3-21: 黙っているのはアンフェアだと思ったんだ。
「……何がいいかしら」
少しだけ頭の上に疑問符を載せたままの二階堂ではあったものの、気を取り直して冷蔵庫を開ける。が、すぐに扉を閉め直した。
「深沢くんに選んでもらった方が早い?」
彼女は振り向きながらそう言った。
「見せてもらってイイの?」
「構わないわよ」
家主のお許しが出たのだから構うことはないとは思うが、それでも一応小指の爪ほどの遠慮心は残しつつ冷蔵庫の中身を拝見。冷蔵庫はいわゆるフラッグシップモデルとでも言うべきだろう。かなりデカい。何人家族向けなのかと言いたくなるサイズ感。
さながらセレブのお宅訪問をしている気分だ。なるほど、実際に家捜しをするようなシゴトをしている人はこういう気持ちになるのか。
そんなくだらないことを思いながら、その大きな庫内をできるだけ早くチェックしていく。さすがに開けっぱなし時間を長々作るようほどの無神経ではない。
「これはお茶……なのか?」
「どれ?」
「これ」
よく見かける横置き可能なピッチャーの中に少し金色みのある薄茶色の液体。だいたいこの時期であれば麦茶がストックされているお宅は多いかとは思い、思わず指をさしたものの色味が想像と違ったので訊いてみた次第だった。
「それはハーブティーね。いろいろとブレンドしてる」
「自分で作ったのか?」
「私は『こういう効果のが欲しい』ってリクエストしただけ。作ったのはお手伝いさん」
「なるほどね」
どこまでもオシャレなヤツだ。
「それにする? 深沢くんのお口に合うか分からないけど」
「良いのか? 気にはなってるけど、それ普段から飲んでるってことだろ?」
「深沢くんお手製のコーヒーいただいているし、その代わりにでも」
それを引き合いに出されてしまうとむしろ申し訳なくなってしまうのだが。
「あれはただ俺の実験台に付き合ってもらってるってことで、こっちがお礼をするべきなんだけどな――って」
「はい。私も飲むから」
いつのまにかグラスに注がれていて、その片方はもう俺に手渡されようとする寸前だった。これを断る理由などさすがに無い。ここは有り難く、そして大人しく頂こう。
「……あ、良い香り」
ふわりと漂う優しい香り。これだけでも落ち着く。
チビリとひとくち。
「ぁ」
思わずもうひとくち。
「おいし」
「そう、良かった」
意外にももう一言が付け加わった。もしかしたら口に合うか否かをかなり深いと
ころで心配していたのかもしれない。
「こういうの結構好きかもしれない」
「お茶って飲む方なの?」
「そこそこ飲むよ。紅茶のティーバッグくらいは常備してるし」
これは本当。興味関心があるのはコーヒーだけではない。純喫茶で取り扱っていそうなモノには一通り、ある程度深いところまで知っておいて損は無いと思っている。何より伯父さんにもそれくらいは知っておけと言われているし。
「へえ……」
「意外だった?」
「……一瞬思ったけれど、でもウェイターのバイトもしていて、自分でコーヒーも煎
れるって考えたらそれくらいはするのかも、って」
ご明察だった。やはり二階堂は一を聞いて十でも百でも理解できそうなほどに聡い。
「今はハーブティーの類いは出してないけど、今後考えてみても良さそうだな」
「ムリはしない程度にね」
「ありがと」
まったりとした時間が流れる。
会話もしばし途切れる。空調と白物家電の動作音が聞こえるだけの空間。
とても落ち着く。こんなにも広く豪奢な邸宅の中だというのに、不思議と気持ちが落ち着く。
これは、このハーブティーの作用なのだろうか。――それとも。
「そう言えば……」
「ん?」
俺のコップの中身がなくなったタイミングを見計らったように、二階堂が口を開く。両手で包み込むようにコップを持つ姿が少しだけ小さく見えた。
「さっき、深沢くんは何を言おうとしていたの?」
「……ん?」
「『そっちね』って言ってたから、少し気になっただけ」
よく気付いたなと思う反面、よく気付いてくれたなとも思う。
「話したくないことなら全然気にしないでくれて」
「いや、むしろ、……ちょっと話したいかな」
「そう?」
やはり片一方だけというのは不公平。平等ではない。
歯がゆさのような居心地の悪さを振り払うには丁度良かった。
「妹さんの話になったからさ」
「うん」
「俺にも、ひとり妹が居て」
「そうなんだ。……おいくつ?」
興味を持ってくれた。ありがたい。そして嬉しい。
「今年中3」
「じゃあ、大変ね」
「だな。時々報告が来る。受験勉強やりたくない、って」
