(2)
「――ねぇ、ちょっと」
数年後。十八歳になったミランダはふかふかのクッションが敷き詰められたソファに腰掛け、冷めた眼差しで侍女を呼び寄せる。
「これ、もう要らないから離宮で寂しく暮らしているお姉様に渡してきてくれる?」
「かしこまりました」
ミランダはまだ一度も袖を通していないドレス――彼女のサイズ、好みには合わず、こっそり侍女から聞き出したジュスティーヌのサイズに、彼女の魅力を一番引き出す最新のドレスを国一番の仕立て屋に、最高級の素材を使用させて作らせたドレスを、さもおさがりを可哀想な姉に気紛れで下賜してやる口調で、侍女に下げ渡すよう命じた。
「ああ、そうだ。このネックレスとブローチもあげるわ。わたくしはお父様にもっといいものを買ってもらうから、必要ないもの」
ついでとばかりにアクセサリーも持たせる。もちろんこれも、姉の好みに合わせた、他のドレスにも合わせることができるものを吟味して選んだ品だ。
「……ミランダ様。こんな高価なものをジュスティーヌ様に差し上げるのですか?」
「そうよ。さっさと行って、お姉様の困惑するお顔をとくと拝見してきなさい」
早く、と急かせば、侍女は戸惑いながら言われた通り部屋を後にした。
彼女が確かに出て行ったことを確認したミランダは、パンッパンッと手を叩く。誰もいない部屋で埃でも払ったのかと思えば――
「お呼びでしょうか、姫様」
一体どこから現れたのか、青年がミランダの足元で跪いていた。肩にかからない程の長さで綺麗に切り揃えられた銀髪に、切れ長の紫紺の瞳をした中性的な見た目で、とても美しい容姿をしている。
彼の名前はロジェ。
ミランダがまだ小さい頃、賓客が見世物として連れてきていた奴隷である。主人の目を盗んで王宮の子どもにいじめられて――いたのだが、こちらが引くほど返り討ちにしていたところをミランダが見かねて間に入ったのが出会いである。
その際の妙に太々しい態度というか、実にけろりとしたロジェの様子に、彼女は気骨ある人間だと思い、いろいろ仕込んだら面白そうだと自分の従者として譲ってもらったのだ。
以来、ミランダの手足となって、あれこれお願いを聞いてくれている。今も――
「ロジェ。あの者がきちんとお姉様の離宮へ行って渡してきたか……途中でくすねていないかどうか、後をつけなさい」
「かしこまりました」
ロジェはスッと立ち上がり、任務を遂行としたが、その前にふと物言いたげな視線を主へと向ける。
「なにかしら」
「いえ。初めから私に言いつけてくだされば、余計な手間も省けたのにと思いまして」
「お姉様の味方になりうるかどうか、確かめているのよ。彼女がお姉様の侍女と口裏を合わせて横取りしている可能性だってあるんだから」
実際以前にもあった。
ミランダは主人の言いつけを守らず、挙げ句窃盗まで働いた人間は侍女に相応しくないと両人とも暇を出した。
「だからわざと泳がせていると?」
「そうよ。わかってるじゃない。あぁ、そうだ。ついでにお姉様周りの侍女の様子も見てきて。あ、それとこの前修繕した部屋の様子も。それから配膳される料理のメニューに、庭師の腕前でしょう。あっ、一番はお姉様の様子ね。悲しそうな顔をしていらしたら、何か面白いことでもして笑わせてあげなさい」
「過重労働すぎます」
「あなただから見込んでいるのよ。給金を増やしてあげるから、頑張りなさい」
「……行ってまいります」
まだ何か言い足りない様子ではあったが、これ以上抗議しても無駄だと悟ったロジェは窓際へ寄って、躊躇なく飛び降りた。遠い異国で育ったという彼の身体能力はずば抜けており、どこか人間離れしている。
(わたしが贈ったドレスをお姉様が着て、舞踏会に出席すれば……)
ミランダは考えた。どうしたら母の機嫌を損なわず、不遇な境遇に置かれた姉を気にかけてやれるか。
答えは嫌がらせに見せかけてジュスティーヌの身の回りを改善する、という実に面倒で遠回りな手法であった。
(最初はお母様に見つからないよう根回ししても、結局侍女を通じて見つかってしまうのよね)
母オデットは娘が善意を持ってジュスティーヌに関わることを嫌った。ならば悪意を持って接すればいいじゃないかと思ったのだ。
