IV-E: 昭和レトロはほろ苦さとともに
「……そろそろ行こっか?」
咲妃がスマートフォンの画面を見下ろしたまま、何でもない調子で言った。
あまりにも何の気無しな言い回しに対して、私がわざわざ行き先を確認する必要はない。その過程事態はあまりにもいつも通りなのだが、状況がいつもとは少しばかり違う。それは事実としてあった。
行き先は私たちの隣のクラスの教室。
目的は模擬店、昭和レトロ喫茶。
私は一拍だけ間を置いてから「うん」と返した。とくにおかしなことはないし、おかしなところもない。
返事が短いのはいつものこと。余計な意味を削ぎ落とすためだ。それ以上でもそれ以下でもない。
別に私が行きたいわけじゃない。
咲妃が行くと言っているから、私も付き合うだけ。
そういういつも通りの体裁を、自分の中で何度も確認しておく。
いろいろとぶらついていたせいか、少し久しぶりにやってきた廊下は朝とは全く様相を違えていた。空気が圧倒的にざわついている。
もちろん今日は一般公開日だから、朝のホームルームと模擬店開店準備中の間と、開店中の現在では人流が違うのは当然だ。笑い声、足音、知らない会話。知らない視線。そんな物が大量に溢れかえっている非現実的空間。
だけどそもそも来場者数が去年の一般公開日とは比べものにならないくらいに多い気がするのは私の気のせいだろうか。
視線を向けられること自体は、昨日までと変わらない。
ただ今日はそれがやけに重い。
その理由はわざわざ考えるまでもない。肌で感じるくらいのレベルで解っている。
単純に、知らない人の割合が増えているからだ。
声の高さも、歩くリズムも、どこか不揃い。
通りすがりに向けられる視線も、鬱陶しさの質が変わっている。
見られているというより、値踏みされている。
正直、気分は良くない。
それでも足は止まらない。
咲妃が迷いなくやや前を歩いてくれているから、私も立ち止まらずに済んでいる。
だが、丁度私たちの教室も見えてこようかというだいぶ手前で、咲妃が歩調を落とした。
「……あ。ちょっと見て、菜那」
見てと言われた方向を見てみる。
何やらその先には列がある。
教室の外まで伸びる行列。その入口の前と思われるあたりには、教室内部の様子を写真を収めている人たちも居るらしい。
ここからギリギリで垣間見えるのは、素人目にも良く出来ていると思える看板と装飾。そして、制服とは明らかに違う昭和レトロな服装の生徒たち。恐らくは教室の前でその人流を捌こうとしているのだろうけれど、如何せんそこまで熟れた生徒は廊下には出てきていないらしい。
「やっぱり人気なのねえ」
咲妃が楽しそうな口調で、そしてなぜか妙に嬉しそうな顔で言う。
他クラスの模擬店が流行って嬉しく思う理由とは何なのか。国語の記述式問題でそんなのが出てきたら、私は満点解答を出せる自信などない。何なら白紙で解答するだろう。
「何で咲妃がそんなに嬉しそうなのよ」
「え? わかんない?」
「解らないわよ」
興味無さげに言ってみるが、咲妃の目はキラリと輝く。
「そりゃあ、やっぱり自分と同じ趣味趣向の女子が多いって解ったら、嬉しいでしょ」
なるほど、そういう見方もできるわけか。
「……とはいえ、ここまで人気になられるのも考え物かもね」
咲妃は直ぐさま手の平返しをし始めた。
ちょっと待って。それは困る。
「どういうことよ」
「だって、『私だけの蓮』にならないでしょ、菜那からしてみたら」
「……何でそこで私の話になるのよ」
本当に、どういうことよ。自分の話で留めておいてほしい。
「人気の理由。もう分かっちゃうでしょ」
これ以上は私は何も言わない。
人気があること自体は、予想通りだった。
列の向こう側は見えない。それでも、彼がいることは解ってしまう。
姿が見えなくても、確実にいると解る。何となくだが、それはきっと今が彼の稼働時間だからという事実には基づいていない気がしてしまう。
そして、そんなふうに感じてしまう自分が、少しだけ厄介だった。
○
件の待機列に咲妃といっしょに並ぶ。何分ほど待たされるだろうかと考えていたが、列は思ったより早く進み始めた。あまりにも急な変貌だった。
