IV-C: 思った以上に近くて遠くて近いのかもしれない、よくわからない距離
朝の光がカーテンの隙間を縫うようにして机の上に落ちている。ベッドからぼんやりとそれを眺めているうちに徐々に頭も起きてくる。ここですぐに身体を起こさないと、1時間後くらいに痛い目に遭うのだ。
充電が完了しているスマートフォンの通知リストにはメッセージが1件。そういえば完全に寝落ちしそうになる直前くらいにケーブルを挿したような記憶があったが、それは勘違いではなかったらしい。危ない。ポータブルバッテリーは持っているけれど、そういう感じでは使いたくなかった。
それはさておき、通知の内容を確かめる。
差出人は、深沢蓮。
昨夜の彼の顔が自然と思い浮かぶ。
メッセージの中身を見ると、たった一言だった。
――『今日もがんばろうな』
まだほんのりと寝ぼけたような頭でも、私はそれを彼らしいと思った。
きっと彼が言う『がんばろう』には、一切の他意は込められていない。特別な意味なんてこれっぽっちもないはずだ。
昨日の行燈、今日のステージ発表、明日の出店といったモノにはそれぞれ人気投票が行われ、その結果は後夜祭で発表されることになっている。他所のクラスの生徒にそれを言うのかとも一瞬だけ思ったが、少なくとも総合成績に関わるような意味合いで言ったのでもないはずだった。
そう。絶対に、特別な意味なんてない。
でも、それでも。
スマホをスリープさせるときの指先や私の息づかいは、どこか不自然さを纏っていた。
○
「菜那ぁぁ、目覚まし止めて二度寝してたぁ……!」
「そんなことだろうと思ったわよ」
ばたばたと荷物を整えつつも、寝癖を直し切れていない部分をどうにかしようと努力をしながら出てきた咲妃を半ば引き摺るようにして彼女の家を出る。
予定より10分の遅れと言ったくらいだろうか。遅刻とは無縁の時間ではあるけれど、今日の発表準備をやろうとするには少しギリギリかもしれない。でも、やる気なし感は出ないから良いだろう。
途中でコンビニに寄りたいと言う咲妃にくっついて私も入店。とくに何も買う気はなかったが咲妃に合わせておく。そんなこんなで予定より15分の遅れになった。
「……あー、足の方は問題無いけど上半身はそこそこかな。とくに肩周りはヤバイかもな」
玄関に入ったところで、しっかりと聞き覚えのある声が聞こえてきた。
――蓮だ。
彼はもう登校済みで、しっかりとクラスの仕事をしているらしく、大きめの荷物を他の男子生徒といっしょに運んでいる。恐らく第二体育館へと向かうのだろう。周りには小道具を抱えた女子の姿も多い。あれは、……名前こそ解らないが、昨日も彼の近くに居た子たちのような気がする。
「あれ? 蓮くんって帰宅部……だよね?」
「部活入ってるとは聞いた感じしないけど」
――『蓮くん』という響きが、どういうわけか頭の奥に残った。
私は何も言わず、咲妃の肩を軽く叩いた。
「行きましょ」
「へいへい。あ、今チラ見したでしょ?」
「してない。ほら、準備しなきゃいけないでしょ。そもそも私たち遅れてるんだから」
してない――はずだ。
○
少々残っていた搬入作業を手伝えたので良しとする。やたらと咲妃だけは満足そうだったが、まぁ良い。ここで何かを言ったところで何かがどうにかなるわけもない。
体育館に向かったときにはほぼ照明が落とされていたが、その暗さとは逆で体育館内のボルテージのようなモノは上がってきているらしい。円陣なんかを組んでいるクラスもあったが、あれは発表がすぐに迫っている1年生だろう。
淡々と進んでいくプログラム。3番目にやってきたのが――
「お、レンレンのクラスよね」
それだ。
「裏方って言ってたわね、たしか」
「ダンス系かー……。なるほど、彼奴なら踊らなさそうではある」
咲妃の感想には同意しておく。私も彼にダンスのイメージはなかった。
私たちのクラスはその次の次ということで予め待機場へと移動をする。間もなくして私たちの出番なのだが、私も咲妃も彼と同じで裏方担当。かなりの強さで演者側になることを提案されたが断固として拒否させてもらった。やりたくないものはやりたくない。
