4-7: 初心さ全開の呼び名問題
「ちなみに、私はブースに入るわよ。……ハイ」
どうぞとばかりに手で合図をする稲村。そんな風に促されても困るのだが。
たしかに、月曜日の夜にビデオ通話をしたときには、実際にそういう話――俺が、二階堂菜那と稲村咲妃のふたりを、苗字呼びから名前呼びに変更するという話にはなった。それは認める。
ただし正直に言ってしまえば、このふたりが――というか稲村が、どこまで本気で考えていたのかということをイマイチ掴みきれていなかったのも事実。
だから何となく『どーせいつものように、戯れに言ってみただけのことだろう』と考えていたわけで。
「……」
「ほらぁ、黙っててもしょーがないでしょー?」
探るように視線だけを飛ばしてみたが、稲村は何も動じない。
それもそうだろう。稲村としては既にアクションは起こし終わっていて後は俺次第なのだから、何の影響もなければ何のダメージも受けない。
「…………菜那さんは」
「何で『さん付け』なのよ」
稲村が何となくキレてる感を演出しているのはよくわからないが、意を決して発した解答は二階堂に辿り着くより早く、その稲村に素気なく叩き落とされた。
余計な異物を織り込むことは許されないらしい。
二階堂はいつも通りに読み取りづらい表情をしている。決して無表情ではない。初めて会話(と、アレやらコレやら)を交わしたときからすれば、考えていることや薄らと思っていることは感付けるようにはなったと思っている。だが、今は少しだけ逆光になっていることもあってはっきりとは分からなかった。
完全に退路は断たれた。
「……菜、那、は」
「いや、初心さ全開すぎっ」
「口が慣れてなさ過ぎて、ちょっとバグっただけだ」
普段やらないことを一発勝負でやろうとしてもウマく行くはずがないのだ。
「え、レンレンってそこまで経験無――ピュアな子だった?」
「そのオブラートって今更じゃねえ?」
「そうだけどもさ」
包み隠さなかった物言いのまま話したことだってあるわけで。他の人との距離はあるので、もはやそこを気にする必要もないと思ってしまった。
「あと、別にそういうわけでも……」
――と言いかけたところで、自分の小学校とかのことを思い出してみる。
「……あるかもしれないな」
「マジで?」
「女子の名前呼びってしたこと無いかも」
実際のところ、こちらからアプローチしようとか思ったこともあまりなかったし、気になった子が居たとしてもそれでオワリというか何というか。
自分のことを奥手ではないと思っている方だが、妙なところでブレーキをかけていたような気はしていた。
だが、今のメインテーマはそういうことじゃない。
「いや違うんだよ」
「何が?」
「違うんだよ、何か、……そう、いろいろあんだよ」
暈かしたところで、『妙な気恥ずかしさ』しかないんだけども。
どうせ稲村にはそれくらい分かられているとも思うんだけども。
「もー。そんなんじゃ困るんだからねー?」
「何がだよ。何でだよ」
いきなり妙なことを言ってくる稲村。
「変な呼び方したら菜那が困るし、かわいそうでしょ」
そういうことを強要しているのは君の方なのだが?
「だったら今まで通りに」
「却下」
「どうしても?」
「どうしてもよ。当たり前でしょー」
どうしろと。
――『いや、名前で呼べや』ってことなのだろうけど。
それ以外に方法が無いことは分かっているんだけど。
この件については、稲村よりも二階堂の気持ちとその反応の方が圧倒的に重要だ。言ってしまえば黒幕でしかない稲村のことはどうでも良いほどだ。絶対に口には出さないが。
チラッとだけ二階堂の方を見る。
何だろう。
何となく二階堂が何かを期待しているようにも見えるのは、俺が都合の良い未来を考えているからなのか。
「その……」
彼女の目を見ながら言ってみる。
静かに何かを促されたような感じがした。
「…………菜那的には、そういうのってどうなのかな、って思うんだけど」
言ってみた。今回は突っかからずに言えた。
おかしな言い方ではなかったと思う。
そして、返ってきたのは――。
「……好きにしたら?」
何とも『らしい』言い方だった。さすがに素っ気ねえ。
「好きにしたらイイとは思うけど、……それで咲妃を論破できるなら」
自分でもそう思ったのかは分からないが、珍しく付け加えるように重ねてきた。
しかし厄介な条件を添えながら。
論破。説得。――稲村咲妃を?
