4-20: 天使にコーヒータイムを
教室の空気がちょっとだけ変わる。オーラなんていう不可視のモノの存在を、さすがに今は信じるべきな気がする。それはやはり二階堂菜那と稲村咲妃のふたりが持つ何かなのだろう。
前日までの想定であれば『うわぁ、とうとう来た……』と思う展開だった。とくに咲妃の方は俺に対して何かを求めているのが明らかだったから。
だが今は渡りに船と言っても――いや、それはさすがに過言か。オンボロな木造船か、あるいはちょっと頑丈に作られた泥船という感じだろうか。いつ沈むかは解ったモンじゃないが、少しくらいは航行できそうな雰囲気はある程度の船という意味だが。
席は、丁度10秒ほど前に空いたばかり。しかも2人用。お誂え向きというか何というか。
あまりにも『ここにお招きせよ』という状況。これなら誰でも応対が出来る――?
「ん?」
「ほら、蓮くん出番……!」
「女性客の応対は男子っ!」
「ちょー待て、そんなルール設定無かっただろっ」
物凄く小声なのだが、物凄い圧を感じる。
本当にそんな独自ルールは設定されていないはずだ。まさか俺が知らない間に設定されていた説は……無くも無いが。
あのふたりだから、ということも無くは無いのだろうけど。
「……でも、あのふたり、明らかに深沢くんを見てるけど」
「ほらやっぱりっ!」「さっきも言ったしょ!?」
しかし案の定というか予定調和というか。岩瀬によってしっかりと退路を断たれる。
たしかに、明らかにあのふたりは俺を見ている。どこからどう見ても、あのふたりは俺しか見てない。そりゃそうだ、明らかに俺に対応してもらうのを期待していたからなぁ……。
ようやくフロアから両サイドに視線を持ってくる。びっくりするほど俺に期待している視線と正面衝突。
――やるしかないらしい。
待機列から出て行く足はとても重く感じた。
「お待たせしました、おふたりですか」
「ええ」「はーい」
淑やかな返事と、元気な返事。
あれだけ恐れていたはずだったのに、今は安心感を覚えてしまうのは何故だろう。
「ではこちらへ」
「はーい」
それにしても、咲妃はいつもよりやたらと元気なように感じる。が、妙な違和感も同時に漂っている気はする。何だろう。
もちろんそんなことばかり気にしていては接客業にならない。きっちりとふたりを空いた席に誘導し、そのままの流れでメニューをチェックしてもらう。
「店員さん」
名前を呼ばないのは咲妃なりの配慮なのだろう。既にある程度雰囲気を察されているのだがそこは気にしないらしい。名前なんて呼ばれたら、俺はしばらく教室から脱走しなくてはいけなくなるだろうし。
「はい」
「コーヒーはどちらの豆を?」
前言撤回。咲妃は完全に俺をおちょくりに来ているだけだ。巧妙にメニュー表で壁を作りながら、何かを企んでいそうな笑みを浮かべながらやたらと科を作って訊いてくるなんて、明らかに俺をイジリに来ている。
マジで危ない。完全に噴き出す直前だった。
どうにか気を取り直して応える。丁寧に訊かれたのだから懇切丁寧に、インスタントでお馴染みのブランド名を正直に言う。
そういうモンだ。ちょっとお高い外資系ショップ監修のモノを使おうかという話にもなったが、さすがにそれではコストの問題が出てくる。内装側にそこそこお金をかけたいというのがメインなのだから、ドリンクについては雰囲気とともに味わうことでどうにかしようということになっていた。高校の学校祭なのだからこれは仕方の無い話だった。
「なるほどね、ありがとう」
「……いえいえ」
「……何か問題でも?」
「いえいえ、何も」
「おにーちゃーん」
「少々お待ちを。……ごめんね、ちょっと待っててねー、今行くからねー」
面倒くさい追求や尋問が続きそうなそのタイミングを見計らったかのように、背後に居た大町先生たちのテーブルからかわいらしい声が聞こえてきた。どうやらあの姪っ子ちゃんからのお呼び出しらしい。