だからドレスの件しかり、王妃の従順な手先――ジュスティーヌに意地悪するために送られた侍女たちを「お姉様にはもったいないから、わたしの世話係になりなさい」と横から奪っては、代わりに姉のことを気にかけてくれる優しい侍女を手配した。
他にもわざとボロボロの状態を保ったまま、離宮の改善をするよう業者に命じたりした。彼らは「なんて無茶な命令なんだ!」と言いながらも、視覚的に蜘蛛の巣が張られてあったり、床が抜け落ちたように見える細工をしながら、実際は姉が快適に過ごせるよう修繕してくれた。
「いつも思いますが、面倒臭すぎませんか」
「仕方ないでしょう。わたしが表立ってお姉様に優しく接すれば、ますますお母様が暴走する危険も――って、もう帰ってきたの?」
つい先ほど出て行ったと思われるロジェがもう帰ってきた。
本当に様子を見てきたのかと半目になるミランダに、ロジェは肩を竦めた。
「侍女は予定通りドレスを渡しました。ただ向こうの侍女と熱心に今回の舞踏会で玉の輿に乗れそうな男が来るかどうか話し始めたので、先に帰ってきたんです」
「それはまた……まぁ、いいわ。それでお姉様のご様子は?」
「いつもと変わらず。孤児院に寄附する手編みの防寒着やハンカチの刺繍に精を出されておられましたよ」
その姿が難なく想像でき、ミランダはため息をついた。
「本当は王女として、もっと華々しい生活を送れるのに……」
「姫様。来月の舞踏会にジュスティーヌ様を出席させ、そこで素敵な殿方に見初めてもらうご予定ですよね?」
「そうよ。素敵な殿方に見初められて、一発逆転を狙うのよ」
「失礼ながら、ジュスティーヌ様の性格的に、難しいのではないでしょうか」
「それは……」
物心ついた時から父に見捨てられ、姉はすっかり質素な生活に慣れてしまった。華々しい行事に参加することもどこか苦痛そうで、控え目な性格に拍車がかかってしまったように思う。
「で、でも! 何もお姉様の方からガツガツ男を漁らなくても、向こうから――」
「ジュスティーヌ様の美貌と身分を目当てに、見かけだけの男が寄ってくる絵ならば容易に想像できますが」
「うっ……」
そしてそんな男どもに囲まれて、泣きそうな表情で困り果てる姉の姿。それを遠くから見て嫉妬する母の悪鬼の表情。
ミランダはガクッと膝をつき、自分の計画の失敗を悟った。ロジェは感情の読めない……それでもどこか主人を憐れむような、冷めた目で見ていたが、「姉上ーいるー?」と部屋の外から呼びかける間延びした声に扉を開けに行った。
「あ、ロジェもいる。また僕に内緒で面白いことしていたんでしょ? 仲間外れはよくないよ……って、なんで姉上は床で崩れ落ちているの? みっともないし、ドレス汚れるからやめなよ」
呑気な声でぽんぽん言いたいことを言う弟を、ミランダは恨めしげに見やった。
「カミーユ。一体何の用よ」
ミランダの弟、カミーユは次期国王として毎日みっちりスケジュールが埋まっている。自分のもとへ訪れる暇もないはずだ。
「そう邪険にしないでよ。少しくらい息抜きしないと、僕もどうにかなっちゃうんだって」
やれやれと勝手に座り心地の良いソファに腰掛けながらカミーユは寛ぎ始める。
「いい御身分ですこと」
「姉上だって同じだろう? ロジェと二人、何をこそこそ企んでいるの? まぁ、大方ジュスティーヌ姉様のために舞踏会でいい男を見繕ってやろうとでも考えているんだろうけど」
「その通りでございます」
返答に窮する主人に代わって、ロジェが大当たりだと告げる。やっぱりね、とカミーユは笑った。
「そんなことしても無駄だよ。目ぼしい男はすでに婚約者がいるだろうし、いたとしても、母上が絶対許さない」
「……わからないじゃない。普段は社交界を毛嫌いしている氷の騎士(見かけに反してとっても優しい)とか偏屈研究者(でも爵位持ちの超美青年)とか、距離的にいつも欠席している辺境伯がたまたま出席して、偶然お姉様と恋に落ちたりとか!」
「ないない。肥満体系の男とか、女好きの色狂いとか、バツがついている中年男とか、そんな人間しか売れ残っていないね」
ばっさりとカミーユに切り捨てられ、ミランダは奥歯を噛みしめる。
「くっ……こうなったら!」
「婚約者のいる男をわざと引き裂いて、ジュスティーヌ姉様に宛てがう? そんなことしたら、姉上が婚約者である女性から恨まれるんじゃない?」
