはずだ」
また間違えたと、彼は親指でミランダの柔らかな唇をそっと押した。
(な、なぜ急にこんな甘々展開になっているの!?)
「ディオン、様……」
「そうだ」
ようやく満足した様子でディオンは解放してくれた。ミランダは胸を撫で下ろし、胸のあたりを押さえながら、彼の方をちらりと窺う。
「あの、へい……ディオン様。今日のお茶会でのことなんですけれど」
また陛下と呼びそうになってディオンが眉間に皺を寄せたので、ミランダは素早く言い直して彼がここへ訪れた目的を自分なりに解釈する。
「ああ、俺もそのことについて話そうと思っていた」
とりあえず座って話そうと促され、二人はソファに並んで腰を下ろした。
想定していたよりも近い距離間にミランダは違和感を覚えるものの、口には出さず、頭を下げた。
「あのようなことになってしまい、申し訳ありませんでした」
「どうしてあなたが謝るんだ。むしろフォンテーヌ夫人の言葉に傷つけられた方じゃないか。……そもそも、俺のあなたに対する態度が悪かったのが、発端だ」
「いえ、それは……」
ディオンの言う通りなので、ミランダは口ごもってしまう。彼と本当の夫婦になれていれば、フォンテーヌ夫人が自分にもまだ機会があるなどという勘違いをすることもなかっただろう。……たとえ本当の夫婦になっていても、夫人の性格では勘違いしたままだったかもしれないが。
(わたしも心のどこかで安堵してしまって、今の状況のままでいいと思っていたし……)
落ち込んでいる表情のディオンを見ると、ミランダは責める気にはなれなかった。
「気にしないでください、ディオン様。あの時、あなたはわたしを庇ってくれましたし、とっさに仲の良い夫婦を演じようと、頑張ってくれたじゃありませんか」
「演じた?」
「ええ。わたしのことを愛称で呼んだり、あ、愛しているとおっしゃってくれて……そのおかげでフォンテーヌ夫人の誤解も解けましたから」
ショックで倒れてしまったけれど。
「……俺は演技しているつもりはなかったんだが」
「え?」
目を丸くするミランダから顔を逸らし、膝の上で組んでいた手を握りしめながらディオンは緊張した面持ちでもう一度言う。
「あの時、無理をしてあんなことを言ったわけじゃない。自然と、口から出ていた。愛しているという言葉も……」
「それは……」
「俺は、あなたと夫婦に……本当の、互いを支え合っていけるような……とにかく、よい夫婦になりたいと思っている」
ディオンはミランダの方に向き直ると、目を見つめながらはっきりと告げた。
「あなたがここへ来たばかりの俺の態度は、その後の振る舞いも、決して褒められたものではなかった。すまなかった」
頭を下げられ、ミランダは慌てる。
「顔を上げてください! ディオン様のせいではありません!」
「だが……」
「以前も言いましたが、あなたはこの国を統べる方です。わたしがどういう人間か、疑うのも無理はありません」
「しかし、疑っていても、そうとは知られず接することもできただろう」
「それはそうかもしれませんが……それはそれで辛いものがありますから、嫌いならば嫌いだという態度をとられた方がわたしはわかりやすくて好きです」
にこにこしている顔で内心罵られているのは怖い。
「……あなたは変わっている」
「ふふ。よく言われます」
ミランダが笑えば、ディオンがその頬に触れた。
「ディオン様?」
「ミラ……あなたは先ほど、茶会での俺の言動は全て演技だと言ったな? それは、あなたもなのか?」
ディオンの問いかける声や表情が切なそうで、ミランダは応えるのを躊躇ってしまう。
だがその態度が答えを告げているようなもので、ディオンは「そうか……」と暗い眼差しになった。
「あの、ごめんなさい」
何だかとても申し訳ない気持ちになり、謝ってしまう。
「国王夫妻の不仲は、国の将来的にもよくないでしょう? ディオン様もそう思って、嫌いなわたしにも――」
「あなたのことは嫌いではない」
落ち込んでいるかと思えば素早く指摘され、ミランダは言い直す。
「まだどういった人間か知らないわたしにも好意的に接して、すでに良好な夫婦関係が築けていると、夫人たちにアピールしていると思ったのです」
「そうだったのか……ミラは、俺のことを愛しているから、ああ言ったわけじゃないんだな」
やけにその台詞にこだわる彼にミランダは落ち着かない気持ちになる。
「えっと、愛していないわけではありません」
じっと眼差しだけでどういうことか問われ、なぜか頬が熱くなってくる。
「自分で言うのもあれですが、わたしははっきりした性格なんです。苦手で嫌いな相手にあんな態度をとれるほど、行儀の良い人間ではありません。だからえっと……わたしも、あなたのことが嫌いではないということです」
途中から何やらとても恥ずかしいことを言っている気がして、ミランダは珍しく目元をうっすらと染めて、やや小声になりながら早口に述べた。そんなミランダをディオンは凝視している。
「ミラ……」
「わたしも、ディオン様とよき夫婦になりたいと今は思っております!」
(よし、言えた!)