8分の持ち時間は恙無く終了したようだ。私としては段取り通りの作業を行っただけなので特段の達成感はないがそこに対しての問題も何も無いとも思っている。
あとは自由に観劇していればいいだけだ。どこに誰と座っていても良いということなので、体育館の後ろの方のパーソナルスペースを広く取れそうなところを選ぶ。ついつい周囲を見回してしまうのはいつもの癖だった。
少し冷たい体育館の床に触れて、ようやく落ち着けそうな気配を感じた。
が、その気配は少しだけ消える。
暗幕で塞がれてはいるものの、体育館の引き戸が開けられる。光がほんの少しだけ漏れ込んでくる。
何となくそちらへ引き寄せられる視線。
――彼だった。
トイレ休憩か、あるいはちょっとしたサボリか。それはないか。
何となく気怠そうな雰囲気を纏って、彼はその体育館の入り口付近を見回す。壁にでももたれながら見るのかと思ったが、結局は座ることにしたらしい。
「ん、菜那どしたぁ? ……あぁ」
何故かどこか納得したような声の咲妃。何が『あぁ』なのやら。
「レンレンじゃぁん」
「何そのねっとりとした言い方」
「いーからいーから」
何がだろうか。
そんなことを思っていたら、咲妃は手を振り始めた。きっと咲妃の中では小さく振っているつもりなのだろうが、その挙動は煩い。声を出しているわけじゃないのに煩いとはどういう仕組みなのだろうか。
「ほら、菜那もっ」
「何でよ」
しかも巻き込み型だった。
「『こっち向いてー!』って念を送って」
「無茶」
ひとりで楽しそうだった。
が、やらなければやらないで今度は口までうるさくなってくるはずなので、一応やっておくことにする。本当に小さく。指先程度で。
そして、ちょっとだけ『こっち向いてよ』の気持ちを、戯れに載せたつもりになっておく。
そのつもりだった。
「……え」
「おぉ」
彼が、こっちを、向いた。本当に。
「ほらやっぱり。菜那だったら伝わるんだねぇ」
「……偶然でしょ、そんなの」
伝わるわけがない。
でもこちらに一度気付いた彼は気付かないふりをすることもなく、ただ何となく呆れた感じで私たちに手を振った。手の平をこちらに向けたまま、ほんのわずかに。
「ほらほら」
「何がよ、もう」
うるさくしているのを教師に咎められるのも癪なので、はしゃぐ咲妃を宥めるためにも手を振り返しておく。
が、その時間も終わる。彼のところにクラスメイトが近付いてきて、そのまま彼はまた体育館を出て行く。こちらに一瞬だけ視線を送りながら。
「うわー、これ、青春じゃん」
「何が」
「なーんかイイ感じのやつ」
咲妃がうるさい。だけど何故か、それを否定する言葉が私の口から出ることはなかった。
○
2日目に予定されていたプログラムは無事終了。
帰宅する生徒もいるが私たちにはまだ教室装飾の残務があった。
もちろんそこまで大がかりではないものの、機材などの設置は一応あるので残っておくことにしている。これは咲妃の入れ知恵でもあった。
教室内には残しておきたくない普段使いのモノ??例えば椅子などを会議室などへ運び込んだり、あるいは逆にプロジェクターを持ってきたり。そういうことをしている最中の廊下で、彼に遭遇した。体育館以来になるだろうか。
彼は友人やあの子たちといっしょに機材の搬入。
私も友人たちと荷物を運んでいる。
視線が交わる。一瞬だけ声をかけようともしたが、口が動かなかった。
ほんの数秒の邂逅。
そのまま、彼らは去っていった。
自分の教室へ戻る流れで隣の教室を少しだけ流し見るが、何やらメインの担当者から話を聴きながら設営作業をしていた。また何かしらの貧乏くじを引かされているらしい。
私たちは「あとは大丈夫だ」と言われたこともあり帰路に就くことにした。いつも通り、咲妃といっしょだった。
互いに疲労感を覚えているせいか会話は少ない。珍しいほどに静かに学校を出て数分後、スマートフォンが震えた。信号待ちをしているタイミングだったので確認をしてみる。
――『無視したわけじゃなくて』『でもごめん』
「……ふふ」
解ってる。それくらいは。
「え、なにいきなり笑ってんの」
「別に」
咲妃が訝しげな目を向けてくる。
――『明日もがんばりましょう』
この返信も当然中身は秘密だった。




