(3)
グランディエ国の国王――ディオン・アデラール・グランディエの人となりについて調べ終えたミランダは、もうこれしかないと思った。名案である。
「この方なら、きっとお姉様を幸せにしてくれるはずよ!」
ディオンは美青年であるが、優男の類ではなく、硬派な武人を彷彿とさせるらしい。性格も真面目で、気心の知れた部下からすると、堅物との評価を受けている。このへんはたぶん、揶揄も含まれているのだろう。
(軟派な男よりずっとマシよ)
むしろ今まで女っ気のなかった彼が姉という清楚で可憐な女性と出会うことで恋に落ちる。間違いなく似合いの夫婦になるだろう。
「ディオンの周りにいる人間も、これといって注視する人間はいないようです。政権を奪った後の国王とその息子――つまりディオンの祖父と父親が、害になりそうな人間は徹底的に駆除しておいたようですね」
「ナイス!」
ロジェの報告に、ミランダはパチンと指を鳴らして喜んだ。
嫁がせるに当たり、向こうに密かに人を送り込み、念入りにディオンの身の回りについて調査させたのだが、彼は結婚相手として申し分なかった。
「女性関係も、もちろんクリーンなのよね?」
「はい。執務に忙殺され、それどころではないようです」
「うんうん。そこをお姉様のふんわりとした雰囲気と優しい微笑で癒してさしあげれば、もう瞬殺よ」
完璧! と一人満足気に頷くミランダを、ロジェはじっと見つめてきた。
「本当に、ジュスティーヌ様を嫁がせるおつもりで?」
「そうよ! もうお父様たちにも言ったもの」
父は最初渋ったものの、可愛い娘を手放したくなかったのか「そうだな。そうしよう」と最後には納得してくれた。同じ娘のジュスティーヌはどうなんだと言いたくなったが、言い出したのはミランダ本人なのでグッと堪えた。
「お母様は一も二もなく喜んで賛成してくれたわ」
過去のこととはいえ、クーデターを起こして政権を奪取した国に母はあまり良い印象を抱いていないようだ。代わりにジュスティーヌを差し出すという案はまさに願ったり叶ったりといえた。
(我が両親のことながら酷いわ……)
姉には酷かもしれないが、やはり国内を離れた方がいいと改めて思った。距離的に海を越えて、というわけではないが、間に小さな国を何ヵ国か挟んでいるので、遠いと言えば遠い。国境を越える手続きなどを考えると、面倒でもある。
つまり、母の魔の手からは逃げ切れる。
「とにかく! これで問題はないはずよ!」
「……姫様はよろしいのですか」
「わたし?」
ロジェの質問の意図がわからず、ミランダは首をかしげる。
「ディオン様と幸せになれるせっかくの機会を、ジュスティーヌ姉様に譲ってもいいのか、ってことだよ」
話を聞いていたのか、部屋に入ってきたカミーユが代弁する。そういうことか、とミランダは微笑んだ。
「ええ。もちろん」
「……前から思っていたけど、姉上はどうしてそこまでジュスティーヌ姉様のこと考えるの?」
カミーユの疑問はもっともだといえよう。下手すればミランダも、母オデットと同じようにジュスティーヌを疎ましく思っても不思議ではない立場だ。
「そうねぇ……性格がお優しいとか、お母様に酷いことをしてほしくないとか、いろいろ理由はあるけれど……一番は顔かしら」
「は? 顔?」
「そう! わたしね、お姉様のあのお顔がとっても好みなの!」
理解できないと言いたげな弟の表情に、ミランダはじれったく答える。
「もう! 要はお姉様が大好きってことよ。好きな人には悲しい顔より嬉しそうな顔をしてもらいたいでしょう?」
「まぁ、そうだね……」
ようやく理解できたかとミランダは満足する。しかしふと、視線を感じる。
「なぁに、ロジェ。何か言いたげね」
「……ジュスティーヌ様の顔が好みというならば、私の顔も好みということにはなりませんか?」
いきなり突拍子のない質問をされ、ミランダは面食らう。
「どうしてそんな発想になるの?」
「わたしの顔も、ジュスティーヌ様と同じ、儚げ系になりますから。美青年ですから」
「それ、自分で言っちゃう?」
カミーユが呆れながら言ったが、ロジェは事実ですからと答える。