「別にわたしの評判はどうでもいいのよ」
「姉上じゃなくて、気の弱いジュスティーヌ姉様が女性陣に嫌われる結果になっても?」
「うっ、それは……」
「母上が姉上の評判が悪いのは全てあの女のせいよ! って怒りの矛先をジュスティーヌ姉様に向けても?」
またしてもカミーユの正論にミランダはぶすりと黙り込む。
「何よ。さっきから文句ばっかり。あなたはお姉様に幸せになってほしいとは思わないの?」
「姉といっても半分しか血繋がっていないし、そもそも僕、ほとんど会ったことないもん」
冷たいやつ! とミランダはそっぽを向いた。ジュスティーヌに対してはあまり情の湧かないカミーユであるが、実の姉であるミランダに臍を曲げられるのは弱いらしい。
悪かったよ、と先ほどより姿勢を正して一緒に考え始める。
「そうだね……現実的に考えると、ジュスティーヌ姉様がこの国で幸せになるのは難しいかも」
「お母様の目があるから?」
「そう。だから……いっそのこと、国外へ嫁いでみたらどうかな」
「国外……」
異国へ嫁ぐということである。別に珍しいことではない。王女であるならば、かつては人質として、戦争のなくなった今でも国同士の友好を深めるために輿入れすることはよくある。
「でも、お姉様には荷が重すぎるんじゃないかしら……」
「確かに大変だろうけど、他国ならさすがに母上も手を出せないだろうし、向こうも王妃として手厚く保護するはずだよ」
「ですが、王妃殿下はジュスティーヌ様を嫁がせることをお許しになられるでしょうか」
黙って姉弟のやり取りに耳を傾けていたロジェがふと零す。ミランダも難しい顔をした。
「そうね……お母様のことだから、あえて酷い嫁ぎ先を見つけてきそうだわ。王妃の他に側室が何人もいたり、妃になると見せかけて後宮の一人にさせる縁談とか……」
三人は沈黙した。
父は国王として普段それなりの手腕を見せているが、母のこととなると別である。母に甘い声と表情で迫られると強く出られない。言いなりになってしまうのだ。
そんな王、普通なら嫌であるが、母の願い事というのは決まってジュスティーヌに関することなので、臣下たちは問題ないと見なしている。それでいいのか、と強い憤りを覚えるものの、王女に過ぎないミランダにはどうすることもできなかった。
「あ、そうだ。縁談といえば、姉上にも見合い話がきているそうだよ」
「わたしにも? 今は姉様のことで自分のことを考える余裕はないんだけれど……相手は誰?」
「グランディエ国の王様だってさ」
「グランディエ国? 数十年前クーデターが起こった国ですか?」
相手の出自に、本人よりロジェが素早く反応する。
「そう。先々代の王弟派が魔女に狂った王に代わって、王権を奪ったんだ」
「魔女?」
「傾国の美女ってやつだよ。最期は処刑されちゃったけど、かなり色事に長けていたみたい」
「ふーん……」
どこの国にもそういった話はあるのか、とミランダは他人事のように思った。
(お母様も、さすがにそこまではならないわよね?)
「国王が腑抜けだったとはいえ、武力で政権を奪ったのでしょう? そんな国に姫様を嫁がせるのですか」
自分の嫁ぎ先になるかもしれないというのにどこか反応の薄いミランダに代わり、ロジェが鋭く指摘する。何となく彼自身が異議あり、と言いたげであった。
「もう過去の話だよ。あの頃はどこの国もカッカしていただろう? それに魔女はもう亡くなってるし、国内の治安も安全。芸術に力を入れて、演劇が流行っているらしい。今の王様も、若いのにかなり有能らしいよ」
「有能ですって?」
急に話に食いついてきた姉を、カミーユは不思議そうに見る。
「うん。頭も良くて、武人の才もあって、民にも慕われていて……あ、ついでになかなかの美男子らしい」
「それよ!」
いきなり大声で叫んだミランダにカミーユは「え?」と素っ頓狂な声を上げる。ロジェの方はというと、また良からぬことを……と言いたげにほんの微かに目を細めた。
「わたしに代わって、お姉様がその方に嫁げばいいんだわ!」
カミーユはポカンとした顔をする。ロジェは無表情。一人、ミランダだけがなぜ今まで思いつかなかったのだろうと表情をキラキラさせていた。