(3)
一日中出歩いていたのでまず湯浴みと着替えをしたいとミランダが言ったので、ディオンも汗を流して着替えを済ませることにした。だがその前に――
「ヤニック、アルノー。いいか」
執務室に入り、ディオンは背後に控えている二人に話しかけた。
予めディオンに訊かれることを想定していたのか、ヤニックが落ち着いた口調で切り出す。
「お二人の様子を密かに見張っている者がおり、後を追いかけたのですが、人混みに紛れて取り逃がしてしまいました。申し訳ありません」
「そうか……」
「ぱっと見た感じでは男性のようでしたが……高位貴族の手の者でしょうか」
アルノーが慎重な口調で容疑者を挙げる。
「ええ。恐らく、フォンテーヌ夫人と同じ、陛下とミランダ様の関係を壊したいと思う人間の仕業でしょうね」
「やはりその可能性が大きい、ん?」
今の声はヤニックでもアルノーでもない。もちろん自分でも。では誰が――
ディオンが振り向くと、ぎょっとした様子で身を仰け反らせているヤニックとアルノーの姿が目に入り、その二人の間にお仕着せ姿のロジェが堂々と立っていた。
「おまえ、いつの間に……」
全く気づかなかったとヤニックが頬を引き攣らせている。
「私、気配を殺すのが得意なんです。それより先ほどの話の続きですが――」
「いや、続けるんかい」
「きみは見たところ男のようだが、なぜ女性の格好を?」
国王の側近として滅多なことでは動揺しないヤニックとアルノーも、我が道を行くロジェの態度に困惑しており、ディオンは額に手を当ててため息をついた。
「ロジェ。おまえの正体について二人に話してもいいだろうか。そうでないと恐らく納得してくれないだろう」
「おや、意外です。陛下のことですから、とっくに明かしていると思っておりました」
「……それはどういう意味だ?」
微かに眉間に皺を寄せて尋ねるディオンにロジェは妖艶に微笑む。女装しているだけに美しいが、ディオンはなぜか喧嘩を売られている気分になった。
「他意はございません。ただ、そうですね。あなたが当初姫様を疑っていたような感情で、当然私のことも警戒している、とばかり思っていたのです」
「おまえのことはともかく、ミラのことは今では心から信じているが」
「ええ、承知しております。まるで手のひらを返したかのような溺愛ぶりに、呆れて……いえ、心底驚いておりますから」
「……」
「……」
ディオンはにこやかな笑みを浮かべているが、よく見ると頬は引き攣っている。ロジェもふふふ……と笑顔を貼り付けているが、すぐにでも獲物を狩るような殺気……刺々しい雰囲気を隠しもしない。
無言でいがみ合う二人の様子にヤニックとアルノーは互いに顔を見合わせた。
「あー……今ので何となくわかりました。つまりそこの女装している男性は王妃殿下のお知り合いの方で、彼女の護衛をしているわけですね」
「なぜ侍女をしているかは……孤立していた王妃殿下に寄り添うため、といったところでしょうか?」
「ええ。おおむねそういったところです」
ロジェがヤニックの方を振り返ったことで一触即発な雰囲気が解かれ、ディオンも目を閉じて自分を落ち着かせるように深く息を吐いていた。側近二人はほっと胸を撫で下ろし、ヤニックが率先して話題を本題に戻す。
「ええっと、それでは、フォンテーヌ夫人のような方がいるとして、また何か仕掛けてくる危険があるわけで……しばらくは陛下と王妃殿下の護衛の数を増やし、気を付けねばなりませんね」
「いや、俺よりもミラの方が危ないと思う。それとできれば、あまり大事にはしたくない」
「そう言われましても……」
護衛のヤニックたちからすれば、難しい注文なのだろう。ディオンもそれはわかっているが――
「私も陛下の意向に賛成です。ようやくこちらへ嫁いできて緊張が解けてきたというのに、また余計なことでお心を悩ませてしまってはお可哀想ですから」
「……ああ、彼の言う通りだ。それにミラのことだから、自分を責めたり、あるいは問題を早く解決しようと自分を危険に晒すことも厭わないだろう」
「右に同じです」
先ほどまでミランダのことで険悪な雰囲気になっていたというのに、今は彼女のことで息ぴったりである。
仲が良いんだか悪いんだか……と半ば呆れている側近二人の心中は知らず、ディオンとロジェはミランダには内緒で、厳戒態勢で挑むことに決めた。
◇
ディオンはロジェに絶対にミランダに悟られぬよう気を付けてほしいと言われたあと、彼女と共に夕食をとっていた。
料理を運んでくる給仕たちの目を気にしてか、ミランダも帰り際のことは口にせず、楽しかったことだけを話題にした。
内心は恐怖で怯えているのかもしれないのに微塵もそんな様子は見せない。そんな健気な彼女の様子を見ているうちに、不意にディオンは胸の痛みを覚えた。