ミランダはそんなロジェの顔をじいっと見つめ――
「あなたはだめよ」
とあっさり、ばっさり否定した。
「なぜですか。私の容姿もどこか人間離れして美しいでしょう?」
自身の美しさを否定されたと思ったのか、ロジェが食い下がってくる。
「それは認めるけど、なんていうのかしらね、あなたにはこう……あざとさがあるのよ」
「あざとさ?」
「そう。相手がどうしたら自分に気持ちを傾けてくれるか、そういうのをきちんと計算して振る舞う抜け目ない部分があるのよね。お姉様と決定的に違う点ね」
ジュスティーヌの言動はすべて天然なのである。裏表がない。だから自然と手を差し伸べてやりたくなる。庇護欲をこの上なくそそるのだ。
「あざとさのどこがいけないのですか」
「悪いとは言っていないわよ。ただ私の好みから外れるというだけ」
だから好みではないと結論づけたミランダにロジェは閉口した。二人のやり取りをそばで見ていたカミーユがぽつりと呟く。
「なんだこの二人」と……。
ともあれ、ジュスティーヌはグランディエ国へ輿入れすることが決まった。
(お姉様。どうか幸せになってください)
王都を出発するまであと二週間。
ミランダは散歩と称しては姉の暮らす離宮まで歩いていき、外から姉の旅立ちを悲しんだ。夜はバルコニーへ出て姉のいる方角を向きながら、無事幸せになれることを神に祈った。
(どうか。どうか。ジュスティーヌお姉様を幸せにしてください!)
これだけ願えばきっと神も願いを聞き入れてくれるはず。そう信じて疑わなかったのだが――
「大変なことになりました。姫様」
いつもは人目を忍んで最低限の業務報告をするロジェが、朝食の席に現れてミランダに耳打ちした。瞬間、ミランダの頬が思いきり引き攣る。
「お姉様が護衛騎士と一夜を過ごした、ですって?」
姉の身の回りの世話をする侍女や護衛は、ほとんどミランダが手配した者たちだ。だが中にはジュスティーヌのことを心から敬愛し、仕えている者もいる。
オラースという男も、その一人であった。
護衛騎士として配置された彼は忠実に職務を全うしているうちにジュスティーヌの境遇を不憫に思い、いつしか忠誠心以上のものを抱いてしまったらしい。
「で? 理性に抗い切れず襲ったってわけ?」
場所はジュスティーヌの離宮。胴体を縄で縛り上げられたオラースが床に転がされ、尋問――事情聴取を受けていた。
一応何かの間違いかもしれないと、まだ表沙汰にしてはいない。だが侍女や姉の様子を見る限り、男女の契りを交わしたのは確かなようで、一体どういうつもりでオラースがジュスティーヌを襲ったのか、事と次第によっては八つ裂きに処す所存であった。
「さぁ、嘘偽りない真実をおっしゃい」
ぐりぐりとヒールのある靴で容赦なくオラースの尻を踏みつければ、そばに控えていたロジェが「姫様。そのような者の尻を踏みつければ、あなた様のおみ足が穢れます」と止めさせた。
「でも怒りが収まらないのよ」
「では私が代わりにその男の尻を踏みましょう」
二人のやり取りをよそに、オラースが真摯な眼差しで訴えた。
「僕はジュスティーヌ様を愛しております。彼女は同じ王女であるというのに、貴女と違い、こんな離宮に押し込められて、あまつさえ蛮族のいる異国へ嫁がされるという! これ以上の不幸な出来事がおありでしょうか!」
「おだまり!」
ミランダは一際強く尻を踏んでやると、オラースは「あぁっ」と哀れな声で啼く。
「おまえはお姉様のためと言いながら、結局自分のものにしたかっただけでしょう!」
「さ、最初は逃亡を企てていたのです。あっ、やめてくださいっ」
「逃亡ですって!?」
新たなる暴露にミランダは眉を吊り上げた。それと同時にヒールも深く相手の尻肉に埋まっていく。痛みを通り越し、オラースが新たな扉を開けようとした時――
「ミランダ! オラースに酷いことしないで!」
姉のジュスティーヌが勢いよく扉を開けて、オラースのそばへ跪き、彼の尻を守った。
「お姉様……どうしてそんな男を庇うのよ」
姉は貞操を奪われたのだ。しかもあと少しで輿入れという時にである。なんという裏切り。辱しめだろうか。