「うん。ムリだわ」
「そりゃね。ムリでしょうね。だって、菜那を名前で呼んであげるだけだもの」
半笑いで言われた。
もはや観念するしか有るまい。
恥ずかしいとかいう余計な気持ちを捨てろ、深沢蓮。
心頭滅却すれば火もまた涼しく、名前呼びも誇らしい――はずだ。
ホントか?
「菜那は、……ぁ」
ここまで言ってもうひとつ関門があることを思い出す。
しっかりと、別の視線が刺さってきていることで、その事実を思い出す。
「菜那は、……咲妃と同じ感じでやるの?」
「ん」
しっかりと訊けた。そしてしっかりと――というにはいつもの調子が過ぎる回答を得られた。
「はい、御両人おめでとー」
「咲妃、良いから、そういうの」
適当だなぁ。ぱらぱらとした拍手でさらに強調されている感じがまた余計に適当感。
二階堂――ではなくて、菜那も呆れているようだ。通常営業とも言えるが。
「そしてありがとー」
「ん?」
さすがに礼を言われるような展開ではないと思うのだが。
「どういう意味?」
「これでやっと『友だち』って感じ」
稲村――じゃなかった。咲妃はそんなことをあっけらかんと言い放った。
「友だちだとは思ってたけどな。別にそういうことじゃなくても」
「それはそうなんだけどさ、なんつーの? 『レベルアップ』的な感じよ」
「あ~……何となくそれは理解できるかもしれん」
輪郭こそぼやけていてハッキリと掴めているわけではないが、雰囲気のようなモノは理解できたような気がする。
「要するに、友だちにならないと発展しないな、って思ったのよ」
前言撤回。雰囲気も意味も何も掴めなくなった。
「……何が?」
「さぁ?」
「何だよそれ」
言っておいてそれかよ。分からんわ。
「まぁ、そんなわけで、ウチのクラスは裏方とかいうのは特に無くって、全員が表側に立ってる感じね」
咲妃としてはもう満足らしい。話題がようやく元に戻った。
「ん? 『占い』とか言ってたよな?」
「言ったけど?」
「全員占えるの?」
「実際に出来る子も居るわね」
「へえ、マジか」
それはスゲえ。
「だから、ホントに占い目当ての人はその子のところに並んでもらって、そうじゃなかったらどうぞご自由にって感じ」
「話は聴くよ、的な?」
「そうね。適当に駄弁るか、何か答えて欲しかったらAIチャットに投げる感じ」
「ああ、なるほど……」
そういう逃げ方があったかと感心してしまった。個人の回答を返すよりは後腐れがない。余計な火種は撒かない方が良い。
「ちなみになんだけど、ウチらは午後イチの担当だから」
「……なぁるほど?」
ちょっとだけ頬が引きつる感覚。よりにもよって、そうなるのか。
「それは、その時間帯を狙って行ってもイイってことだな?」
「もちろんだけど、レンレンが店番やる時間帯を教えてくれるってのが条件だからね?」
来るからにはそっちにも行くからな、と。そいつは正しい等価交換だ。
そもそも咲妃は元からこっちのクラスの模擬店に来たがっている上に、俺の接客を受けたい奇特なタイプだ。言わないのはさすがにアンフェアだろう。
「俺は、午前のラスト。昼休憩直前だな」
「ということは、時間被ってないのね」
「そういうことだな。……幸か不幸か、な」
嬉しいような悲しいような。そんな事実が転がっている。
ふたりのクラスに遊びに行くことができるが、ふたりがコチラに遊びに来ることもできる。何というバランスの良さ。取引というものはやはりこうあるべきなのだろう。
「何を言ってるのよ。サイコーでしょ」
「そうかぁ?」
「最も幸せって書いて『最幸』ってことで」
「ウマいこと言ったつもりかよ」
期待と不安が入り混じるとはまさにこのことなのだろう。それにしては期待感があまりにも希薄だし、不安感があまりにも色濃く広がっているのだが。