「ディオン様? どうかなされましたか?」
「いや、何でもない。ただ、胸がこう甘く締めつけられて……」
「え、やはり何か大病の前兆では……」
「料理の味が美味しくて感激していた」
とっさにそう言い訳すれば、ミランダは目を丸くしたのち、ふふっと笑った。その顔を見てまたディオンは胸を押さえる。
「ディオン様にそこまで感激してもらえて、料理人たちもさぞ喜ぶでしょうね」
ね? とミランダが同意を求めるように給仕たちを見れば、彼らはなぜか目を潤ませた様子でディオンを見ており、ミランダの問いかけに何度も頷いた。
誤魔化すためのとっさの言い訳が思いのほか彼らに大きく響いたことで、ディオンは罪悪感を抱くが、美味しいと思って食べていたのは本当なので、間違いではない。
「今日のお昼はいつもと違ったものを食べたから、それで味の変化を感じたのですか?」
「いや、あれもあれで美味しかった」
外の景色を楽しみながら、片手でも食べることができるお手軽さ。パンに肉と野菜を挟んだだけのシンプルな軽食だが、それゆえ素材本来の良さがストレートに出る。皮ごとりんごを齧る経験も新鮮で、いつもは気にしていない匂いさえ意識して食べていた。
グランディエ国は水も綺麗で、肥沃な土地が多い。そのことを、ディオンは実感できた気がした。こんなふうに思うのはきっと――
「あなたと一緒に食べたのも、美味しく感じられた要因だ」
ミランダはまた驚いて、今度は目元をじわりと赤く染めた。
「そ、そうですか。それは、嬉しいです……」
(可愛い……)
彼女のそういった表情をもっと見てみたいという欲が出てくる。
「もう。見過ぎです」
「ああ、悪い」
少し恨みがましい目でこちらを睨んでくる表情もディオンはたまらなく好きだ。
(もっといろんな言葉で彼女に好きだと伝えたらどう思うだろうか)
口下手な方だと自負しているが、自然とミランダ相手ならば語彙が湧いてきて、尽きることなく言える自信があった。
(それは彼女が俺にとって特別な存在だからだ)
好きで、愛しているからこそ今までの自分では考えられない側面が出てくるのだろう。
そんなディオンを腑抜けていると嘆かわしく思う者もいるかもしれないが、ディオンは今の自分がそれほど嫌いではなかった。
(魔女に絆された国王も、こんな気持ちだったのろうか……)
そう思うと、ディオンはほんの少し彼に同情し、以前のように鋭く非難する気持ちが薄れた。
だが、やはり妻子ある身で他の女性に気持ちを移すことは許されないし、国を傾けてしまうほど溺れるのは同じ為政者として決して許すことはできなかった。
(結局、男の意思の弱さが諸悪の根源かもしれないな)
◇
「ね、ディオン様。グランディエ国の国王を誑かした魔女って、どういう出自の者でしたの?」
夕食後、食堂から部屋へ戻り、たわいない話をして寛いでいたのだが、今日のこともあって、ミランダは思いきってディオンに尋ねてみた。
「急にどうしたんだ」
「実は……ずっと今日の視線は誰だったのだろうと考えていて、普通に考えれば、フォンテーヌ夫人の親類か、彼女の取り巻きのうちの誰か、あるいは彼女のように王妃であるわたしをよく思っていない人間……といったところが濃厚かな、と思ったのですが、ふとなぜか魔女のことが頭をよぎりまして」
ずっと「魔女」という単語で話をしていたが、本当に魔術などが使えるわけではあるまい。媚薬や麻薬などは悪用したそうだが、自分たちと同じ人間のはずである。
「身分の低い人間でしたの?」
「男爵家の夫人だったそうだ。夫と共によく登城し、王妃の話相手をしている時に国王の目に留まった。最初は周りの目を忍んで逢っていたそうだが、次第に周囲にも露見し、やがて公然の秘密となった」
(堂々とした不倫関係ってやつね……)
ミランダは自分も同じ立場であるからか、王妃に同情した。
「夫人の夫である男爵は何も言わなかった……言えなかったのですか?」
「爵位が低いから、逆に国王に付け入る隙が出たと、見てみぬ振りをしていたらしい。……恐らく、初めから狙って妻を差し出したのではないかと思う」
もしや魔女は、夫に逆らえず、渋々国王を愛していた、という可能性もあるのだろうか。
(家のために国王を誘惑しろ、って命じられたのかしら)
だとしたら、何だか魔女に少し同情してしまう。
「男爵の思惑通り、国王は夫人を寵愛した。周りが諫めても、聞かなかった」
夫人の方も、最初は王妃様がいるから……と拒絶していたそうだが、その反応がかえって国王の欲望に火をつけたのか、ますます束縛と執着心を強める結果となった。次第に夫人も、そんな国王を受け入れるようになった。
「拒絶していた……そう聞くと、国王の権力に逆らえなかった不憫な女性のようにも思えますね。……もし目的を果たすためにわざとそう振る舞っていたのならば、大した手練手管ですが」