「何か、列の消化早まった?」
「咲妃も思った?」
「だって、……ねえ」
明らかに急激に回転が良くなった。フロアがきちんと回り始めたということだろうか。文句は一切無い。何となく胸騒ぎのようなモノは去来しているが。
「っていうか、マジで結構イイ感じじゃない?」
「そうね」
模擬店というより、ちゃんとした『店』の様相がある。これについては私たちの少し前に並んでいた女性陣から同じような声が上がっていたので何となくの予想は付いていたが、その予想をそこそこ上回ってきた感じだった。
「おふたりさま、こちらどうぞー」
「はーい」
教室の外を担当する女子生徒が元気に呼んでくれる。咲妃は迷いなく中へ入っていく。私は一瞬だけ躊躇ってからその背中を追ったが、すぐに咲妃は立ち止まった。
「ちょっ」
「むふふ」
何やらおかしな笑い声が目の前から聞こえた。その主の視線を追いかけてみる。
――居た。彼は、間違いなく居た。
フロア担当の待機場として確保されているスペースに、……両サイドを先ほど校内宣伝をいっしょにしていた女子に固められて、彼は立っていた。
そして、そのふたりと調理担当の女子から何やら軽めの言い争いのようなことをしたと思ったら、少し居心地悪そうに彼はこちらへとやってきた。
「お待たせしました、おふたりですか」
「ええ」「はーい」
返事がほぼ同時になった。
何故か彼は微笑んだ。まぁ、少し苦み走った感じはあるけれど。
「ではこちらへ」
「はーい」
さながらコドモのような返事で咲妃は彼に付いていく。私は咲妃に付いていく。
教室の中は、外よりも少し落ち着いた空気。照明も、装飾も、妙に完成度が高い。
案内されたのはふたり掛け。今まさにちょうど良いタイミングで空いた席だったらしい。
「ほら、菜那」
咲妃に促されて私は腰を下ろす。椅子に座った瞬間、視界が固定される。逃げ場がなくなった、という感覚が遅れてやってきた。
私のすぐ横に彼が立つ。
思ったよりも近い気がする。顔を上げればすぐ近くに彼がいる。
ブラウン基調の制服。黒のサロンエプロン。さっき見かけたままの姿。
――似合っている。
そう思った瞬間、胸の奥が少しだけ固くなる。
認めたくない事実を、無理やり飲み込んだ感じ。
「ええ」
私は短く答える。余計な感情が声に混ざらないように。
彼がメニューを差し出す。その所作には無駄なくて、やはり他の生徒よりも明らかに慣れている感じを漂わせていた。本人はそれを隠そうとしている感じもするのだが、明らかに隠しきれていない。
咲妃は相変わらずだが何故か「店員さん」と楽しそうに声をかける。
名前呼びをしない配慮は出来ていて少しだけ安心した――が、それも束の間のことだった。
「コーヒーはどちらの豆を?」
咲妃が科を作って訊いた。
運悪くこれを聞き取ってしまった別のウェイターくんは少々おかしな声を出していたから、噴き出さなかった私と彼は偉かったと思う。
まさかこんなタイミングで、まるでよく見知っている相手にでも言うような口ぶりで、ジョークを飛ばすなんて、私はこれっぽっちも予想していなかった。
そう、まるでよく知っている相手にでも言うような口ぶりだった。
これが街中だったら他人の振りでもすれば良いかとも思うのだけれど。完全に知らない人間だけの場所ではないのでそうも行かず、私はメニューの隅っこの方に視線を預けつつ彼を見遣る。
案の定彼は困った顔を浮かべたが、それも一瞬。直ぐさま気を取り直した彼は、コマーシャルなどでもよく聞くお馴染みのブランド名をこそっと教えた。
「なるほどね、ありがとう」
「……いえいえ」
「……何か問題でも?」
「いえいえ、何も」
ある意味で、世話が焼ける子だ。私もある程度世話を焼かせている自覚はあるのでお互い様かもしれないけれど、それにしてもだ。
咲妃がある程度満足そうなので良しとしたいところだが、後で彼にはお詫びをする必要が――。
「おにーちゃーん」
そんなことを考えようとした矢先に、私たちの方へと何やらかわいらしい声が飛んできた。




