4-2: 不意の遭遇
稲村は大きな荷物の陰になっているはずの俺にギリギリで気付いたようで、軽くジャブのような挨拶――と言って良いのかはよくわからない何かを寄越してきた。
何かめっちゃ手を振られたのだが、俺の両手はしっかりと封じられているので残念ながらまともな反応を返せなかった。眉毛くらいは動かせたが、果たして稲村が気付いたかは不明だ。
反面、二階堂はそんな稲村の反応を受けて俺に気付いたという感じだった。「あら」という顔はしていたようには見えたが、だいたい『今日はバイトじゃないのね』くらいの感じだろうか。
相方も居なくて、もう少し荷物が少ない状態で、さらにあまり人目がない場所ならば、少々話し込んでもイイかなとは思えるのだが、まともな反応もろくに返せないこんな状態ではキツい。全く以て会釈以上挨拶未満みたいな感じだった。
高頻度でウチの喫茶店を利用してくれているだけに、申し訳無さは残る。
とはいえ稲村と二階堂もまたそちらのクラスでの準備を手伝っているようで、ふたりの手には何らかの部材が入った袋があった。もちろん俺たちの荷物と比べたら天と地ほどの差がある。
「ん? 誰か居たか?」
「いや何も?」
翔太が訊いてきたが、とりあえず何も無い感じを装っておく。どうやらあのふたりは翔太とはとくに視線などを交わすことにはならなかったらしい。
――そういえば、と思い出す。
例の合コン途中退室以降の顛末について翔太たちにはウソを吐いていたが、それ以降にどういう展開になっているかということをヤツらから訊かれることもない状態で、今日という日まで何事もなく過ごしてきていた。
アレだけ否定に否定を重ねた上でさらに自虐ネタまで突っ込んだのだから、ある程度それを鵜呑みにしてくれないと困るという話ではある。
だけど、それにしても、ここまで効果を発揮するとは思っていなかった。あの時はまだ疑ってかかっていた翔太ですら、話のネタとして持ち込んでくることもなくなっている。亮平に至っては――いや、止めておこう。本人の沽券に関わる。
単に飽きたというのなら、それはそれでこっちは助かる話だった。
それにしても、学校祭準備も佳境に差し掛かっている放課後は、やはりどのクラスも忙しそうだ。すれ違った相手を確認しようにもこの荷物ではままならないし、どのみちとっくに階下へと進んだふたりは俺たちの視界から消えていた。
「ちなみにさ。行燈の作業進行状況的にはどんな具合なんだ?」
「悪くはない」
「……良くもない、ってか?」
「いや、スマン。ちょっと下駄履かせた」
そんな気はしていた。
基礎骨格がほぼ万全であることは良い。それは最低限だ。
問題としては細かい装飾が付けられる部分の骨組みもまぁまぁ出来上がっていたが、電飾を含めた装飾がイマイチ進んでいないように思えた部分だ。アレだと学校祭1日目の金曜日の朝には間に合っているだろうかというくらい。
「他よりはマシではあるんだけど、だからといって安心できるわけじゃねえ」
「そりゃそうだ」
さっきもチラチラとよそのクラスの様子は見てきていたが、ウチのクラスよりヤバそうなところはかなり多い。半分以上はかなりヤバそうな雰囲気を醸し出していた。
「っつーわけで、蓮が来てくれると超絶ありがてえ、ってわけだよ」
一向に構わん。そろそろクラスの役に立たないと危ないところではあった。
「把握っと」
そんなこんなで自分の教室へ到着。幸いドアは前後とも開いていたので立ち往生せずに運搬業務を完了。待ってたぞの声とともに一気に荷物は回収されていったので若干ビビったが、それだけ作業も切羽詰まってきているということらしい。
まだまだ任務も残っていると翔太が言うので、直ぐさまテントへと戻ろうとした
――のだが。
「ん?」
スマホに着信。メッセージの振動。
こんなタイミングで誰が――と思ったが、何のことはなかった。
――『そっち大変そう』
稲村がまるで他人事みたいな一言を送りつけてきていた。
いや、確かに他人事か。他クラス事とか他学級事とでも言うべきか。
文面だけ見ればちょっとは心配していそうにも見えるが、即座にぐふふと笑っているような顔のスタンプが付けられているのでそんなわけがないことくらいは分かる。
「どうした?」
「先に行っててくれ」
「おー」
とくに理由も訊かないでおいてくれる友人がありがたい。中央階段近くにあるベンチに腰掛けつつ、どう反応したものかを思案する。
「『お互い様だろー』、っと」
こんなモンだろう。
では翔太の後を追おう――。
「……いや、早いって」
もう返信が来た。アプリを閉じる前だったので既読状態にもなっている。
何だこれ。まさか全然お互い様じゃない説浮上か?