本音しかないセリフに二階堂が少しだけ表情を崩す。誰もが通ってきた道だ。頭脳明晰な彼女でも同じらしい。
「でも、やってはいるのね」
「そう。その辺はエラい」
不平不満は大抵俺にぶつけてくるものの、そういうものから逃げようとはしない。
――俺とは違ってよく出来たヤツだった。
「……うん?」
「何か気になることがあったら訊いてくれて構わないぞ」
「『報告』って? 一緒ではないの?」
「ああ、そうだな。妹は別のところに居る。俺はこっちでひとり暮らし」
「そうなの?」
二階堂が(恐らく稲村くらいにしか言ってないだろう)妹の話を他でしていないように、俺もこの話はしていない。――俺の場合は全く誰にもしていないのだが。
「ちょっとね。越境組というか、市外からの入学なもんで」
かつては越境入学組に固有の枠が設けられていて遠方から受験する生徒だけで合格枠が決められていたが、現在はそれが撤廃されている。ただ、基本的には家が近い生徒の方が多い。規則がなくなった今でも『越境組』という表現だけは生き残っているという話だった。
「こっちに住んでる伯父さんが『だったら俺んとこ来いや』ってことで、アパート借りてくれて住まわせてもらってる。バイクも伯父さんのお下がりだから、何から何までお世話になってるってことだな」
「その伯父さんっていうのが……」
「マスターだ。俺の雇い主でもある」
「……そういうことだったのね」
日頃時々ふざけることがあろうとも、伯父さんへの尊敬と感謝は尽きない。それくらいお世話になっている。必ず恩返しはしなくてはいけない。面と向かっては照れて拒否をされてしまいそうなので、どうにかして手段は選ばなくてはいけないだろうけど。
そして、感謝といえば。
「とりあえず、ありがとうな」
二階堂にも。彼女には今ここで一旦口に出して伝えておくべきだろう。
「この流れでどうして深沢くんが感謝するのよ」
「俺の話を聞いてくれたから」
こんな独白のような、とりとめの無い話を茶化さずに聞いてくれたのだから。
「それじゃあ私がいつも深沢くんの話を聞いてないみたいな感じじゃなくて?」
とんでもないセリフが返ってきた。
「そ、そういう意味じゃなくてだなぁ!」
「……ふふっ」
そして、まさかの笑顔も向けられてしまった。
「解ってるから、焦らないで」
――想定外の報酬を受け取ってしまった感覚。これでは感謝してもしきれないではないか。
○
「……あ、もうこんな時間なのか」
「え?」
そのまま何となくリビングでゆったりと過ごさせてもらっているうちに、時計の針は上下それぞれを指し示す頃合いになっていた。
「ホントね。気が付かなかった」
「こんなに居座ってて良かったのか?」
「全然。誰もいないし、誰も帰ってこないから」
そうか――、とは即答出来なかった。
そして、『だからこそ』なのか。
「………あの、さ」
「え?」
「今日の晩メ……夕食とかって、何か予定あるかな、って思って」
気付いたらこんな提案をしていた。不慣れすぎて少し噛みそうになるくらいだった。
「何でわざわざ言い直したの?」
「……あれだ。何となくだよ、何となく」
この邸宅にはその言い回しが相応しくないと思って言い淀んだだけだ。
「まぁ、それは別に良いのだけれど。……そうね、とくに予定はないわ」
「普段ってどうしてるんだ?」
「今日みたいな日は適当よ」
お手伝いさんが作ってくれることもあるということなのだろう。
しかし、それはどちらの意味なのか。『適切』なのか『テキトー』なのか。
「作ったり?」
「……」
無言。
これは、つまり『テキトー』の方だ、という暗示か。
「……その、アレだ。せっかくだからさ、伯父さんのところに行かないか、と思って」
「え?」
意外そうな顔をしている。が、すぐに何かを理解したような表情へと変わった。
「あぁ、そう言えばカフェバーって言ってたかしら」
「そう。ディナーメニューもある。夜営業とは言うしお酒も出すけど、別に未成年禁制ってことはない。何なら俺からすれば保護者かそれに準ずる者が居る場所だし」
「……なるほどね」
少し必死な誘い方になってしまっただろうか。
そういう厭な魂胆を隠しているわけでは決して無い。
ただただ何となく、そうしなくてはいけない気持ちになってしまったから――なのだろうか。ハッキリとした理由を導き出せるほどには整理が付いてなかった。
「だったら、オススメとか、教えてくれるのよね?」
ただ、俺の予感通りにそう答えてくれた二階堂は、俺の予想よりもハッキリと優しい笑みを浮かべているように見えた。




