第一章
「あなたは俺の花嫁になど本当はなりたくなかったのだろう?」
豪奢な玉座に腰掛け、鋭い眼光に不敵な笑みを浮かべた、グランディエ国の国王であり、夫となるディオンがそう問いかける。凛々しい顔立ちはまだ若いが、王としての威厳を十分すぎるほど纏っており、問われた花嫁――ミランダは冷や汗を浮かべながら、必死に愛想笑いを浮かべる。
「まぁ、そんなことありませんわ。陛下の花嫁になれて、とってもとーっても光栄に思っております!」
ピンクブロンドに青みがかった緑の瞳の可愛らしい少女は両手を揉み、猫なで声で王の機嫌をとろうとする。その見るからに胡散臭い姿を、壇上を挟む形で待機している臣下たちは怪しいとばかりに目を細める。
まさに針の筵である。
(ひいぃっ……なんでこんなことになったの~)
罰が当たってしまったのだろうか。
自分の代わりに異母姉を異国へ嫁がせようとして。
◇
「ジュスティーヌお姉様」
いつもより柔らかな声音で呼びとめたのに、前を歩いていたプラチナブロンドの女性はびくりと肩を震わせる。振り返った顔立ちは白百合のように可憐であったが、可哀想なことに恐怖で怯えていた。
ミランダはそんな彼女を値踏みするように上から下まで目を通すと、不意ににっこりと微笑んだ。
「ね、お姉様。わたしの代わりにグランディエ国へ嫁いでくれないかしら」
「え?」
彼女が困惑するのも無理はない。
「ミランダ。それはあなたに来た縁談ではないの?」
「鈍いわね。わたしが嫁ぎたくないから、お姉様を身代わりにするのよ」
笑顔を消したミランダはそこまで言うと、自慢のピンクブロンドを後ろへ払った。
彼女の言っていることを理解したジュスティーヌはサッと顔を青ざめさせる。
「いけないわ。これは国同士の決まり。嫌だからといって、断ることはできないのよ」
「断ることができないから、お姉様に行ってもらうんじゃない」
「私では意味がないわ……」
ジュスティーヌが辛そうに目を伏せたのは、己の出自を鑑みたからだろう。
彼女もまた王女であるが、ミランダと母親が違う。
彼女の母親は爵位の低い娘であった。本来なら妃に据えるには難しい女性であったが、儚げな容姿と可憐な声が当時王太子であった父の心を射止め、情熱だけで結婚を押し通した。それだけ父はその女性を愛していたのだ。
だがジュスティーヌを産むと、彼女は呆気なくこの世を去り、男児のいなかった父は再婚を勧められた。国王に即位することも踏まえて、今度こそ高貴な身分の女性を、と。当初気が進まなかった父であるが、異国から輿入れしてきた姫君――ミランダの母に心を奪われ、二度目の恋に落ちた。
ミランダの母も父のことを深く愛し、結果、ミランダや王太子となる男児を産んだ。父はミランダを目に入れても痛くないほど可愛がった。もちろん妻である王妃や王太子のことも。
最初の妻との間にできたジュスティーヌの存在を忘れてしまうほどに。
「お姉様だって一応お父様の血を引いた子なんだから、何ら問題はないはずよ」
「でも向こうは、あなたを指名しているのでしょう?」
「年頃の、メナールの姫君を、とね。お姉様は二十歳で、メナールの姫。十分条件は満たしているわ」
「それは……私の存在を向こうは知らないから……」
まだ認めようとしないジュスティーヌを、ミランダはばっさりと切り捨てた。
「お姉様がどうおっしゃろうが、わたし、もうお父様とお母様にお願いしてしまったの。だから、ね? わたしの代わりにグランディエ国へ嫁いでくださいまし」
ジュスティーヌは困った顔をしてミランダを見つめ、やがて諦めたように頷いた。ミランダはよかったと笑みを浮かべる。
「必要な物はすべてこちらで手配するから、お姉様は何もしなくてけっこうよ。あ、でも向こうへ行くにはそれなりに体力を消耗するだろうから、それまでにその痩せすぎの身体をどうにかすることね」
そうしないと国王陛下もがっかりなさるわ、というミランダの意地悪な言葉にもジュスティーヌは儚げな表情で頷いてみせるだけだった。
代わりに彼女の侍女がミランダの言葉にドン引きしていたが、気づかない振りをして「じゃあそういうことだから」と背を向けた。
そうしてジュスティーヌから見えなくなった位置でふと立ち止まり、「よしっ!」と王女らしからぬ声を上げてガッツポーズする。
(これでお姉様も、幸せになれるはずよ!!)