「ちがうの。彼は何も悪くないの……」
「いいえ、この男が悪いわ。嫌がるお姉様を無理矢理――」
「私が、彼に捧げたのです」
「は?」
聞き間違いだろうかと目を瞬くミランダに、ジュスティーヌははっきりと告げた。
「私はオラースを愛しております。ですからどうしても一夜の思い出が欲しかった……いいえ、本当は彼と結婚したいの!」
かつてこれほど姉が自分の気持ちをはっきりと口にしたことがあっただろうか。いや、なかったはずだわ……とミランダは思いながら、姉に確認する。
「じゃあお姉様とその男は両想いということ? 合意の上で結ばれたというわけ?」
「まぁ、ミランダ……」
ジュスティーヌはポッと顔を赤らめた。その表情を下から見ていたオラースも「姫様……」と頬を染めた。二人は互いに見つめ合い、どちらともなく微笑み合った。
どこからどうみても、愛し合う恋人の姿である。
「……っ」
「姫様!」
ミランダはくらりと眩暈に襲われ、ロジェに抱きとめられた。
◇
「えーっと、つまりジュスティーヌ姉様は護衛騎士のオラースに襲われて……あ、違うか。ジュスティーヌ姉様の合意のもと、結ばれて……いろいろあったけど、オラースは責任を取ってジュスティーヌ姉様と結婚する、ってこと?」
「そう……そういうことに、なったの……」
ミランダは寝台に臥せったまま、カミーユの事実確認に弱々しく頷いた。
「あちゃー。姉上せっかくいろいろ画策してきたのに、ぜんぶおじゃんになっちゃったね。ま、どんまい! ジュスティーヌ姉様自身がこの結婚に乗り気みたいだし、まぁ、姉様の幸せを思うなら、結果的によかったじゃん!」
「あなた、わたしを励ましにきたの? 傷口に塩を塗りにきたの?」
「こういうのなんて言うんだろうね。親の心、子知らず?」
「幸せは案外すぐそばに落ちているものです」
「たしか東の国に灯台下暗しって言葉があったな。それかぁ」
好き勝手喋り続ける男どもをじとっとした目で見ていると、カミーユはごめんごめんとちっとも誠意の感じられない声で謝った。
「さっきも言ったけど、ジュスティーヌ姉様が幸せになれるなら、よかったじゃん。それに相手が男爵家の次男坊だから、母上の機嫌も損ねることはなかったし」
そう。オラースは爵位を受け継ぐわけではないので、平民と同じ、ただの騎士である。
さすがに王女を降嫁させるには体裁が悪いので、父は爵位を叙爵するだろうが、それもせいぜい伯爵位より下か、あるいは一代限りのものだろう。母からすれば、可哀想な娘、という認識なのだ。
もっとも、当人たちは結ばれるだけでただ幸せ、という感じではあるが。
「姉様があんな男を好きだなんて、今でも信じられないわ……」
「オラースは真面目な男だよ。だからもうジュスティーヌ姉様のことは任せて、自分のことを心配しなよ」
自分のこと? とミランダは気怠そうにカミーユを見やる。弟は肩を竦めて、ため息をついた。
「グランディエ国への輿入れのことだよ」
「あぁ……」
そうだ。姉がオラースと結婚するならば、グランディエ国へ嫁ぐことはできなくなる。もしジュスティーヌが無理矢理貞操を奪われていたら、何とか偽装して嫁がせたかもしれないが、純愛で結ばれた二人を引き裂くことはできない。
(となれば……)
「わたしが行くしか、ないわね……」
よろよろと起き上がりながら、諦めたように出したミランダの答えに、カミーユは目を丸くする。
「いいの?」
「だって、今さら破談にするわけにはいかないでしょう」
「うん。国同士の決め事だからね。父上も今度ばかりは拒否できなくて、今から必死に姉上にお願いする練習をしているよ。あ、母上はよくよく調べてみたらグランディエ国も悪くないわねって意見変えて、娘が王妃になれることを喜んでいるみたい」
(あの人たちは……)
我が親ながらあきれ果てる。いや、もうこうなったら仕方がない。
「もともとわたしが嫁ぐ予定だったのだから、その通りになるだけよ」
自分に言い聞かせるようにミランダは力なく呟いた。
こうして、最初ジュスティーヌを身代わりとして嫁がせる予定は取りやめとなり、やはりミランダがグランディエ国へ嫁ぐことになったのだった。