2-8: 想定外の帰路
「レンレンっていつもひとりで帰ってんの?」
「そうね。大抵連んでるヤツらみんな部活入ってるから」
「レンレンはやらないの?」
「……あんまり興味ない」
「中学の時は何かやってたの?」
「…………何かめっちゃ訊いてくるやん」
勉強会――というよりは綺麗な板書ノート写してもらう会が終わったのは17時を少し回ったあたり。大抵の部活は18時までを活動時間にしているので、校舎の中は比較的静か。騒々しいのは元気に音漏れをさせている音楽室近辺くらいだろうか。
そんな玄関先にまぁまぁのボリューム感で稲村の声が響く。これ見よがしに張っているわけでもないのによく通る声だ。声にはやはり性格が出るのだろう。
――時は少しだけ遡り、勉強会の片付けも早々に終わって後は各自解散という流れになると思っていたところ。
「え、いっしょに帰らんの?」
そう言ってきたのは稲村だった。当然でしょ、というような態度を添えて。
「……でも、家どっち方面?」
白々しいかもしれないが念のため稲村に対して訊いておく。
二階堂の家には行ったことがある。そして二階堂と稲村は高校入学前からの付き合いがある。中学校の校区を考えればふたりの家は近いことになる。
つまり、途中までは同じ道で帰れるということになるわけだ。
――解ってて訊くって、やっぱイヤだな。
「そっち」
「じゃあ同じか」
予想通りの答えが返ってくる。
「だったら一緒に帰ろう、って」
うんうんと頷きながら稲村は言ってくれる。
ありがたいのだが、筋を通すべき相手は他にも居る。
「……俺、お邪魔じゃない?」
その相手は二階堂菜那。ただし、もちろん念のため程度。
返答は二階堂のことなので何となくの予想が効くが。
「別に」
その手の言葉が返ってくることこそ、想定内だった。
イヤとかいう感想も抱かないような方向性で、全く気にされていない感じ。無感情の極致のような返答。人によっては『冷たい』だのという悪感情を勝手に抱かれてしまいそうだが、これが二階堂の作法のようにも思える。
「じゃあ、目障りにならないところにいるか」
「誰もそんなこと言ってないでしょ。ホラ、帰ろ帰ろ」
――要するに、そんな流れだった。
図書室を出て玄関で靴を履き替えるくらいのところまでは、普段通りと思われる雰囲気で話すふたりを、俺は邪魔にならないようにして相鎚を打つなり、あるいは聞こえないふりをしていればいいや――などと考えていた。
実際はコレだ。二階堂を間に挟むようにして、彼女を飛び越えるように俺に対して質問をぶつけまくる稲村と、その質問をどうにか打ち返す俺という構図。
何かどこかで見たことがあるぞ、何だこの既視感は。
いやいや、何てことはない。即答出来るだろう。
あの合コンの日、二階堂と抜け出す直前と全く同じ構図じゃないか。
「え~? 別に良いじゃん、おしゃべり楽しいっしょ」
「まぁ、つまらないってことはないけども」
「じゃあ良いっしょ」
誰も悪いとは言ってない。良いとも言ってないけど。
「第一、俺のことばっかりで誰が楽しいんだよ」
「私と菜那」
――本当かぁ?
引き出しの中身は大したことないという自覚はあるが、それでも俺が答えるたびに頷いたり「ほえ~」と反応をしてくれる稲村は話を聞いてくれている感があって、たしかに楽しそうにも見えるのだが。
「稲村はともかく、二階堂は楽しいのか?」
――問題はこちらの『鋼鉄の乙女さん』なわけで。
俺が話せばその都度視線は向けてくれるが、それ以上はない。ただ話している人の目を見ようとは心がけている程度の感じ。機械的な動きにも見えてしまう。
つまり、ぱっと見では無感情で無感想にしか見えないのだが。
「ねー? 菜那も楽しいもんねー」
「……」
「……楽しいってさ」
「そんな、親子でテレビの取材を受けたときに、赤ちゃんのセリフを勝手に創作しちゃうする親御さんみたいな」
明らかに親の権力で言わせてるよね、ってとき。あるよね。
「……ふっ」
「え?」「お?」
今、笑った?
いや、嘲笑われただけか?
いわゆる『笑う』じゃなくて『嗤う』って書かれる方のヤツか?