◇
弟のカミーユが生まれたばかりの頃。ミランダは両親や侍女の愛情を一気に奪われて腹を立てていた。待望の王太子が生まれたのだから喜ぶのはわかる。
だがミランダはまだ子どもで、それまで「ミラは国一番、いや世界で一番可愛い!」とデレデレになって自分を甘やかしていた父が今度は弟に同じことを言うのは納得できない感情を芽生えさせた。
だから乳母や侍女の目を掻い潜って逃げ出した。いきなりいなくなって、みんなを困らせてやろうと思ったのだ。そうすれば、また以前のように自分を可愛がってくれると思って。
(そういえば、北の離宮には行っちゃいけない、って言ってたわよね……)
理由はわからない。ただいつも朗らかに微笑む母の機嫌がかなり悪くなったので、子供心にそれ以上尋ねてはいけないことを悟った。
(ちょうどいいわ。そこに行きましょう)
行くなと言われた場所へ行く。悪いことをしてやろうとミランダは離宮を訪れた。しかし――
(なに。ここ……)
幽霊屋敷? と思うほど離宮は荒れ果てていた。庭の草は生え放題で、木々ももっさりと生い茂っている。噴水の水は覗くと濁っており、ミランダは顔を顰めながらやっぱり帰ろうかと思い始めた。
「だれ?」
消えそうな声にミランダは振り返り、目を瞠った。
(え、天使さま?)
そう思うほど目の前の少女は美しかった。プラチナブロンドと呼ばれる髪色は神秘的で、冬の空を思わせる青い瞳は大きく、長い睫毛に縁どられている。まるで以前乳母に呼んでもらった絵物語に出てくるお姫様そのものだった。
(でもなんだか……)
天使さまはずいぶんと痩せており、ドレスもどこかみすぼらしかった。
(せっかく綺麗な容姿をしているのに)
もったいない、と思ったミランダだったが、「姫様!」という言葉に我に返る。
もう居場所が見つかってしまったのか、思ったが、声は屋敷の方から聞こえ、乳母と思われる女性は真っ先に天使へと駆け寄った。
「勝手に屋敷を出て行かれてはいけません!」
「ごめんなさい、ばあや。でも……」
天使の瞳がミランダに向けられる。ばあやと呼ばれた女性もミランダを見るとはっとした様子で顔をこわばらせた。その表情に一瞬嫌悪のような負の感情が浮かんだことを、ミランダは見逃さなかった。
「ミランダ様……」
彼女はミランダのことを姫様、と呼ばなかった。つまり先ほどの「姫様!」とは天使のことを指しているのだ。
ミランダは自分と同じ「姫様」をじっと見つめた。
「ねぇ、この子はだれ?」
ばあやは天使とミランダの顔を見比べ、どう答えていいか迷うように視線を落とした。ミランダはもう一度訊いた。今度は天使に向かって。
「あなたは誰?」
「私は……」
自分に腹違いの姉がいることをミランダは生まれて初めて知ったのだった。
◇
幼いミランダには、先妻とか、後妻とか、二人の妻を娶った父の気持ちを深く理解する情緒はまだ育っていなかった。育っていたら、たぶんジュスティーヌのいる離宮へ通うことはしなかっただろう。
そう。ミランダは自分にもう一人姉がいると知り、暇を見つけては会いに行った。ジュスティーヌは綺麗で優しかったから。両親は弟にかかりきりで、自分のことは乳母に任せきりだったから。
だから周囲の目を上手く盗んでは、ジュスティーヌのいる離宮へ足を運んだ。
途中から乳母にばれて、もう会ってはいけないと厳しく言われたが、王女という身分を理由に我儘を突き通した。おまえさえお母様たちに話さなければ済むことだと脅して。
「ミランダ。もうここに来てはいけないわ」
「嫌よ。お姉さまともっとお話したいもの」
ミランダの異母姉――ジュスティーヌは困った顔をしつつ、ミランダを追い返すことはしなかった。
「ね、お姉さま。この焼き菓子、すっごく美味しいの。お姉さまも食べて!」
「いいの?」
「うん! はやく!」
「……本当だわ。すごく美味しい」
姉が小さな唇に手を当てて驚くさまを、ミランダは無邪気に喜んだ。
姉の喜ぶ姿を見るのが好きだ。でも姉はいつもどこか寂しそうな顔をして、時々痛みに耐えうるような辛い表情をする。それを見るとミランダの心もきゅうっと苦しくなる。
(どうしたらもっと喜んでくれるかしら)
そう思って部屋の中を見渡す。
(よく見たらお姉さまのお部屋、とっても寒々しいわ)
壁紙が剥がれ落ち、窓ガラスが割れて隙間風が吹く部屋もある。床が軋む箇所もあった。