咲妃が何やら面倒な反応をしてこようとしてきたところ、どうやら本当の助け船を出してもらえたらしい。あの子はひょっとすると天使なのかもしれない。
――そして、俺のテンションもちょっとぶっ壊れかけているのかもしれなかった。
天使の呼ぶ声には素直に反応して、そちらのテーブルへと向かう。膝立ちも忘れない。
「どうしたのかな?」
「あのね、あのね、すぷーんがね」
「あっ」
椅子の足元、少し遠いところにスプーンが転がっていた。
「だいじょうぶだよ、今持ってくるからね」
「ごめんね、深沢くん」
「いえいえ」
変に気にしないようにできるだけ明るい笑顔を心がけて、岩瀬さんのところへ向かう。今の話をしっかりと聞いていてくれた彼女は直ぐさま換えのスプーンを渡してくれた。仕事が速い。とても助かる。
「はい、どーぞ」
「ありがと、おにーちゃん!」
「どういたしまして」
お礼も言える。なんて良い子。
「おにーちゃん、かっこいーね!」
「んぐふっ」
立ち上がろうとしたところでいきなりそんなことを言われて、危うく体勢を崩すところだった。そっちは無事に耐えられたのだが、おかしな鳴き声を漏らすのは我慢できなかったのがとても悔しい。
「ありがとうね」
――だって、そんなことをいきなり言われるなんてさ。思ってないし。
どうにか取り繕うようにお礼を言ったが、全く締まらない。あーあ。
「でもホントに、振る舞いとか含めてステキよね」
そしてさらに大町先生からもそんなことを言われてしまう。ありがたいことに、伯父さんのところで時々言ってもらえることもあるのだが、さすがに校内でそれを言われるのは恥ずかしさが圧倒的に上回ってくる。
「歌恋は変な男にはイイ顔しない子だから。お墨付き、お墨付き」
「あ、あはは……マジっすか」
「大マジ」
うんうんと小さく頷きながら、妙に真剣な顔で言ってくる。
歌恋ちゃん、大物になりそうな雰囲気。
「とにかく、ありがとうね。お昼までかな? がんばってね」
「あ、ハイ。ありがとうございます」
なおもかわいらしい笑顔で手を振ってくる歌恋ちゃんにはしっかりと手を振り返しておく。とりあえずはコレで任務完了だろうか。
――いや、違う。そんなわけがない。
あそこのテーブルを放置しているじゃないか。
菜那と咲妃のふたりを。
「……お待たせ致しました」
「いえいえ」
極めて丁寧な接客を試みる。
さすがにふたりとも大人の反応だった。いつも通りなら「遅いよ~?」などと言ってネタにしてくれるところではあるが、さすがに大町先生や歌恋ちゃんの手前そこまでのことはしなかった。
もう少し人が少なければそれなりのことをしてやろうかという余裕もあったけれど、さすがにそこまでは出来なさそうで、そこは申し訳なく思うところだった。もちろん菜那と咲妃にだけ特別なことをするわけにもいかないのも確かではあるので、丁度良い言い訳の文句が作れるということも言えるのだが。
結局ふたりはカフェオレをチョイス。本当はしなくてもいいことにはなっているのだが、せっかくなので念のため復唱くらいはしておく。もちろんこれは特別ということではない。職業病というか、クセみたいなものだった。
「カフェオレをふたつ」
「はーい、カフェオレふたつー」
注文内容を相互確認して一旦持ち場へ戻る。溜め息のひとつでも吐きたいところだったが、ここは我慢する。そんなものはひとりトイレででもやれば良いことだ。
「ん?」
「ふふふ」「ははは」
よくわからない棒読みの笑い声とともに、またしても岡本と坂下にサンドイッチされる。俺がわざわざ端の方に行った意味とは。さも『ここに挟まれよ』とばかりに空けられていたスペースに入らなかったせいなのか。――それっぽいな。そんなことをしたがる趣味はないのに。
「扱い上手すぎでしょ」
「慣れすぎでしょ」
何の――とは訊けない。その候補が多すぎる。地雷は絶対に踏み抜きたくない。