恥ずかしい話はこれでお終いだと顔を上げたミランダは、ふわりと温もりに包まれる。
ディオンに抱き寄せられたのだった。硬直するミランダにディオンが耳元で囁く。
「その言葉は、嘘ではないな」
声が出ないので黙ったまま頷けば、さらに抱擁は強まり、吐息が首筋に当たる。
「よかった……。では、今日から俺とあなたは本当の夫婦として歩いて行こう」
抱擁を緩め、真っ赤になったミランダの顔に微笑みかけながらディオンはそう言った。
「今夜は、俺が来るのを待っていてくれるか?」
夜。恐らく寝室で彼の訪れを待つ意味。本当の夫婦になりたいという言葉。彼が望むことは、一つしかなかった。
(て、展開が早すぎる!)
いや、むしろ夫婦となったからには遅すぎたのか?
一周回ってそんなことを考えてしまったミランダは大いに混乱していた。
ここまでディオンがぐいぐい距離を詰めてくるとは想像していなかったのだ。
(もっと冷遇されると思っていたのに)
いや、もともと姉の婚約者に……と考えていたので、善良な人間だとは信じていたが。
「ミラ?」
「あ、はい……お待ちして、います……」
後半は顔を直視できずに俯きながら返事してしまう。
それでもディオンは嬉しそうだった。
「よかった。……では、名残惜しいが一度失礼する」
「あっ、お待ちください!」
離れようとしたディオンに思わず抱きつく格好で引き留めてしまう。
「どうした? 離れがたいのは俺も一緒だが――」
「ち、違います! あ、いえ、そういう気持ちもありますけれど」
違うと否定した途端悲しげな表情をされたので、ミランダは慌てて言い直す。何だか非常にやりにくい。
「えっとですね……わたし、まだあなたに話せていないことがあるのです。姉のこととか、他にも……ですから、正直にお話したいのです」
「それはぜひ聞かせてほしいが……急にどうしてまた? 無理はしていないか?」
ミランダの事情を慮るディオンに、彼女は申し訳ない気持ちになった。
「大丈夫です。本当は、話してもわたしがしてしまったことは変わらないから、今後の態度で変えていくしかないと思っておりました。……でも、ディオン様が本当の夫婦になりたいとおっしゃってくれたので、やはり話しておくべきだと思ったのです」
理解されるかどうか、どんな感情を抱くか、不安だった。
でも話してもいないのに、どうせわかってもらえないとか、不安に思うのは、自分の都合であり、自分勝手だとミランダは反省した。
「あなたは……真面目だな」
「そうでしょうか?」
真面目ならばもっと早くに打ち明けていただろう。
「いろいろ悩んでいたのも、俺や周囲のことを考えていたからじゃないのか?」
「そんな大げさですよ。……それで、いろいろ話したいと思っているのですが、今からは……難しいでしょうか」
「いや、そういうことならば――」
その時部屋の外が何やら騒がしいことに気づいた。
「陛下! 魔女に騙されてはなりませんぞ!」
バンッと扉を開けて乱入してきたのは鬼の形相をしたクレソン公爵であった。
そして後ろには珍しく渋面したロジェもいた。