――『私と菜那はウマいことやってるから』
何と本当に全然お互い様じゃない説らしい。
自慢気なスタンプとともに送信されている。若干脳内再生余裕なのが悔しい。
思えば今年の学校祭作業中、二階堂と稲村にはまぁまぁ忙しいところばかりを目撃されているような気がするし、実際に準備に顔を出せばそこそこの重労働を課せされることが多い。たまにしか来ないんだからそれくらいやれと思われているのかもしれないが、こっちにもこっちの事情はあったりする。
正直言うとその『ウマいこと』やる方法とやらは気になる。今年使えるかどうかはさておき、来年の学校祭のときには応用できるかもしれない。
――『何だよ、ウマいことやるってw』
続きは気になるがこのまま油を売っている訳にもいかないので、返信を打ち込んだ瞬間にアプリを閉じる。ベンチからも立ち上がる。これで良し。こういう切り替えは大事。
「……大方、ちょっとだけ参加しておいて、さらっと居なくなっておくとか、そんな感じなんだろうけど」
もっとも脳内ではこの話題しか考えていない。
断じて不真面目というわけではないふたりだし、稲村の方は何となくだが世渡りは上手そうな印象もある。恐らくは稲村主導で何かしらの抜け道を用意しているということなのだろう。
○
「ただいまぁ」
既に帰宅している誰かが居るというわけではないのだが何となく習慣づいている『ただいま』を言ったところで、そのままベッドに倒れ込みたくなってしまった。
行燈制作作業は思った以上の重労働で、主に腰より上、上半身がしんどかった。
よくよく考えれば普段バイトで使うのは主に足回りなので歩かされるとかならとくに大きな疲労感にはならなかったかもしれないが、デカい木材を抱えるとか支えるとか、少し不安定な体勢で釘打ちとか、滅多にやらない作業だったので滅多に使わない部分の筋肉に乳酸が溜まっているような感じだった。
「……あ、やべ」
ベッドに倒れるのを寸前で思いとどまって、冷蔵庫からお茶か何かを出そうとしたところで思い出す。
作業の最中に何度か着信通知をしていたスマホのことを。
相手は間違いなく稲村だろうということで一旦放置をしていたのだが、作業がどんどん重労働になってきたことで一旦どころか完全に放置して、そのまま帰宅まで完了してしまったのだった。
「ぉお」
同じ差出人から6件来ていたのだから思わず唸っても仕方ないと思う。ほとんどダイレクトなメッセージが来ることはないタイプだから、こういう経験自体がほぼ無いということも加味して欲しい。
もちろんその差出人は稲村咲妃だ。何をそこまでせっつく必要があるのかとは思いつつもその中身を確認していけば、『どしたー?』『忙しそうだねえ』『続報を待つ』『いや、待ちきれんわ』などと喧しい独り言の連発だった。
稲村らしいとしか言えないななどと思いながら『今帰宅』とだけ返してみた。
結果数秒と経たずに返ってきたのが、
――『遅いぞ~(お疲れさま)』
何だかんだで間違いなくイイヤツだった。