(わたしと同じ王女なのにどうしてこうも違うのかしら……)
そうだ! とミランダは名案を思いつく。
「お姉さまもわたしたちと一緒に住めばいいんだわ!」
だがこの一言はジュスティーヌだけでなく、そばにいた乳母たちも凍りつかせた。
「姫様。それはなりません」
「どうして? お姉さまはわたしの姉さま、家族じゃない」
むしろ今まで離れて暮らしていたのがおかしいのだ。
「ね、大丈夫! きっとお父さまたちも、いいよって言ってくれるはずだわ!」
だが大丈夫ではなかった。
むしろミランダの母は娘が先妻の娘に会いに行っていたことを知ると激怒した。
母にとって、ジュスティーヌは嫉妬や憎しみを滾らせる存在だったのだ。たとえ、夫である国王に深く愛されていたとしても、かつて彼が愛した女の影を感じさせる子どもを愛せるはずがなかった。
「もう二度とジュスティーヌと会ってはいけません」
「そんなお母さま!」
怒っても、泣き喚いても、母は動じなかった。
「おまえたちも何をしていたのです」
そう言ってミランダの我儘を許した乳母も厳しく罰した。彼女たちは何も悪くないとミランダは庇ったが、母は「だとしたら、これからは自分の言動に責任を持ちなさい」と撤回することはしなかった。
ミランダは生まれて初めて自分の立場の重さを知った。
自分の言動一つで、仕える者たちの運命は簡単に左右されるのだ。
(これからは、気をつけなくちゃ)
そう。もうジュスティーヌに会うことはやめて――
(会わないかたちで、お姉さまを気にかけよう!)
ミランダにジュスティーヌと関わらない、という選択肢はなかった。
◇
まずミランダはジュスティーヌの置かれている状況――両親との関わり、彼女に仕える人間の態度、住んでいる場所などをきちんと調べてみることにした。そして一つの結論に至る。
「なんなのこのお姉さまの扱いは!?」
ジュスティーヌの育つ環境は王族とは思えぬほど劣悪であった。
まずミランダたちが普段暮らす宮殿からは遠く離れた離宮で隔離され、まるで監禁されているかのように育てられていること。その離宮も寂れて、修復すべき箇所があちこち見られるのに放ったらかしにされている。庭師はもちろん、ジュスティーヌの身の回りの世話をする使用人もろくにいない。
「こうなってくると、お姉さまに配分されるお金もケチっている可能性があるわね……」
ドレスが流行おくれなのも頷ける。
(わたしと同じ王女なのに、何なのこの差は!?)
「お父さまは何も思わないわけ!?」
と、ミランダは憤懣やるかたない思いで父に訴えた。愛娘に激怒され、父は大いに狼狽える。
「ミラ。私もジュスティーヌのことは可愛く思っているよ。だがね、世の中にはあちらを立てればこちらが立たずというものでね……オデットが泣いてしまうのだよ」
『あなたはわたくしより、あの子が可愛いのですね。ええ、そうですよね、愛する女性の忘れ形見ですものね。そして今でも、わたくしより愛して、忘れられないのでしょう。ええ、ええ、よくわかっておりますわ……』
母は悪女である。男性の心をどうやったら引き留め、揺さぶることができるか、よく心得ている。
こういう時、責めてはいけないのだ。ただ罪悪感を刺激するように涙を見せるのがもっとも効果的である。
ミランダも正直、母の涙には弱い。だから父が言うことを聞いてしまうのもまぁ、わかる。
「だからってお姉さまを放置しておくのは親としてどうなんですか」
「ううむ……」
幼い娘に正論を指摘され、国王は何も言えない。
「わかったら、お姉さまのことをもっと気にかけてあげてください!」
「はい……」
だがやはり、姉の境遇は以前と変わらぬままだった。
原因は母である。母がありとあらゆる女の武器を駆使して、ジュスティーヌが幸せになる環境を阻止したのだ。彼女からすれば、ぼろぼろの離宮が修復されただけでも十分だと考えている。
「ミランダ。あの娘とどうか仲良くしないで。お母様、気分が悪くなるわ」
母は涙目で娘にも懇願した。両親は大切にすべきだと教えられているミランダは一瞬挫けそうになる。
だが、ここで自分が折れてしまえば、ジュスティーヌの置かれた環境は酷いままだ。
(……っく、こうなったら!)
ミランダは決意した。もしかすると後で面倒なことになるかもしれないが、愛する姉のためならば、微塵もためらいはなかった。