「ホラ! 楽しいって! ほら! 私ウソ吐いてない!」
「……ホントかよ」
「いやいや。レンレン、今のは予想外にナイスツッコミ。てっきりただの陰キャ隠し野郎かと思ってたのに、案外やるじゃないの」
「容赦ねえな」
「ん? まさか『俺のツッコミはまだまだこんなモンじゃないゼ。こんなもので笑ってちゃこの先が心配だぜ☆』的な?」
「勝手に解釈入れないでくれ、マジで」
本当に操縦困難。既に疲労困憊。このまま無事に家に帰るまで体力が持つか心配になってきた。
普段から稲村と平然と会話を交わしている二階堂って、俺が想像しているよりもとんでもない人間なのではないか。
そんなことすら考えてしまうくらいに、俺の頭はバグりつつあった。
○
「そういえばさー、レンレンのお家ってどの辺なの?」
次あたりの交差点で俺は曲がらないといけないというところ。まるでそれを図ったようなタイミングで稲村に訊かれた。
「……あの辺り」
丁度ここから見える範囲にある住宅街に今の俺の住まいがある。別にわざわざ隠す必要も無いので、だいたい具体的に指す。
「え、わりと便利じゃん」
スーパーやらコンビニやらその他いろいろとお店は多いので、便利と言えば便利な場所だ。おかげで自動車の類いが無くても充分に生活が出来ている。
「じゃあ今度遊びに行くね」
「え、ちょ」
それはちょっと待ってくれ。
まさか便利っていうのは、集るのに好都合とかそういう意味合いで言ったのか?
「お? これはレンレン、何か見られたら相当にマズいモノが部屋に放置されているな?」
名探偵ここにあり、みたいな感じで稲村は言う。
ハズレとも言えないのがちょっと困る。これでも健康的な一般高校生男子だし。
「そういうわけじゃない」
でも、ここは否定しておく。少なくとも正解ではない。
「そもそも俺は家に居ない時間の方が長いから、遊びに来ても意味ないぞ」
「大丈夫、家捜しするだけだから」
「おう、それはガチで止めろ。冗談抜きだ」
「解ってるってば」
ホントかよ。
「……一応確認するけど、『便利』っていうのは店が近いって意味で言ったんだよな?」
「そうだよ?」
「なら良いや」
俺の邪推だったらしい。
「でも実際レンレンも結構便利だと思って使ってるでしょ? ココとか」
そう言って稲村はスーパーを指差した。
「この前帰り道で見かけたからさ、寄ってたとこ」
「まぁ、たまには寄るよ。そういうところも」
――『たまに』というのはウソ。俺が買い物をしながら帰るのは日常茶飯事。高校入学以来ずっとそうだ。
しかし、入店まで見られていたか。
「なるほどねー」
とりあえず稲村にはご納得いただけた模様。あくまでも表面的な感じはあったがこれ以上掘り下げる意味はない。安心しておくのが得策だろう。
「じゃあ私らはこっちだから」
「おう、また明日」
――ん? あ、しまった。流れで。
「お? また明日も会ってくれるんだ?」
「全然良いけど」
言い間違いだと宣言してしまうのは違う気がするのでそのまま押し通す。これを本気にするとも思えない。
そんなこんなで、俺とは反対の方角へと進んでいくふたり。あっちもあっちでなかなかハイソな邸宅が建ち並ぶエリアだ。二階堂の家は既に分かっているが、稲村の家ももしかしたらあんな感じだったりするのだろうか。少しだけ気になるが、確実に等価交換を求められそうなのでこれは封じ手としておこう。
「……はぁ」
疲れた。いろいろと疲れてしまった。
勉強もそう。質問攻めもそう。ここしばらくはずっとそうだったが、今日はとくにいろいろと頭を回すことが多かった。
そして何よりも――。
「『裏切らないで』……か」
稲村とふたりきりになったときに言われたあの言葉が、余計に俺の思考回路を刺激した。
稲村が二階堂のことを大事に想っているのはよくわかった。実際に改めて稲村と話して見てさらにそれを実感した恰好だ。過保護とまでは言わないが、何かしらの事柄から二階堂を守ろうとしているような節は見えていた。
だけど――……。
何となくだが、俺には稲村の言動が、二階堂を何処かへと一歩踏み出させようとしているように見えてもいる。
もちろんその実態がはっきりと見えているわけではない。本当に漠然とした何かでしかないし、それどころか単純に俺が自分に都合が良くなるように考えているだけかもしれない。むしろ後者の可能性が圧倒的に高そうだ。
ただ、過去に何かしらがあのふたり、あるいはふたりの周辺で起きたのではないかという予感があった。
「……まぁ、だからと言って、俺が気易く口やら何やらを挟めるとは思わんけど」
そう。
俺はそういうことに対して、もう過度に口を出さないと決めているのだから。
○ ○
「よしっ、言質取ったりぃ」
深沢くんと別れてからなぜか急に何も喋らなくなった咲妃が、次の交差点に差し掛かろうとしたタイミングで急に喋り始めた。
なるほどね。深沢くんの耳には声が届かなくなりそうな頃合いを見計らっていたと。
「まさか本当に押しかける気?」
「まさか」
まさかをまさかで返された。じっとりと咲妃を見つめてみるが、彼女はにっこりと笑いかけてきた。
「まぁでも、いざというときのためよ」
「何その『いざというとき』って。どんな時よ」
「それはいざというときに教えるわよ」
それでは何の備えにもならないと思うが。