「そうだな……。もしかすると、そんな国王を……自分を差し出した夫や家族も恨んで、逆に懐柔しようと腹を決めたのかもしれない」
悪の道に目覚めてしまったわけか。
「……でもやっぱり、悪い薬を使ったり、国王を操ってこの国を滅茶苦茶にしようとしたことは許せない」
そのせいで、ディオンの祖父は実の兄に手をかけることになってしまったのだから。
ミランダがそう言うと、なぜかディオンは眩しいものを見たように目を細めた。
「ディオン様?」
「あなたはやはり真っ直ぐな人だな」
「えっ……そうでしょうか。わたし、そんなに根が良い人間ではありませんよ?」
しょせん人間は自分が一番大切だから、時には常識を自分の都合のよい方に解釈して、現実から目を逸らしてしまうこともある。
自分には関係なく、過去の出来事であるからこそ、魔女はやっぱり悪いと言える面もあると思う。
「では、ミラもいつか、男爵夫人のような魔女になる可能性があると?」
「うーん……もしわたしがその魔女だったら、まず夫である男爵を引っ叩きますね。自分の妻に何させてるのよ! って。男爵に不満があって国王への不倫にのめり込んでいったとしても、しょせんは愛人という立場ですし、将来性がないでしょう? ですから国王も男爵もさっさと捨てて、新しい恋人を作るか、もっと楽しい人生を模索すると思います」
ミランダの答えに、ディオンは声を立てて笑った。
「そんなに笑わなくても……」
「くくっ……いや、あなたらしいと思って……しかし、そうだな。あなたが言った通り、俺も、男爵夫人のことは許せない。だが、それ以上に国王も許せないんだ。すでに結婚した身でありながら、他の女性に心を奪われて、家庭を壊した。今まで支えてきてくれた臣下を裏切り、国を乱した。……国王さえ、しっかりしていれば」
ミランダはこの時ようやくディオンの苦悩に触れた気がした。
身内に起こった出来事だからこそ男爵家のやり方に憤り、やすやすと罠にはまった国王自身に対しても怒りを抱いている。怒りだけではなく、憐れみも……。
(もう過去のことだから、とは言えないわよね……)
「ミラ。俺は時々怖くなる。自分もその時の国王のように道を踏み外すのではないかと……」
「ディオン様も、怖いのですか?」
「ああ、怖いよ」
素直に本音を吐露するディオンにミランダは弱い部分を見せてくれたようで愛おしさが募った。
「ミラ?」
気づけば彼を抱きしめていた。
「もし、ディオン様が道を踏み外しそうになったら、わたしが全力で止めます」
「あなたが?」
「はい。わたしは手強いですわよ? ロジェも味方になってくれるでしょうし、クレソン卿もあのしつこさ全開であなたを説得なさるはずです」
「それは……確かに手強いな」
勝てる見込みがない、と言われ、ミランダは笑って、彼を見つめた。
「あなたには心強い臣下や仲間がいる。だから大丈夫です。逆にもし、わたしが本当の悪女になったら、ディオン様が成敗してください」
「わかった。だが、あなたは道を踏み外すような真似はしないと思うが」
「あら。それはわかりませんわ。ディオン様を誑かして、この国をいいようにするかもしれません」
「俺を誑かすことに関してはそれでもいいと思う自分がいるから、俺はもうあなた以外愛することはできないだろうな」
「え?」
一体何を言っているのだと聞き返そうとしたミランダの視界は突如ぐるりと上を向き、気づけばディオンの顔がすぐそばで自分を見下ろしていた。
(な、なぜいきなりこんな体勢に……)
「ミラ……」
「ディ、ディオン様、あの……」
顔を赤くしてあたふたする妻の様子にディオンはふっと微笑んで、手の甲で頬をそっと撫でた。
「あなたのことだから、この国をいいように、と言っても、きっと民のためになるようなことをするんだろうな」
「先ほどから買いかぶりすぎですよ」
ディオンの目にはまるでミランダが聖女のように映っているのか。
(疑われずに済んだのならば、それでいいけれど……居心地が悪いわ)
こうなったら話を変えようと思ったところで、そもそもの本題を思い出す。
「あの、それでですね。魔女……男爵家の一族の中には、生き延びた者もいるのですよね?」
男爵夫人や男性陣は処刑されたが、女性は北の果てにある修道院行きになったと聞く。
「ああ。だが監視付きであったし、修道院の近くは荒い海しかない。それこそ逃げるなら、海に身を投げるくらいだろう」
「そうですか……。では、きっと無理ですわね」
ミランダはそう言ったものの、心のどこかでは否定しきれなかった。
この世に絶対などない。
ディオンが自分のことを愛してくれたように、時に驚くべきことが起こるのだ。




